木靴の樹のレビュー・感想・評価
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19世紀を再現
19世紀の農村に暮らす小作農の日常。それは絵画のような美しさだが、現代人には計り知れない感覚もある。特にキリストへの祈りは印象的で、それによって日々が救われもするのだが、貧しいのに学校に遣る羽目になったり(それである一家は破滅に)、新婚早々養子を取らされたり、今の日本に生きるものからすると、教会による搾取のように見えてしまう。/新婚旅行で行ったミラノの光景も印象的。当時、田舎の農村から都会に出るとは、単なる場所の移動ではなく時代の移動でもあったのだ。あの場面だけ、急に時空がねじれて変なところに転送されたSFのようであった。
観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ 紛れもなき名作。この歳にして映画には“映画の匂い”が有ることを教えてくれた。一生の内に何度も巡り会えない珠玉の映画体験。いつか映画館で観たい。
①映画に本格的にはまり出した高校生の時。当時愛読していた「スクリーン」「キネマ旬報」等の映画批評家の先生達のその年のベストテン投票で軒並みベストワンに選ばれていた本作。
だから傑作であることは元より承知していたし、だからずっと観たかったのだが、実際鑑賞してみたら想像以上。
②映画の舞台となった土地でのオールロケーション、人工照明を一切使わない撮影(実際DVDでは夜のシーンなど見ずらい)、出演者はみんな素人(本当に農家の人達)、一見ドキュメンタリー映画に限りなく近いものを作ろうとしたように思えるが(私もそういう映画だろうと思っていた)、紛れもなく“「映画」の匂い”のする映画である。(感覚的なものなので上手く説明できない、今は。)
絵画を眺める様な3時間
1978年製作のイタリア映画で「パルムドール」。日本公開が1979年なんで、観たのは大学入学前後ですかね?もう、よく覚えてないけど。とにかく、これが、ワタクシにとっての「カンヌ」の、「パルムドール」のハードルになってるんですよ、間違いなく。
19世紀のイタリア。4つの小作人家族。各々の家族に起きる出来事。協力して農作業にあたり、一つの家族の様に集まって過ごす人々。他の家族には明かせない秘密もあり。追い出される家族に差し伸べる手も無く。ただ息を潜めて、目の前から消え去るのを待つだけの人々。一家が立ち去った後に、家から出てくる人々の怖れな悲しみや安堵感。
絵画を眺めている様な映画です。徹底したリアリズムです。控えめなプロレタリア文学。私たちは、こうやって生きて来たのだと言う記録。ただただ、描く。人々の生活を、ただ描く。ただただ、それを眺める私たちは、人間の本質に思いを馳せたり、考えたりするのだけれど、結論じみたものは無く、残された3家族と若夫婦と一緒になって、農道をゆらりゆらりと揺れながら遠ざかっていく灯りを見送るだけだと言う。
やっぱりパルムドールのハードルは、たけぇぞ。って事で。
良かった。
レベチだった。
何もかもが。
(広島市映像文化ライブラリーにて劇場鑑賞)
ネオレアリズモの継承者エルマンノ・オルミ監督の19世紀の自然と人を見詰めた映像詩
ネオレアリズモの伝統を受け継いだエルマンノ・オルミ監督のこの作品は、今では誰もが気にも留めない、凡そ商業映画では題材に挙げられることのないであろう、19世紀末イタリアのアルプスの麓に位置するベルガモに生きる貧しい農民の日常を詩情豊かに描いていて、却ってそれが今日失われている人間の根源的な生命観を提示して感動させるものがある。ここには、映画制作を行う前提において、純粋な映像表現に対する強かな意図がオルミ監督にあったはずである。つまり、社会主義が浸透し始めた時代背景の、まだ資本主義の恩恵を受けることのない、領主たる地主の支配下で貧しいながらも大地と共に生きる人々の喜怒哀楽を静かに見詰めた、民主主義以前の社会批評の視点が、背後に意識されている。地主の強権を揶揄したり過剰に批判せず、小作人たちの虐げられた苦しみや悲しみもドラマティックに描かずに、当時のあるがままのエピソードを積み重ねる冷静なオルミ監督の観察者としての立場が明確である。
