劇場公開日 2023年11月3日

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「予想を超える難しい映画だった。」軽蔑(1963) 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0予想を超える難しい映画だった。

2023年11月5日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

脚本家であるポール(ミシェル・ピッコリ)は、妻カミーユ(ブリジッド・バルドー)とローマのアパートで幸せだったが、アメリカ人のプロデューサーのジェレミー(ジャック・パランス)から、フリッツ・ラング監督の映画「オデュッセイア」の難解な脚本の修正を依頼される。アパートの購入代などが気になるポールは、妻がジェレミーに誘われるのを、黙認する。
ここで、ギリシアの叙事詩に親しんでいる西欧人ならば、イタケーの王オデュッセイア(ラテン語だとウリッセ、英語読みだとユリシーズ)が、トロイア戦争ののち10年間も漂泊し、彼の不在の間、妃のペーネロペー(ペネロペ)が多くの男たちに求婚されることから、容易に、ポールとユリシーズ、カミーユとペネロペ、ジェレミーと求婚者を対比できるのだが、我々日本人には手に余る。
結局、3人は、フリッツ・ラングが撮影を進めている映画のロケ地、あまりにも美しいカプリ島を訪ねるが、カミーユのポールに対する愛は冷めてしまい(軽蔑)、あまつさえ、カミーユとジェレミーは出奔する。おそらく、その背景には巷間伝えられているようなゴダール監督と(私の一番好きな)当時の妻アンナ・カリーナとの不安定な関係が影を落としているのだろう。
すると、人間関係だけでも、3層の構造があることに気づくのだ。底辺にゴダールの個人的な事情が横たわり、その上にポールとカミーユの劇的な関係、しかし、それにはユリシーズから由来する規範が存在する。
映画として見ると、ゴダールの始めたヌーヴェル・ヴァーグを基層に、長編第6作にして初めての大規模な予算をかけて製作に乗り出したイタリア・フランス合作映画であるが、ハリウッド映画の影もある。特に驚いたのが、62年当時すでにヨーロッパの映画産業には衰退が目立つこと。ハリウッドでは早くからテレビに押されていたことは知っていたが。そこでバルドーを登用したことは、よく判る。製作者からの要請があったとは言え、バルドーの肢体は、この世のものとは思えないくらい素晴らしいのだが、演技者となると疑問もある。表面上は、あんなに避けていたジェレミーと出奔したのち、表情に何の曇りもみられない。もちろんゴダールは、それを狙っていたのだろうが。
それにしても、あの「勝手にしやがれ」で輝いていた手持ちカメラの使用による疾走感はどこに行ったのか。セリフや演技の自発性は感じられ、カットの多さ、引用癖も十分、残っていたものの。やはり、64年のBande à part、65年の「気狂いピエロ」を待たなければいけないのだろう。

詠み人知らず