「《潜水艦映画》の金字塔。」眼下の敵 こっこさんの映画レビュー(感想・評価)
《潜水艦映画》の金字塔。
今は亡き父が大好きで、自分も大好きになり、テレビ録画したVHSから、特別限定販売のBDに至るまで40年近く、もう数え切れない程の回数を観た、正に《潜水艦映画の金字塔》と言って良い、素晴らしい戦争映画の傑作です。
原作は有るようなのですが、脚本,配役,演出に至るまで『男がシビレる最高に格好良い』名作だと思います。
そして、それからウン十年経って思うのは、娯楽映画としての《戦争映画》と云うものは、世界中探しても『今や殆ど存在しない』のではないかと強く感じるのです。
不思議なものですよね、何十年か昔、まだ従軍経験のある年配の方がゴマンと居た時代には《娯楽小説としての戦争映画》は、欧米でも日本でも映画の中でも稼ぎ頭に近いものでした。
日本だって、岡本喜八の『独立愚連隊』シリーズ等、素晴らしい娯楽戦争映画が沢山有りました。
それがドンドン時が流れ、世界規模の戦争が減ってきた途端「戦争の映画を『楽しい』なんて感覚で観るもんじゃないよ」と云う〈圧の様な、忖度の様な雰囲気が〉世界を覆い、舞台を宇宙にでもしなければ《楽しめる戦争映画》はもはや殆ど無くなりました。
逆に今作られるのは、日本なら文科省が喜びそうな《反戦・平和第一の映画》くらいなものです。
それは一見平和主義的な見方で「人が人を殺す事を愉しむもんじゃない」と云う理屈なのでしょうが、では時代劇やアニメ作品では何故未だに、合戦や戦闘シーンが人々を惹きつけているのだと考えるのでしょうか?
勿論、現実でそして現在も《本当の戦争で生命を落としている方々が》いらっしゃいます。それはそれで大変に痛ましい事だと思います。
しかし、それだから世の中から「娯楽性のある戦争(戦闘)映画を全て製作しちゃダメー!」にしたら、“この世の中から戦争が無くなる”のでしょうか?
それは余りに短絡的でお花畑の発想であり、酷く薄っぺらな安全保障観だと強く思います。《戦いによって人々が傷付き、その仇を取るために人々が結束し、敵と戦う》そういう映画が有っても良いと思います。
もっと良質で事実に基づいた、潔く背中に一本鉄骨が入った様な、心躍る戦争映画が今後も作られる事を祈ります。
と云う訳で、そうした娯楽映画としての戦争映画の名作として、本作が有ります。
第二次大戦下、かたやヨーロッパを恐怖に陥れたドイツのUボート、かたや最新式水中ソナー及び爆雷発射装置を完備した米軍駆逐艦、この2隻の艦船が、大西洋の或る海域で偶然遭遇し、兵士としての(男としての)意地を賭けて、虚々実々の駆け引きを経ながら《針路140》へ向け、戦いを続ける壮大な映画作品です。
米軍側のロバート・ミッチャム、独軍側のクルト・ユルゲンス、この二大スターが《己の誇り》を懸けて、どこまでも諦めずに戦い続ける様は、何度見ても陶然とさせる素晴らしさです。
この映画の〈ミソ〉は、互いに一隻同士の一騎討ちであるということです。駆逐艦が幾ら最新鋭の兵器を積んでいたとしても、正確な敵艦の位置は完全には特定出来ず、逆に海中深くに潜航し、敵から何も見えずに360°転回出来る潜水艦は、逆にどの角度からでも魚雷を撃つことが出来るのです。
Uボートが、連合国軍の作ったこの“進化した水中ソナー”で居場所を見付けられ、更に暗号も解読され、フルボッコにされるのはまだ先の話で、むしろこの時期は、連合国軍が、いつ何処から現れるとも知れないUボートの、一般貨物船籍をも含む無差別魚雷攻撃に戦々恐々としていました。
ですから作中でも、連合国軍は『Uボート一隻に対しては、駆逐艦なら最低3隻で戦闘すること』と決められていると云う台詞が出てきます。
さぁ、こうした条件下で、男と男のぶつかり合いはどちらに軍配を上げるのか、観ていない方は早急にBDでも探してw、御覧頂きたいと思います。
(ちなみに、その後に作られた《潜水艦映画》でこの作品と同等の面白さだったのは『レッド.オクトーバーを追え!』ぐらいですね。)
個人的には、独軍のクルト・ユルゲンスに心を打たれました…。ラスト・シーン、格好良い〜。