悲しみは空の彼方にのレビュー・感想・評価
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巨匠最後の傑作
メロドラマという、侮られがちなジャンルの名匠、ダグラス・サークの最後の監督作品。女優志望のシングルマザーであるローラと、黒人家政婦のシングルマザーのアニーが同居生活を通じてかけがえのない絆を育む。アニーの娘は黒人と白人の混血で、肌がかなり白く、黒人の血筋であることを隠している。女の友情と母娘の長年の愛憎を情感たっぷりに描いている。自らの血を呪うアニーの娘の気持ちが切ない。母は献身的で誇りを持って娘を育てている。しかし、黒人の血が流れていると学校に知られて差別を受け、その経験は母への憎しみに転じてゆく。様々なわだかまりを経て、ラストの葬式で観客の感情を爆発させる。鏡の使い方はやっぱり絶妙に上手い。芝居の付け方も無駄がく、感情の緩急の付け方もすごい上手い。空間の中で以下に人物を動かすのかなど、勉強になりまくる作品だ。メロドラマとは、こんなにも豊かな表現の塊なのかと驚かされる作品だ。
二人のシングルマザーの人生を華麗に、繊細に描いたダグラス・サーク監督のメロドラマの名作
公開当時はありふれたメロドラマの平均作として見られていたダグラス・サーク監督、ラナ・ターナー主演のユニバーサル・ピクチャーズ作品。初見は13歳の時の日曜洋画劇場(白黒テレビの短縮版)で記憶はなく、その後18歳で観直して黒人差別を扱った内容に関心をもった程度でした。今回50年振りに完全版を録画リストから鑑賞して、黒人差別を真面目に扱っていた制作姿勢の真摯さ、生活環境も社会的階級も違う二人のシングルマザーが同居生活を通してお互いに支え合い苦難を乗り越える特異なドラマ性、ブロードウェイで成功を収める女優の覚悟とプライド、そして一人の男性を巡る母娘の恋愛心理の葛藤と、多面的で重層的な人間ドラマの濃厚さに魅了されました。
原作は女流作家ファニー・ハースト(1889年~1968年)が1933年に発表した『Imitation of Life/人生の模倣』で、翌年にジョン・M・スタールが監督したクローデット・コルベール主演の「模倣の人生」が最初の映画化ということを今回初めて知りました。ハーストは、1920年代に作家活動の全盛期を築き、フェミニズムとアフリカ系アメリカ人の人権問題、そして世界恐慌対策のニューディール政策などの社会変化にも積極的に関わり、男女差別が根強い戦前のアメリカ社会にあって特筆すべき活躍をした文化人と評価されています。それはまた、人種差別問題に対する1930年代から1960年代にかけてのハリウッド映画の良心を垣間見るものです。原作の1910年代からの時代設定は1947年から1958年に変えられ、主人公の職業もワッフルレストラン事業からブロードウェイの舞台女優に変更されて、よりハリウッド映画らしく脚色されています。
その前半部分での見所が、ラナ・ターナー演じる、舞台演出家の夫を亡くしたローラ・メレディスが6歳の娘スージーを連れてニューヨークに引っ越し、それまでの貯蓄を取り崩しながらオーディションを受ける場面です。犬のノミ取り防虫剤の広告写真のモデルの仕事や宛名書き内職の生活感を出しながら、ウィリアムズ(テネシー・ウィリアムズ?)原作の舞台という好機を掴むために、ハリウッドの有名人の推薦を得ていると偽装して、芸能事務所の代表者ルーミスと面会します。ハリウッド映画人の見知らぬ名前を聞いてから怪しいと思いながらローラの演技力を品定めするルーミスは、それよりも彼女の美貌とプロポーションに興味があるのは明らか。掛かってきた電話の相手をリリアン(リリアン・ヘルマン?)と呼ぶのもルーミスの虚勢の演技と見れば、この女と男の駆け引きが狐と狸に見えてくる。切っ掛けがどうであれ夜のパーティーの約束を得て、再度事務所を訪れるシーンがいい。黒いドレスに身を包んだローラに、ミンクのコートを着せてから新人女優の心構えを忌憚なく説得するルーミスに対して、女優が劇作家や演出家に媚びを売って認知してもらう反倫理への抵抗を貫くローラのプライドの高さ。年齢や正式な演技教育を受けていない負い目を自覚しても尚、実力でブロードウェイの舞台に立ちたい彼女の信念が伝わります。それが帰り際にみせるミンクのコートを投げるように返すショットで映画的な表現になっている。
