神の道化師、フランチェスコ

劇場公開日:

神の道化師、フランチェスコ

解説

イタリア・ネオリアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニが、アッシジの聖人フランチェスコと彼を慕う修道士たちの姿を描いたドラマ。

神の教えに従い、幼子のように生きるフランチェスコ。世間はそんな彼を嘲笑するが、教皇は彼を尊び教えを説くことを認める。フランチェスコとお人よしのジョバンニ、単純素朴なジネプロなど、日々をともにする“小さき兄弟”たちが、苦悩を抱えながらも伸びやかに生きる姿を、ユーモアを交えながらリアルに映し出す。

ロッセリーニ監督とフェデリコ・フェリーニが共同で脚本を手がけ、14世紀頃に精選された名詩選「聖フランチェスコの小さい花」と「兄弟ジネプロ伝」に着想を得て、1210年から18年までのエピソードを導入部と9つの章で構成。フランチェスコ役をはじめとする修道士たちを、実際のフランシスコ会修道士が演じる。2023年12月、デジタルリマスター版でリバイバル公開。

1950年製作/86分/G/イタリア
原題または英題:Francesco, giullare di Dio
配給:コピアポア・フィルム、lesfugitives
劇場公開日:2023年12月22日

その他の公開日:1991年3月16日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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映画レビュー

思い出す『ブラザー・サン・シスター・ムーン』

2024年9月17日
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鑑賞方法:映画館

 13世紀のイタリアで、清貧の生活の中で与え続ける信仰と布教を貫いたアッシジのフランチェスコをロベルト・ロッセリーニ監督が描いた物語です。『無防備都市』で戦争の虚無をクールに描いたロッセリーニの作風を想像していたらフランチェスコの信仰を正面から素直に捉えた物語でした。どこかで展開が変調するのかと思ったらそのまま描き切りました。でも、「神の奇蹟」の様な物を情熱的に描くのではなく、ひたすら与え続ける修道士の日常を淡々と描いたと言う点では、まさしくネオリアリスモに相応しい作品なのかも知れません。その淡々故に信仰に襲いかかる暴力が冷え冷えと際立ちました。  そして、アッシジのフランチェスコと聞くと僕の世代だと『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(1972) をあのテーマ曲と共に思い出してしまうのでした。この機会に、またスクリーンで観たいなぁ。

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La Strada

5.0神の道化。 その人を知っています。

2024年8月14日
Androidアプリから投稿

うちのすぐ近所に1人で住んでおられた牧師さんのことです。 お婆さんの牧師さんでした。 フィリピンの方でしたね。 そのお婆さん牧師さんのことを、 あとから人づてに知ったのですが、 彼女が子どものときに、 村に日本兵がやってきて お母さんとお姉さんを連れて行き、 小学校の裏のほうに連れて行って、 校舎の裏でお母さんとお姉さんが死んでいたそうです。 いつも笑顔で優しい面持ちのお婆さん牧師さんでしたが、 日本に渡って来て、 小さな町の中で日本人と共に暮らし、 庭で野菜を育てながら、 神様のお話をして、愛し合うことと、そして許し合うことを、 下手くそな日本語で話しておられました。 道化ですよね・・ 彼女のやっていることは道化。 彼女の笑顔も道化です。 お昼ごはんをお宅で頂いたこともありました。 神の道化の、あの笑顔を僕は忘れません。 浅黒いお顔に白い歯が印象的、そして水色のフチの眼鏡をかけておられました。 ・・・・・・・・・・・・・ 本作品は、 イタリア映画1972年版「ブラザー・サン、 シスター・ムーン」とともにフランシスコ会の始まりを描いた、僕の大好きな映画です。 1209年にフランチェスコによって始められたこのカトリックの修道会。 翌1210年には、ローマ教皇庁で教皇イノケンティウス3世によって「清貧と平和」を説くこの修道会が認可され、 映画はそのローマからの帰途。その道中の彼らの姿からストーリーが始まります。 「ブラザー・サン、シスター・ムーン」の、内容的には“後編"の形になります。 初期の彼らの活動が、記録や詩に残っていた短いエピソード集として、素朴な演技で再現されています。 ボケ老人ジョバンニを家族から引き取って預り、 「施す物が何も無かったから」と一度ならず自分の僧服を貧民に渡してしまったジネプロの肩を皆で抱き、 一切の私有財産を持たず、 敵を許し、敵のために祈り、 見返りを求めずにすべてを与えたフランシスコ会の これは創設期のお話でした。 もう一編の「ブラザー・サン、シスター・ムーン」と合わせてご覧になることをお薦めします。 2000年前の、ナザレのイエスと同じように生きてみたいと願ってそれを実行した、修道士たち、修道女たち、牧師さんたち。 すごいなーと思います。 ⬛ 聖フランシスコの平和を求める祈り 神よ、 わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。 憎しみのあるところに愛を、 いさかいのあるところにゆるしを、 分裂のあるところに一致を、 疑惑のあるところに信仰を、 誤っているところに真理を、 絶望のあるところに希望を、 闇に光を、 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 慰められるよりは慰めることを、 理解されるよりは理解することを、 愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。 わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、 自分を捨てて死に、 永遠のいのちをいただくのですから。 ·

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きりん

3.5小コント集でつづる、中世清教徒団のリアル

2024年4月28日
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鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

知的

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パングロス

3.0布教活動はセールスマンと同じ

2024年3月28日
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鑑賞方法:映画館

聖フランチェスコとその弟子たちが、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリに滞在した期間のエピソード集。 神の道化師、と呼ばれるだけあって親分のフランチェスコにはまったく偉そうなところがなく、地のまま、純粋な信仰に従って泣いたり笑ったりする。そして慈悲に溢れている。 布施を願いに訪れた豪邸で邪険にあしらわれて泥まみれになっても、「これが完璧な幸福だ」とかそんな意味のことを言って幸せそうだったり、行きずりのハンセン病患者を泣きながら抱きしめたり。 大の男たちがわちゃわちゃしながら同居生活、究極のミニマリスト生活だがなんか楽しそう。上下関係がフラットなラグビーチームの合宿所な雰囲気。 修道士って感情を抑えるものかと思っていたが、彼らは感情豊かで(でも「怒り」はないみたい)口数も多く、さらに動作が機敏で、イメージしていたのと違う。 近隣の美人のシスターが来る、となったら大の男全員小走りでいそいそとおもてなしの準備をしてて、微笑ましく可笑しかった 一番子供みたいなのが、ジネプロで、彼、アタマのネジがだいぶ緩いヒト?と思うけど、無邪気で信仰心篤く、悪気がないどころか善意が故に時々とんでもないことをしでかして聖フランチェスコもアタマを抱えたりする。スーパーポジティブで、処刑寸前までいったのにひるまず、逆に専制君主に包囲を解かせるとか、マンガみたいだけど良いなあ。そして人間縄跳びは衝撃的、元サーカス団員?? 彼、フランチェスコのような歯止めをかけて指導してくれる兄貴と分かれた後、どうなったんだろう。 危なっかしくて心配です いつも思うんだが、修道士はマゾヒストだと思う。 布教活動は、セールスマンと同じだと思った。 (悪い意味ではなく、自分が良いと信じるものを人様に紹介して手に入れてもらい、お布施をいただく、というものなので。良いセールスマンってお客に感謝されますよね。) 幸せについて、考えさせられた。 モノクロ4K、画面はとてもきれいでした。

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かばこ