「ネオレアリズモの継承者エルマンノ・オルミ監督の19世紀の自然と人を見詰めた映像詩」木靴の樹 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ネオレアリズモの継承者エルマンノ・オルミ監督の19世紀の自然と人を見詰めた映像詩
ネオレアリズモの伝統を受け継いだエルマンノ・オルミ監督のこの作品は、今では誰もが気にも留めない、凡そ商業映画では題材に挙げられることのないであろう、19世紀末イタリアのアルプスの麓に位置するベルガモに生きる貧しい農民の日常を詩情豊かに描いていて、却ってそれが今日失われている人間の根源的な生命観を提示して感動させるものがある。ここには、映画制作を行う前提において、純粋な映像表現に対する強かな意図がオルミ監督にあったはずである。つまり、社会主義が浸透し始めた時代背景の、まだ資本主義の恩恵を受けることのない、領主たる地主の支配下で貧しいながらも大地と共に生きる人々の喜怒哀楽を静かに見詰めた、民主主義以前の社会批評の視点が、背後に意識されている。地主の強権を揶揄したり過剰に批判せず、小作人たちの虐げられた苦しみや悲しみもドラマティックに描かずに、当時のあるがままのエピソードを積み重ねる冷静なオルミ監督の観察者としての立場が明確である。
唯一の劇的なエピソードは、題名にもなっている木靴に纏わる挿話くらいで物語を閉じる。バディスティ家の長男ミネク少年が村で初めて小学校に通うことになったが、彼の二番目の弟が誕生した日に一足しかない木靴を割ってしまい、それで父親が地主所有のポプラの樹と知りながら伐って息子の為に木靴を作る。だが、そのことが地主に知れ、たったそれだけのことでバディスティ一家は共同農場を追われてしまう悲劇である。そこに農民たちの怒りは表現されていない。僅かな抵抗も許されない身分に甘んじるしかない小作人の立場が何とも痛々しい。そんな農民たちの生き生きと働く姿や静かに眠る姿、時にはお祭りで騒ぎ楽しむ姿、家族団欒の食事風景と、質素でも生命力ある人間の営みが丁寧に克明に描かれている。また、ブレナ家の娘マッダレーナが新婚旅行でミラノへ行く船出のシーンが美しい。そのミラノでは偶然にも労働者のストライキに出くわすのだが、彼らには別次元の事の様に思われるだけだった。ここにオルミ監督の意図した時代背景が象徴的に表現されている。
北イタリアの四季折々の変化、紡績工場や畜舎などを捉えたカメラワークは、オールロケの自然な美しさに満ち、自然光と蝋燭の炎に彩色された絵画の如き映像美として見事に再現されている。1978年に制作された価値も、3時間を超える上映時間の意味もあるイタリア・ネオレアリズモ映画として記録されるべき作品。そして、この映像美に溶け込むバッハのバロック音楽が素晴らしい。地上から垂直に高鳴り天から降り注ぐ慈しみのバッハの音楽が、この19世紀の人々を温かく包み込んでいる。
1979年 6月24日 岩波ホール