唯一の劇的なエピソードは、題名にもなっている木靴に纏わる挿話くらいで物語を閉じる。バディスティ家の長男ミネク少年が村で初めて小学校に通うことになったが、彼の二番目の弟が誕生した日に一足しかない木靴を割ってしまい、それで父親が地主所有のポプラの樹と知りながら伐って息子の為に木靴を作る。だが、そのことが地主に知れ、たったそれだけのことでバディスティ一家は共同農場を追われてしまう悲劇である。そこに農民たちの怒りは表現されていない。僅かな抵抗も許されない身分に甘んじるしかない小作人の立場が何とも痛々しい。そんな農民たちの生き生きと働く姿や静かに眠る姿、時にはお祭りで騒ぎ楽しむ姿、家族団欒の食事風景と、質素でも生命力ある人間の営みが丁寧に克明に描かれている。また、ブレナ家の娘マッダレーナが新婚旅行でミラノへ行く船出のシーンが美しい。そのミラノでは偶然にも労働者のストライキに出くわすのだが、彼らには別次元の事の様に思われるだけだった。ここにオルミ監督の意図した時代背景が象徴的に表現されている。
北イタリアの四季折々の変化、紡績工場や畜舎などを捉えたカメラワークは、オールロケの自然な美しさに満ち、自然光と蝋燭の炎に彩色された絵画の如き映像美として見事に再現されている。1978年に制作された価値も、3時間を超える上映時間の意味もあるイタリア・ネオレアリズモ映画として記録されるべき作品。そして、この映像美に溶け込むバッハのバロック音楽が素晴らしい。地上から垂直に高鳴り天から降り注ぐ慈しみのバッハの音楽が、この19世紀の人々を温かく包み込んでいる。
1979年 6月24日 岩波ホール
救いと絶望
絵画的な映像が美しい。しかしその内容は決して楽しくも美しいものでもない、むしろ辛いことの連なり。その中にある小さなユーモアや幸せが何ともいえないスパイスとなって、3時間もある作品ながらも興味を失うことなく観賞し終えた。
一般の地元の農家が多く出演しているということもあるのか、リアルな生活感が滲み出ていたように思う。
登場人物が多く、絡み合う物語も非常に多くて、正直途中誰がだれなんだか分からなくなってしまうが、多種多様の物語がうまい具合に展開している故に飽きることがなかった。
バッハの音楽と信心深い演出が効果的に物語を盛り上げて、何ともいえない締め方をつくりあげている。
ネオレアリズモの最後の傑作
通底に共産主義革命への共感を呼び掛けるテーマを内包している
それが単なる日常の毎日のとるに足りない事件や事柄を淡々と描きながら、観るものを飽きさせない力を与えている
共産主義体制には幻滅した現代ではあるが
40年以上昔の夢と理想をまだ共産主義に抱けた時代の熱を感じる
じいちゃんが壁沿いに植えたトマトの土のように、ほのかな熱が残っているのを感じる
貧しい農民の子供が教育によって社会の矛盾を感じとり目に光を宿すラストは、未来の革命を信じた、汚れの無い光だ
しかし現代では、それももはや地に墜ちて泥にまみれているのだ
馬蹄に隠した金貨のように、どこにももうないのだ
それでもなおこの作品には力がある
美しい映像
ミレーの絵の世界そのまま
あるがままの当時の北イタリアの寒村貧農の日常がフィルムに写しとられている
日本で言えば明治期、その時代の日本の田舎の貧農とさして変わらぬ暮らしのリアルティ
バルビゾン派の絵画がフランスの農村のあるがままを描くことだけで、社会の階級間の緊張を煽ると非難された欧州の当時の空気
それまでを観客に感じさせるように巧みな構成をみせる
樹を切るまでに至る小さな罪の積み重ねで良心のハードルが下がっていく様を丁寧にみせる優れた脚本
何より素人の村人の自然な演技
その視線!