仕事柄家を空けることが多いローラが娘スージーの世話役を兼ねた家政婦に黒人のアニーを雇い、同居させる展開に無理もあるも、アニーの献身的で心配りができる人柄が物語の温かさになっています。しかし、白人男性との間に出来た混血の娘サラジェーンの人種差別を恐れて家以外で母親の存在を毛嫌う切なさが、成長したサラジェーンの拒絶になり後半の悲劇につながる。雪の日雨具を学校まで届ける母親に対して教室を飛び出していくサラジェーンの繊細な心も理解した上で、立ち向って生きて欲しい親心も描かれています。
二人のシングルマザーの母親としての苦労も、ローラがブロードウェイで成功を収め十年のキャリアを積み安定した豊かな生活になると、年頃になった娘を持つ母親の心配に変わり、物語の後半大きく変化していきます。そこには、ローラに求婚して断られたスティーブというカメラマンの存在があり、結婚を諦め女優の夢を追ったローラの後悔の無い生き方が浮き彫りになる。またスター女優に育てた劇作家エドワーズは、ローラと対等な関係を保ちつつ舞台劇を成功させますが、そこは私的な関係の表現は省略して観る者の想像に任せています。ローラを誘惑したルーミスとは違って、独占欲のない仕事と私生活のバランスを配慮した大人の芸術家と言えるでしょう。
エドワーズから離れてシリアスな劇でも成功を収めたローラの前にスティーブが現れた時のローラの喜びように、けして嫌いで結婚を拒否したのではない彼女の真意が分かります。厳しい世界で成功するためには、何かを犠牲にしないと得られないのも世の常。10年待ったスティーブの前で、イタリアの名監督マルコ・フェルーチ(フェデリコ・フェリーニ?)からオファーを受けて舞い上がるローラは幸せの絶頂期にあります。そのイタリアロケの渡欧中にスージーがスティーブに恋心を抱くのは自然な流れでした。ローラもスティーブもスージーの真意に気付かないのは、まだ子供と思っている証拠であり、母親の愛情に満たされない成長期にあるスージーが大人になるための道筋でもあるでしょう。愛されたいから愛したいに変わる年頃の女性を丁寧に表現しています。対して白人として恋愛もし仕事もしたいサラジェーンの強い意志は年頃になっても変わっていません。デートを重ねたフランキーという青年に黒人の子と知られて酷い仕打ちを受け、水たまりの地面に泣き崩れる演出は過剰かも知れませんが、差別される人間の嘆きをシンボリックに表現したものと解釈すべきでしょう。アニーの元を離れて一人生きて行くことを決心したサラジェーンが働くロサンゼルスのナイトクラブの楽屋シーンが名場面でした。子からの勘当されたローラが最後抱かせて欲しいと願うところが泣かせます。別れ際にサラジェーンがさよならと絞り出すように言い、続いて声にならないママと呟く演出が素晴らしい。スティーブに失恋したスージーが親元を離れて遠くデンバーの大学に進学する成長を見せて、ローラと本音をぶつけるところもいい。スージーが悲しむならスティーブと別れてもいいと言うと、悲劇のヒロインの芝居はやめてと言い返される。しかし、この心の内を素直に交わすことの大切さは、わだかまりを溜めず人を思いやることが、結局自分を知ってもらうことにもつながる真理にあります。
ラストは心労が重なり死を覚悟していたローラの最期を盛大なお葬式で表現して、唐突感もありますが、ここで漸く分かるのはローラの信心深さです。地域の黒人社会に関わる敬虔な信者として、サラジェーンを育てる試練に立ち向かっていた。幸せな結果には至らなかったかも知れないが、やれることは全てやってきたローラの気持ちを推し量って上げたい。それに応えるように、ゴスペルの女王と称されるマヘリア・ジャクソン(1911年~1972年)が『Trouble of World』を見事に歌い上げます。キング牧師と共に公民権活動に貢献したこのジャクソンの存在が、架空の人物ローラを神聖化する映画の大団円とも言えます。
監督のダグラス・サーク(1897年~1987年)は、ハンブルク生まれのデンマーク人で舞台監督から1934年ウーファに移り映画監督になったドイツ名デトレフ・ジークルと同一人物。ユダヤ人の奥さんのために1937年にアメリカに亡命したとあります。ドイツ時代の作品では唯一1935年制作の「第九交響楽」をフィルムセンターで見学したのが18歳の時で、ダグラス・サークと知って大変驚きました。名の知れた文化人の改名は珍しかったと思います。そのドイツ映画は如何にも謹厳実直な作りで、メロドラマと推理サスペンスを合わせた前時代のドラマツルギーの古典映画でした。しかし、他に「愛する時と死する時」(1958年)しか観ておらず、サーク監督についてはこれ以上知りません。