恋の手ほどきのレビュー・感想・評価
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『ジジイ』の僕も『ジジイ』になる前から、『ジジ』見たいな子が好き。
まだ、ロリ●タコンプレッ●スって言葉がない時代。『下妻物語』の様な服装を可愛い女の子と捉えている。
ここでの服装は、ちょっと違って、ロココ調ではなく、アール・ヌーヴォーだろうが、竜ヶ崎桃子ちゃんは『ジジ』見たいな自分を考えを持って、努力している子が好き。
『ジジイ』の僕も『ジジイ』になる前から、『ジジ』見たいな子が好き。
そして、『ジジ』と言えば、魔女の宅急●。
絶対に宮●駿先生はレスリ●・キャロ●のファンだ。そうさ、この頃はみんな彼女見たいな子に心を奪われたと思う。もっとも、オードリー・ヘプバーンにその地位を継承されてしまうようだが。
こう言ったミュージカル映画は、ビンセント・ミネリだから、当たり前かもしれないが、この後、ハリウッドからミュージカルっぽい映画が姿を消す様な気がする。長回しで歌を歌う。生ではないが地声。
迫力を残した手作り感が映画には残っている。
9個のオスカーを受賞したエレガントなMGMミュージカル。
人々がパリに憧れを持っていた時代
1958年公開のミュージカルで
ビンセント・ミネリ監督お得意のジャンル。
作られた年代ゆえに粗さは見えるが
それを抜きに考えれば秀作といえる。
1900年のパリ。ロートレック風のイラスト。
見守り役のモーリス・シュヴァリエは
♪少女はやがて大人になり輝く‥と歌い
お茶目なジジ役のレスリー・キャロンが登場
彼女を中心にしたシンデレラ物語が始まる。
主なキャストの3人はフランス生まれ。
音楽はマイ・フェア・レディと同じで
楽曲は似てはいるが楽しめはする。
映画のポスターは秀逸。
※
少女になりきったレスリー・キャロン
ある女性が、少女から大人の女性になっていく様を描いた「ミュージカル風」のヴィンセント・ミネリ監督作。
冒頭、ある歳をとっているが「粋」な雰囲気のオジサン(モーリス・シュヴァリエ)がブローニュの森で子供達などの紹介をする場面から始まる。
カラー映画なので、森の雰囲気、その後の鮮やかな色を使った映像が綺麗である。
その紹介された子供の中に、少女ジジがいる。ジジを演じているのはレスリー・キャロン。
「レスリー・キャロンって、こんなに子供っぽかったっけ?」と思うほど幼い少女。
その少女がだんだんと大人の女になっていく。
映画を観終わって確認したら、この映画公開時点でレスリー・キャロンは27歳!
よく、あんなに子供子供した少女を演じられたものだ…と感心してしまう。
「ミュージカル風」と記載したが、全編にわたってではないが「ところどころの場面で、登場人物が歌い出して、セリフが歌詞になる」映画。ただ、踊りは少ない。
変わったミュージカルである。
ちょっとだけ『マイ・フェア・レディ』っぽい場面があるが、あれほどのインパクト無し。
モーリス・シュヴァリエがお歳をめして出演していて、フランスを舞台にした映画なのでマッチしたキャスティング。
この映画で「お見事!」と思ったのは、冒頭部、「少女ジジがブローニュの森を出ていこうとする場面」が「家に帰り着いた場面」に繋がるのだが、この繋がるシーンでは共に「少女ジジがスクリーンの中央やや左上に、後姿で映されており、繋がる感じが素晴らしかったこと」である。
この編集は素晴らしい!
ただ、このシークエンス以外は全体的にあまり面白いものではなく、結末も見えてしまう感もあって、まぁまぁの作品だった気がする。
パリの裏社交界を怖れる ジジ
ベルエポックのパリ
地位(経済力)のある男性は 結婚してもなお、旬の恋を求める(イイトコドリ)
恋のお相手は 2つに分かれる
恋の終わりを心配する者
その運命に 果敢に挑戦する者
その気風に合わない ジジの一家は 前者で、アリシア叔母さんと リアンは後者か…
彼等は 華麗に生きようとする(美女が多い) 剛の者である
更に考えれば 叔母さんは「頭脳的戦略家」であり、リアンは「本能的戦略家」だろうか…
そんな叔母さんが、ジジに作法(+男心の掴み方)の指南をする処が 可笑しい
又、艶やかなリアンを演じる エヴァは、ザザ・ガボールの妹である
恋の熟練者 ガストンの叔父に シュヴァリエが扮し、叩き上げから 大スターに登りつめた存在感(魅力)をみせる
ガストンの ルイ・ジュールダンも 顔よし歌よし演技力ありで、実力発揮
ジジが 習った作法を披露するのを見て、胸を痛める(痛々しい… )
そして チェックの洋服で暴れまくる(?)ジジの
レスリー・キャロンが可愛い
ダンサーなので 動作も綺麗
娘から女性に変わる瞬間は 独身男ガストンの心を掴み、
(あの社会への反抗的な精神も、潰したくない)
ジジの全面的勝利で終わる
年を取ったせいか、ジジの周囲の大人達の思惑も理解出来、面白かった
パリを舞台にした アメリカミュージカルだが、
違和感はあまり感じなかった
ミネリ監督、大成功
恋愛モダニズム
20世紀初頭のパリが舞台。
当時の建築や美術は、アール・ヌーヴォーを代表とする、豪奢な曲線美を持つ装飾が良しとされた。とにかく豪華であればあるほど良かったのである。本作でもアール・ヌーヴォーの影響が室内をはじめ、至る所にみてとれる。
だが、同時にこの当時から、新たな建築様式によって近代化が図られていくのである。コルビジュエや、F.L.ライト、ミース・ファン・デル・ローエなどの革新的な建築家によって、建築はその装飾がとられ、シンプルになってゆく。ミースの言葉"Less is More"は有名だろう。
私は、これらの近代化の波が、ガストンの姿と重なって思えるのである。ガストンは、大衆の女性や文化を「Boring」と何度も貶している。そして、自分のありのままの姿を晒し、伸び伸びと生きる変わり者のジジに惹かれていく。ガストンは、ジジが大衆の作法を無理やり習得させられていることに怒りを露わにする。
ジジはパリでは何もかもが恋だと冒頭で言う。その通りなのだ。全ての行動は恋愛のため。恋の手ほどきとして、ジジは作法を学ばされていたのだ。
しかし、本当の恋の手ほどきとは「大衆に迎合せず、ありのままの自分であれ。」というアイデンティティを問うアドバイスだったのだ。革新的なアイデアはいつもマイノリティである。その素晴らしさは後になって気がつくもので、大抵は多くの人の批判を受ける。ガストン、ジジ、2人ともお互い自分らしさと周囲の批判との間で葛藤を抱え、苦悩する様子が、ミュージカルのサウンドに乗せて届けられる。そういう意味でもやはりこの邦題の素晴らしさが理解できるだろう。
そしてラストの、ジジの決意の言葉「みじめでもあなたと一緒にいたい。」これが答えだ。
20世紀初頭、文化とともに、恋愛も近代化の手ほどきを受けたのだ。
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