黒いオルフェのレビュー・感想・評価
全9件を表示
ユリディスの余韻と残像がもたらす切なさ
1959(日本は1960)年公開。フランス・ブラジル・イタリア映画。
【監督】:マルセル・カミュ
【脚本】:マルセル・カミュ、ジャック・ヴィオ
【原作】:ヴィニシウス・ヂ・モライス〜戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサゥン』
主な配役
【オルフェ】:ブレノ・メロ
【ユリディス】:マルペッサ・ドーン
【ミラ】:ルールデス・デ・オリベイラ
1.ジャンルは何?
Wikipedia日本語版は、「恋愛映画」という。
Wikipedia英語版は、「ロマンチック悲劇(直訳)」だ。
わたしは、「ファンタジー映画」として捉えている。
試写会に招待された原作者が、
「これは私の作品ではない 」
と語ったらしい。面白いエピソードだ。
それでも、パルム・ドールとアカデミー賞の外国語映画賞を勝ち取った。
勝手な想像だが、本作を高く評価する人と、真逆に評価する人がいるに違いない。
私は前者だが、全くつまらないと感じる人も多数いることは容易に想像がつく。
ジャンル不明だからだと思う。
◆単なる悲恋の物語?
◆リオのカーニバルのPV?
◆ギリシャ神話へのオマージュ?
◆ボサノヴァの魅力を広く知らしめた映画?
いずれも間違ってはおらず、
私がこの作品を何度も繰り返し観たくなるのは、
最初から最後まで、「切なさ」を感じ続けるからだと思う。
2.「切なさ」の正体
「切なさ」の正体は何度観てもハッキリとはわからない。
◆リオのカーニバルの熱狂
◆リオの雑踏
◆オルフェのお気楽ぶり
◆ミラの嫉妬丸出しぶり
どれも、「切なさ」とは、ほど遠い。
ただハッキリしているのは、
アメリカン―フレンチのマルペッサ・ドーンが演じたユリディスのピカイチの存在感だ。
テレビや映画の仕事の傍ら、ナイトクラブで歌手やダンサーとして働いていた彼女は、そこで監督のマルセル・カミュと知り合い、本作のヒロインに抜擢された。
※余談だが、マルセル・カミュとは結婚し、離婚した。
公開当時25歳、監督が魅入られ発掘した才能がオーラを放っているのか、
観客であるはずのわたしは、
理不尽な運命を背負ったユリディスを憐れみ、
そして、作中のオルフェと同じように、
ユリディスを探し続け、
ラストまで、ずっとユリディスの余韻と残像に浸っていることに気づく。
そしてオルフェと同じ道をたどるのだ。
(もちろん、脳内でww)
3.まとめ
撮影技術に特徴があるわけではなく、
ストーリーに取り立てて工夫もなく、
電車や崖から転落するシーンは笑えるくらいに稚拙だ。
だから、「なんでこれがパルム・ドールとれるんや」という人がいてもまったく驚かない。
私の周囲も本作を高く評価する人は少ない。
思うに、
◆ユリディスを探し続けるオルフェに感情移入してしまう人、
◆マルセル・カミュ監督と同様にユリディスの不思議な魅力にやられた人
だけが本作の価値を認めるのではなかろうか?