怒鳴る事もない
泣き叫ぶこともない
最小限の台詞、飾る言葉もない
なのに目が離せない3時間
監督の卓越した手腕を感じました
ミレーの絵画がネオレアリズモで再現された
といえばそれで十分ではないかと思える。それくらいに作品の立ち位置が明確でわかりやすい。
立ち位置の平明さというのは大事なことだと思うわけです。言い換えると、映画作家として自分に正直であり、聴衆に対しても正直だということ。実直ということでもある。
描写が秀逸!
19世紀後半のイタリアの農村での『身分制』、『信仰や教会との関わり』『多世代が寄り添い支え合う生活』などが淡々と描かれている。
撮影した時代と土地、空間に引き込まれるような、不思議な錯覚に陥る、素晴らしい映画。
(長すぎるのが、珠に傷。)
ニューシネマパラダイスを思わせる映画。 会話が少ないぶん、少しの動...
ニューシネマパラダイスを思わせる映画。
会話が少ないぶん、少しの動作や表情に魅せられる。
牛や豚、鶏を捌いたり、トマトを作ったりして生計を立てる農民の姿は、希望に溢れるものではない。
でも、生活に余裕がなくても、心にゆとりがあって、そこがとても素敵だ。
最後に、立ち去らねばならなくなった家を見て涙を流すミネクに、心打たれる。
自然とともにある人と人との繋がりを間近で見たような感覚だった。
しみじみと観てよかった
イタリアなのにすっきり晴れた青空がほとんどない。でも家族と家畜と畑がある。
とても大変な生活だが、恵がある。
隣人愛、巡礼?のように突然やってきた人に当たり前のように食事を振る舞う。
妻の3人目の出産を気づかう夫。出産後のシーンはとてもよかった。
このお父さんは息子を学校にやるように神父さんに言われ、自分も学はないと言いつつ大きな愛情を持って学校に行く息子を見守っている。その愛ある姿に心打たれた。
若い2人のハネムーンは船で2時間ほどの大都会で、労働者のデモや逮捕者に出くわす。
結婚の贈り物⁈
素直に受けとる二人に隣人愛を見た。
1978年作品
38年前、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしたでょうか?。確かスターウォーズも、この頃でしたよね。ついでにガンダムもね。未来に、夢を馳せることも、過去を学ぶことも、お手軽にできる現代です。ところで、人は、過去から未来に向かうなかで、進化しているのでしょうか?。作中、愛という言葉が、何度か使われます。好き嫌いの感情を意味するのではなく、人が人を大切に敬う意思として。ところが、この作品でさえ『隣人愛も、おしまいだな』っていうセリフが出てきます。人が暮らしやすいように、ルールや、システムは、改善されているようです。でも、人そのものは?。監督さんの前作「楽園からの旅人」、本作、そして次回作の予告を観て、ちょっと考えちゃいました。ま、答えの存在しない問いかけですね。
う~ん、映画だ!
昨今、映像で語る映画が少なくなってきてるので、映画らしい映画を見たように思える。古ぼけ煤かぶりしているような画面が郷愁を感じさせる。不幸に対して人はあまりに無力であることがひしひしと伝わってくるが、現代人はこういう作品に疎くなっていくのではないかな?