今回フェイドアウトを多用した舞台的演出、役者主体のカメラワーク、2時間5分の長尺に遊びのシーンがない律義さと、メロドラマの内容を抑制の効いた演出で統一している丁寧さに感心しました。撮影監督ラッセル・メティ(1906年~1961年)のカメラアングルでは、例えばスティーブを振り切って仕事の交渉に向かう階段シーンのライティングに特徴がありました。主演のラナ・ターナーの顔を大胆にも半分影で隠しています。凡そこの時代のハリウッド映画でスターの美しい顔の全てを見せない演出は珍しい。他に幾つもこのライティングが見られます。勿論日中のシーンは明るく、この昼と夜を人生の表と裏に表現したような印象を持ちました。フランク・スキナー(1897年~1968年)の音楽は、この時代の典型的な映画音楽でした。
主演のラナ・ターナー(1921年~1995年)は、妖艶な美しさをもったハリウッド女優でも恋多きスキャンダルでも有名なスターでした。キム・ノヴァクやエヴァ・ガードナーに近い雰囲気を感じます。この映画出演の時は私生活でも娘の問題を抱えていたという事ですから、ローラの役は適任でした。女優として大成したいローラに、そのままターナーの気持ちが入っているような素晴らしい演技と思います。ターナーの忘れられない作品では「母の旅路」(1966年)があります。これこそありふれたクラシック・メロドラマです。ターナーが嵌り役のお涙頂戴の母もの映画でした。相手役のジョン・ギャヴィン(1931年~2018年)は「愛する時と死する時」に続いてのサーク作品の出演で、翌年ヒッチコックの「サイコ」でマリオンの恋人役サムを演じています。193cmの長身で目立ちますが、役柄としては二人のシングルマザーの脇役扱いでした。スージー役のサンドラ・ディー(1942年~2005年)は、フランキー役のトロイ・ドナヒュー(1936年~2001年)と「避暑地の出来事」(1959年)で共演した当時人気の青春映画スターでした。健康的で可愛らしい魅力がスージーに合っていました。演技面で主演のラナ・ターナーと相乗効果がある演技力を見せたのが、アニーのファニタ・ムーア(1914年~2014年)とサラジェーンのスーザン・コーナー(1936年生まれ)です。家政婦の仕事を完璧にこなし常にローラに寄り添いながら、最愛の娘から存在を認められない悲しい役柄の良さもあって、ムーアの表情豊かな演技が生かされています。混血の出自に悩み苦しむサラジェーンの時に反抗的で人一倍淋しがり屋の多感さを演じたコーナーが存在感充分でした。二人の息子さんが共に映画監督になって、才能が引き継がれています。
最初のタイトルバックに、ジャン・ルイ・シェレルのガウン、ジュエリーはレイキン・エト・コンパニーと大きく表示があって、当時のロサンゼルスの最新ファッションを装うラナ・ターナーの美しさも、映画の見所になっています。この外装を飾り立てる華やかさとは対照的に、女性心理を繊細に丁寧に描いたメロドラマの人間追及は巧みに表現さています。50年掛けて、漸くこの映画の良さを理解できました。
タイトルなし(ネタバレ)
夫の演出家に先立たれてシングルマザーとなった売れない女優ローラ(ラナ・ターナー)。
人でごった返す夏の浜で娘スージーが迷子となり、スージーの面倒を見てくれていた同年代の黒人女性アニー(ファニタ・ムーア)と知り合う。
アニーもサラジェーンという娘がいるシングルマザー。
アニーをメイドとして、アニー母娘と同居を始めたローラは、しばらく後に実力を認められてトップ女優となるが・・・
という物語。
サラジェーンの肌が一見して黒人の娘とわからない白い肌をしていることから、サラジェーン自身のアイデンティ問題、人種問題が後半大きくクロースアップされてきます。
シングルマザーの問題、女性のキャリアの問題、人種問題、母娘関係の問題など盛りだくさんの内容を、ダグラス・サークは巧みに演出しています。
影を活かした演出、鏡を活かした演出が効果的。
なお、鏡を活かした演出は他の作品でも見られたが、切り返しを避けてワンカットで撮るための演出が多かったが、本作ではローラやサラジェーンの内面表現の演出として使用されていることが多かった、と感じました。
ミドルティーンに成長したスージーをサンドラ・ディーが、ハイティーンに成長したサラジェーンをスーザン・コーナーが演じており、個性の異なるふたりの若者の登場により、面白さも増しています。
2時間超ということで、他のサーク作品より尺は長いですが、通俗ドラマの面白さを堪能しました。
なお、オープニングのタイトルバック、上方から落ちてきて画面を埋め尽くす宝石は、「Imitation of Life」の原題から察するに、ダイヤモンドの模造品ジルコニアでしょうね。