☆5.0笑
理解及ばず
コルコバードとポン・ヂ・アスーカルに挟まれた岡がロケ地の様だ
コルコバードとポン・ヂ・アスーカルに挟まれた岡がロケ地の様だ
サンバが途絶えない。観光映画そのものだったのだが、途中からフランス映画特有の抽象的表現が始まる。まぁ、ギリシャ神話だから仕方ないが。サンバの踊り中心で演じさせても良かったのではと感じた。みんなメチャクチャうまい。
音楽はサンバとボサノバ『黒いオルフェ』の主題歌。2つが絡んで表現されているのかなぁ。最初、ユリティスがサンバに溶け込めない雰囲気が気になった。ボサノバとサンバはブラジルの民族音楽(?)と言えるかなぁ。(本当はよく知らない)
中村とうよう先生なら詳しかったんだけどね。
ボサノバジャズとか言った分野もあったが、JAZZが好きでも、この分野は、僕には、肌に合わなかった。まぁ、スタン・ゲッツの『イパネマの娘』とか好きな曲だったけどね。
追伸
思い出した。ボサノバって、日本では、金持ちが聞くJAZZで、白人が作ったJAZZだと、今は亡きオジキが言っていた。オジキはベースマンだったから、そうなのだろう。イパネマの娘も親父やオジキが好きで、良く聞いていた。僕は最初好きだったが、耳障りが良すぎて、これなら、『ヴィバルディの方が良いなぁ』って思った事を思い出した。『ヴィバルディの方が良いなぁ』って思ったは嘘かもしれない。
名曲揃い
アントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファというボサノバの二大巨頭を世界的に有名したことの意義は大きい
60年前のリオのカーニバルを活写した作品
主題歌はあまりにも有名で、映画音楽の全集に収録される事が多い
題名の通り、筋書きはギリシャ神話をそのまま当時のリオデジャネイロの山の斜面の黒人達の住むスラム街ファヴェーラとリオデジャネイロの中心部に置き換えている
物語は神話から比較的素直で単純な置き換えをしたもの
コクトー監督のオルフェの様に何かを暗喩して政治的意味合いを持たせるというようなのもではない
その悲恋物語をリオのカーニバルとボサノバで彩って観せているところが最大のポイントだろう
公開当時、まだそれらはもの珍しく新鮮だったのだ
しかし21世紀の私達にとってはそうではない
だからラストの日の出と共に子供達が歌い踊るシーンなど印象に残るシーンも幾つかあるが、全体としては、現代人の目からすると散漫で退屈と言わざるを得ない
もっと言えばフランス人監督という外国人の目を通したエキゾチズムの映画と言えるのかも知れない
それでも本作はアントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファというボサノバの二大巨頭を世界的に有名したことの意義は大きい
そして、その楽曲の素晴らしさ故に星半個オマケしなければならない
音楽とカーニバル
総合:55点
ストーリー: 40
キャスト: 70
演出: 60
ビジュアル: 75
音楽: 80
カーニバルの前夜ということで、町には始終音楽が鳴り響く。映画の中でも始終歌って踊って大袈裟に動いて大袈裟に科白を言う。カーニバルだから音楽と踊りはまだいいとして、どうもこの大袈裟なラテン気質の乗りにはついていけない。だが騒がしい人々の中で物静かなユリディス役の女優が初々しくて良かった。
元はギリシャ神話の有名な話から製作されたということだ。だがブラジルの現代劇にしているということもあってか、神話の内容から想像していたものとは趣も随分と異なる。
愛する妻のためではなく、会ったばかりで一夜の相手のために死者を探し回るオルフェ。神話では黄泉の国に人が入るため、オルフェは渡し守カローンや番犬ケルベロスに哀しい音楽を聞かせて感動させた。映画ではその代わりに警官や医師が出てくるが、せがまれても特に彼らに音楽を聞かせることなく、それでもオルフェはあっさりと中に入れてしまう。
そして建物の中では、死んだユリディスの代わりに、彼女の精神が乗り移った霊能者が登場。振り返っては駄目、神話同様にそう言われても振り返ってしまうと、そこに美しいユリディスの代わりにいたのが、しわくちゃ顔のブラジル版「いたこ」の婆さん。そりゃオルフェじゃなくても逃げ出したくなるだろう。本当は深刻な場面なのだろうが、思わず笑いがこみ上げる。物語は神話のありえない世界を、そんなかんじで強引に現代劇にしたことで無理がある。
ボサノバの巨匠アントニオ・カルロス・ジョビンがサントラを手がけている。賑やかなサンバの合間に流れる、静けさと哀愁を湛えた名曲「カーニバルの朝」がとても印象的。名曲です。華やかなカーニバルの雰囲気と音楽を楽しむ映画だろうか。
迷ったら戻っておいで。いつもここにいるから。
映画「黒いオルフェ」(マルセル・カミュ監督)から。
物語の背景に、リオのカーニバルがあるので、
サンバのリズム独特の陽気さに騙されそうだが、
50年以上前に製作された作品という事を差し引いても、
正直、監督はじめスタッフは、私たちに何を伝えたかったのか、
判らないまま、鑑賞を終えた。
台詞的に惹かれたのは、主人公・オルフェの上司、
エルメスが、はじめてリオに着いた、ユリディスに掛けた言葉。
「私はエルメスだ」と自己紹介した後、道案内をして
「迷ったら戻っておいで。いつもここにいるから」と。
このフレーズは、応用がきそうだ。
道だけでなく、人生に悩み、自分の進む方向に迷っている若者に
声を掛けてあげたい。
「迷ったら戻っておいで。いつもここにいるから」。
さて、タンバリンが非常にうまい子どもや、
死神の仮面を付けた、理解に苦しむような登場人物に対して、
どう反応して良いのか、迷った作品であった。
本当に、昔の映画って感じのする、意外なフランス作品である。
全9件を表示