当時観ておけば、と後悔しましたがやはり良かった
多分大学生の頃、単館系では異例のロングランとのことで観たいと思いましたが、重そうなストーリー故に見送った様に記憶しています。それから約20年の時を経て、こうして観てみると3時間超えの長尺とはいえ、何故か飽きのこない作りなんですよね。農民の平凡な日常が淡々と語られているだけですが、不思議と心が浄化されていく様な感覚になりました。ラストシーンは余りにも悲しく不条理、何の救いもありません。でも観て良かった。
奇跡の映画
たんたんと19世紀の北イタリアの貧乏な小作農たちの生活が描写される。神を信じ、馬で畑を耕し、鳥を絞め、豚をさばき、牛が病気になり神に奇跡を祈り、金貨を拾い、雨の中洗濯をする。どこかで見たことがあると思えば、アーミッシュの生活、ミレーの落穂拾いのような光景が続く。どんなに暮らしは貧乏でも子供たちはたのしそうであり、親の手伝いをしたり、おじいさんの怪談を聞いて夜を過ごし、街の祭りに興じる。出てくるのはすべて現地の村人で、演技なのかなんなのか分からないが、すべてはとても自然で違和感なく、今でもこんな暮らしをする人がいて、ドキュメンタリーなのだと言われても信じてしまいそうだ。ストーリーらしいストーリーもなく細かいエピソードが積み重ねられていく。農民たち、妻たち、子供たちの無邪気な表情やしぐさに驚嘆し、どうしてこんな映画が可能なのか驚愕してしまう。
1978年カンヌ国際映画祭でのパルムドール受賞作品が37年ぶりのリバイバル上映。3時間の長い映画なので観るときはちょっとした覚悟が必要かもしれない。
観終わった後は血液サラサラ
遠赤外線のように心の奥にじんわりくる作品で、伏線がどうの謎解きがどうのと論理的に解説するような映画では無いです。
けど、有名評論家とか人気アイドルがオススメするのと違って、無名のレビュアーが、具体的なシーンに言及せずに、名作だ最高だと力説してもあんま説得力ないからなー
だからネタバレ無しでオススメするのが大変に難しい。
食べ物で例えると、極上の米を極上の水で丁寧に炊いた白粥? みたいな映画。
美味しんぼで、富豪の京極さんを感涙させた、白飯と味噌汁と鰯の丸干し と言ったら伝わりますかしら。
イタリア映画なのに和食に例えるのは変だと思われるかも知れませんが、イタリアも南北に長い国なので、どこもかしこも太陽がいっぱいでチャオでアモーレでマンマミーアとは限らない。
アルプスの麓、北イタリアの農村(標高1000mですってよ奥さん!)を舞台にしたこの映画の風景は、(既出のレビューでも幾多指摘があるように)、ミレーの『落ち穂拾い』の世界です。フランドル地方とか北方ドイツ的な風景。
なので、イタ飯的な味わいを期待していくと肩すかしで物足りなく思うかも。
ヒジキの炊いたん とか 胡瓜の浅漬け と聞いて「貧乏臭い」「そんなの御馳走じゃない」と蔑む人にはこの映画を強いてオススメはしません。どうせ「退屈」「寝た」「中身がない」とか言うに決まってるもん。
農民の日常を淡々と描いていく地味な映画なんですけれど、地味だけど極上です。こういう作品は滅多にない。だから他の映画を引き合いに出して説明するのも難しくて。
DVDもBDもすでに出ていますが、
(Amazonのカスタマーレビューでも、高評価の皆さんの熱のこもったレビューがupされていますので参照を)、
強いて「劇場へ」とお誘いする理由は、
ALL自然光で撮った映画なので、屋内の薄暗いシーンや夜間のシーンが、家庭用の小型のモニターだと真っ黒につぶれてしまうからなんです。
観れるものなら劇場で観た方がいいです。
今回(2016/03/26~)も、ミニシアター系で、全国でも数えるほどしか上映館がないようですが、もし可能なら隣県まで車とばしてでも見に行く価値がある名作です。
高校や大学の映研の皆さんは部費を使い込んでレッツラGo!ですわ。
で、3時間の長丁場なので、上映館のイスが頼んない場合はクッション膝掛け首枕など各自持参のこと。上映中にトイレに行きたくならないように、水分摂取はひかえて事前にトイレをすませて ってツアーガイドかわたしは。
安っぽいお涙ちょうだいの作品とはわけが違う、本物の家族愛の映画なので、家族連れで観に行くのもお勧めですが、あまり幼い子供さんだと3時間おとなしく観賞するのは苦痛かも知れません。その辺は親御さんの御判断で。
あと、ちょっとだけネタバレだけど、いいですか? ネタバレ許すまじ!! という方はハイさようなら。
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農民の日常として、家禽や豚を捌くシーンがあります。刺激的な撮り方ではありません。日本の家庭で鯵を3枚おろしににするぐらいの日常感覚で。冬がくる前の季節行事のように、近隣総出で御領主様の豚を一頭 屠ります。(冬の低温で生ハム作るのかな)
