「銀幕に悲喜劇を持ち込んだ草分け的作品」キッド(1921) pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
銀幕に悲喜劇を持ち込んだ草分け的作品
民族の祭儀としてではなく、文化的な演劇(ドラマ)の歴史は紀元前5世紀頃の古代ギリシア悲劇に端を発すると思う。同時期に喜劇も誕生し、ギリシア喜劇を意味するコーモディアがコメディの語源となった。
アリストテレスは「悲劇は優れた者を描くのに対し、喜劇は劣ったものを描く」と定義した。
それ以降、人の長い歴史において「悲劇・史劇」は高尚で価値のあるもの。
「喜劇」は悲劇の前座や休憩時の添え物という位置付けを余儀なくされてきた。日本の芸能史においても、能と狂言の関係性には似た構造を感じる。
シェイクスピアはそこに一石を投じた。「終わりよければすべてよし」「尺には尺を」「トロイラスとクレシタ」の3作品は悲劇とも喜劇とも分類しがたい「問題作」として、研究者を唸らせた。
そしてチャップリンの「キッド」は、シェイクスピアに勝るとも劣らない、革命的概念を演劇(ドラマ)界に持ち込んだ。
喜劇の中に、切ないまでの悲劇と、人間の根底にある情愛を見事に描いて見せたのだ。
本作を通して、喜劇は悲劇の添え物、メインディッシュの付け合わせであった長い歴史に終止符を打った!
人生はクローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇だ、とチャップリンは言った。
だから、もしも我々が今、現実問題として辛い悲劇に見舞われていようとも、長い人生史の観点で見れば違った意味も見えてくるだろう。
ご存知の方も多いと思うが、本作制作開始の直前に、チャップリンは第一子を亡くしている。
また、チャップリン自身、子供時代に母親と無理矢理引き離されて孤児院へ送られたのだ。そういう血肉を伴った人生経験が主人公(リトル・トランプ)と養い子が警察に引き離されそうになる時の珠玉の名場面を生み出した。
血縁ではなく深い愛情で結ばれた親子の絆。見返りなど求めぬ掛け値無しの愛が観る者の心を打つ。
当時、7歳だったJ・クーガンはチャップリンが演じてみせた通りにそっくりコピーする事が出来たそうだ。天才子役の名を恣にしたクーガンの名演技の背景にはチャップリンの天才性こそが透けて見える。
気に入ったカットが撮れるまでリテイクを繰り返し、最終的なフィルムの長さは本作の50倍に及んだという。
そんな妥協を許さないチャップリンの姿勢がこの名作となって結実した。
悲劇が高尚で喜劇が低俗であるという既成概念を打破し、悲劇喜劇は同一事象に対する観点の違いに過ぎない事を提言してみせた。
演劇史、映画史における一つの転換として貴重な価値のある作品だと考える。