「ドリーム」と共に、黒人の方々の苦難の時代に更なる想いを寄せ…
ダグラス・サーク監督や
ラナ・ターナーのことは全く知らなく、
これまで彼らの映画を観る機会は
無かったが、これがサーク監督の
最後で最高評価の作品と知った。
白人母娘と結果的にその家の家政婦になった
黒人母娘の、
仕事上の栄達と差別環境の中で、
それぞれの人生がどうリンクしていくのか
と興味深く観ることか出来た。
この作品、色々と不満はある。
そもそもが二家族は一緒に生活している
のだが、お互いの問題が
相手方の人生に直接関与する構成ではなく、
それぞれが分離している感じを受ける。
また、白人家庭の母は、異性への想いよりは
圧倒的に女優としての栄達を重んじる人物
として描かれるが、
その彼女を慕う写真家を目指す男性が
何故10年を超える想いを維持し続けたのか
との描写が不足していると感じる。
それでも、黒人家庭の母の臨終の間際での、
娘や触れ合った人々に対する想い
の独白のシーンや、
楽屋にやってきた母と別れる時に
言葉にはならないが口の動きだけの
娘の「ママ」には涙を誘われ、
栄達を目指す中で存在する理不尽さと共に、
アメリカ社会問題への告発性は明解だ。
この数日前に「ドリーム」を観たばかり
ということもあり、
いまでも解決が付いていないのに、
より厳しい時代の黒人の皆さんの
更なる苦難を認識させられる。
ダグラス・サーク監督の残りの作品の中では
第二次大戦末期のドイツ軍兵士の悲劇が
描かれているという「愛する時と死する時」を
観てみたいと思った。
複雑過ぎる事情の愛情物語
主役はアニーとサラジェーンだな
母の願い
女優を目指す華がある女性ローラ(ラナ・ターナー)、大切に育てられた砂糖菓子のように可憐な娘スージー(サンドラ・ディー)。理不尽な差別に耐え生き抜いてきたアニー(ファニタ・ムーア)、黒人の母の元に生まれた事を隠し、苦悩しながら生きる美しい娘サラジェーン(スーザン・コーナー)。海水浴場で偶然に出会った二組の母子が、生活を共にするように。
何処までも優しいアニーと、娘サラジェーンの心のすれ違う様が痛ましく、別れ際での悲しい嘘が切なく涙を誘う。
荘厳な葬儀で、マヘリア・ジャクソンが力強く歌うゴスペルが胸に響く。
ーあなたを抱かせて。
私の娘として。
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕版)
社会派ヒューマンドラマの名作
足の踏み場もないくらい混雑したコニーアイランドのビーチで迷子になった娘を必死に探すローラとそれを助けるカメラマンのスティーブ、娘は黒人のアニー母娘と一緒でした。二組のシングルマザーと青年の奇妙な絆を11年にわたって描く社会派ヒューマンドラマ。
この時代、女性が自力で生きてゆくことは難しいでしょうし、人種差別も酷かったことでしょう、そんなセンセーショナルなテーマに正面から臨んだのが原作者のファニー・ハーストさん。原作ではお菓子づくりで成功しますが映画では俳優とメイドと分かり易い設定に変えています。
メイドと言っても卑屈な主従関係ではなく、同じ年頃の娘を抱える母同志として助け合う関係です。それでもアニーの方が一歩引いた存在に徹しているので白人の観客に受け入れやすい配慮というのは察しられます。にもかかわらず南部の公開ではボイコットが起きたようです。
人種が絡まなくとも年頃の娘を育てるのは至難の技、世の中は危うい誘惑に満ちているのですから、なかなか親の真心や信念だけでは立ち行きません。幸い映画ではそれほど酷いシーンには至っていないので助かりました。
枕営業をほのめかすプロデューサーに毅然としてはねつけるローラも立派、ただ、あの状況では仕事をとる母親というのがリアルでしょうから、裏の現実が頭をよぎります。
あえて一線を越えないことで描かなかった深刻な現実を喚起させる手法は巨匠ならではの手腕にも思えます。
一番辛かったのはアニーでしょう、望まぬ妊娠だったのかも知れませんが白人の子を宿したことで娘にも反発され、唯一願いの叶ったのはお葬式、娘のサラが棺に謝罪する脚色は胸をうちます。
映画から半世紀以上たった今でも状況が好転したとは言い難い現実に人の業の深さを感じますが、問題に真摯に向き合うハリウッドの良心は「ドリーム」や「グリーンブック」などの良作に脈々と受け継がれています・・。
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