映画の出演者は全員 現地の農業従事者の方々。プロの俳優は一人もいません。生き物が食材に変わるまで、取り直しの効かない一発勝負。わざわざグロいところをクローズアップしたりはしませんが、殺されていく豚の悲鳴がリアルです。音声にヤられる。
90年秋に日比谷のシャンテ・シネで上映されたとき何度か通いましたが、しばらくは気安く肉が食えなくなりました。(ダイエットの開始にはいいかも)
なので、家族連れで観にいく場合、子供さんのキャパを考えて、親御さんが御判断ください。ある程度の年齢に達していれば、こうやって他の生き物の命をもらって私達は生きていくのだと教えるのにはいい機会かも知れません。
そ、それと、(こうやって毎回長文になってゆく)
シャンテ・シネで発行している劇場用パンフは、台本が全編収録されているので、予習・復習に大変役立ちます。
Amazonで古本なら¥1~でしたよ。(2016/03/26調べ)
ちなみに、知ってる人は知っていると思いますが、Amazonでは映画のパンフやチラシは「おもちゃ」のカテゴリーです。
過去に岩波ホールやその他の劇場で発行されたパンフの古本も買えるようですが、台本収録されているかどうか、すいません未確認です。
今回の劇場用パンフがどんな作りかわからないけれど、もし台本が収録されていなかった場合はシャンテ・シネ版をどうぞ。
ディスクがあれば台本いらんやろ、と思われるかも知れませんが、映画を何度観ても気づかなかった箇所の意味が、台本のト書きを読んで目から鱗で、登場人物に惚れ直してしまったので。その経験からお勧めする次第です。
このさき、その目から鱗のシーンのネタバレになります。もうネタバレはたくさんじゃというひとはここで画面を閉じてください。さらば。
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農民たちの集合住宅は、メゾネットみたいな作りで、1階から梯子を上がって1階の天井板=2階の床板 を押し上げて、という入り方もできるのですが、外階段を上がって2階の部屋のドアから入る行き方もできます。
主人公ミネク少年の父バティスティが畑仕事をしていると、近隣の少年が「赤ん坊(ミネクの弟、次男)が生まれたよ」と呼びにきます。
急いで家に帰ったバティスティは、まず1階の部屋で藁くずや土埃をはらって、身だしなみを整えて、それから遠回りして外階段を通って2階部屋のドアから入ります。出産という大仕事を終えた妻への敬意の表れとして。
ほんとにいいお父さんで、& 妻のバティスティーナ(ヨシオさんとヨシコさんの夫婦みたいなもんか?)も大地のような包容力のある女性で、映画は悲しい結末なのに、鬱な気持ちにならないのは、このお母さんの無言の包容力があるからだなと思いました。
観終わった後は血液サラサラです。
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あ、でも、うっかりこんなこと言うと薬事法違反で糾弾されるかもしれない。
心が洗われるような映画 って言えばよかったのね。
どうか大ヒットしてロングランになって、上映館が増えますように。
地元のミニ・シアターでリクエスト受け付けてくれるようなら、言うだけは言ってみましょうとりあえず。
本物中の本物です。
あと、蛇足かもしれないが、一部の映画専門サイトで、この『木靴の樹』の「ストーリー紹介」デタラメ書いてはります。
名指しは角が立つので敢えてサイト名は書かないが、複数のサイトで「事実に反した不適切な」記載になっておりますえ。
AmazonのDVD、BD の「商品の説明」のとこのストーリー紹介が適切かと。
今回、このレビューを投稿した当サイトのストーリー紹介はマトモでした。
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続く
かもしれない。
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ネタバレありでいいなら、書きたいことはなんぼでもある。
マリ・クレール日本版1990年11月号に掲載のオルミ監督のインタビューの話とか、伏線だと全く感じさせないで、でもやっぱり冒頭に大事なセリフがさりげなく潜んでいるとことか。
拙ブログに続きを書くかもしれないけど
いつうpかどうかの明言はさけます。いつも有限不実行なので。
一応、ブログタイトル『ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫』
※シャンテ・シネ版の『木靴の樹』パンフの表紙画像 貼っときました。2016/03/26の記事に。
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