風が吹くときのレビュー・感想・評価
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残酷で皮肉だらけの物語はあの夫妻だけの体験ではない
野中の一軒家の窓からみえていたのどかな風景は夫妻の平和な世界そのものだった。
「爆撃が終わったら戻すよ。」
「一瞬でケリがつく。」
「戦争中は良かったわ。」
戦勝国の一員としての国への誇りや信頼はこんなに厚く安心をもたらすのか。
一瞬にして破壊された日常が来てもそれは揺るがなかった。
政府からの手引き書に疑いなき夫と、思い出を大切に生き夫に添う妻は、爆風を受けた家で〝準備万全らしい〟国の助けを待ち続ける。
汚染された飴とも知らずにわけあい、雨水を溜めて使い、身を守るというじゃがいも袋の中で祈りながら。
それぞれの信じられるものがあることが〝平和〟だというならば、夫妻の小さな世界は最後までそうだったのかもしれない。
力果てる前に嘆いた夫のあの言葉がのこる。
「わしらの命は世の中の景気次第だ」
ある程度の知識を持ちながらも現実の状況と噛み合っていなかった夫やまかせて疑わない妻を半ば残念にみていた。
でも、ふと、事実の横で動きだせない私たちと一体何が違うのだろうかと思った。
進むのも止めるのも人間なのに、差別、暴力、侵略は今も終わらない。
あの風の威力を、いやそれ以上のなにかを切り札にして威嚇は続く。
戦争の深刻さとどこか緩い夫婦のギャップ
原爆が落とされる前の、夫によるシェルターなどの
周到な準備と、原爆が落とされてからの
緩く前向きな夫婦の言動・行動のギャップに
本作の恐ろしさを感じました。
おそらく夫は周到に準備をしていたからこそ
絶対大丈夫的な思いがあったのでしょうが、
周囲の状況や原爆がもたらす放射能汚染などの影響の
知識はなかったようで、
死に向かってひたすら映画が進行する辛さがありました。
実際、世界では戦争が起きていますし、
地震などの災害も発生しています。
日頃から準備しておくことの大切さを
あらためて学ばせていただきました。
老夫婦がわけがわからないまま死んでゆく。戦慄。
◯冷戦時代末期の恐怖感を思い出す
以前からタイトルは知っていたが観る機会がなく、今回(2024年8月)のリバイバル上映に合わせて観てきた。
本作が制作された1982年頃は冷戦末期、米ソの核開発競争で人類を何回も滅亡させるほどの核弾頭が生産され、一歩間違えれば即人類滅亡という、今の若い人たちだと想像がつかないだろう得体の知れない絶望感・恐怖感が世界に漂っていたのを思い出した。
◯一個人の視点からみた戦争
戦争映画だと、激戦地や軍内部の生活における兵士達や将校など軍関係者の姿が出てくることが多い(地獄の黙示録など)が、本作は、アレクシェーヴィッチ『戦争は女の顔をしていない』にも通じる『一個人の視点からみた戦争』というストーリーになっている。
これが『地獄の黙示録』や『トップガン』など米国の戦争映画の影響が強かった1980年代に世に出たこと、そして『スノーマン』の作者であるレイモンド・ブリッグスの作品ということはもっと注目されるべきだろう。
◯真骨頂
本作の真骨頂は、『一個人』として核戦争の危機にあっても長閑に生きてきたジム・ヒルダの老夫婦が核攻撃を受け、ある程度の知識はあったものの結果として情報も完全に途絶し孤立無援の絶望的な状況下、ゆっくりと訳がわからないまま(と解釈するのが素直か)死んでゆく過程が本作の真骨頂だといえる。
※『わけがわからないまま死んでゆく』という表現は、一色登希彦さん版『日本沈没』3巻にあった中田一成のセリフを借用した。
◯戦慄
私達は広島・長崎やチョルノーブィリ(チェルノブイリ)やJCO臨界事故などから
・放射線障害がどのようなものか
・核爆発で死の灰や黒い雨が降ること
・ふたりの元にあるマニュアルでは不十分
ということは分かるが、
・救援やインフラ復旧の状況が分からない
・メディアも軍も行政も政治も医療機関も残っているのか、そして国、いや、人類が生きてきた世界がどうなっているのかが情報途絶で全く分からない
・世界から他人が完全に消えてしまったのではないか
という底知れぬ恐怖に戦慄するだろう。
あの頃何かの間違いが連鎖していたら、2024年の地球はまさに本作で描かれたような放射能に汚染された核の冬が永遠に続くかのようなディストピアが一面に広がっていたかもしれない。
1980年代、英国サセックスの郊外の一軒家。 リタイアし、ロンドン...
1980年代、英国サセックスの郊外の一軒家。
リタイアし、ロンドンから引っ越してきたジム(声:森繁久彌)とヒルダ(声:加藤治子)の夫婦。
ジムは社会情勢に関心を寄せている。
なにせ米ソ冷戦下、いつ戦争が起こっても不思議でない。
今日も図書館で新聞を読み、「室内核シェルターの作り方と過ごし方」なる小冊子を入手し、室内シェルターの製作にとりかかった。
ドアを外し、そのドアを壁に立てかけ固定する。
中には非常食やクッションを用意して。
そんなある日、核戦争が起こってしまう。
街に核爆弾が落とされたのだ。
シェルターへ逃げ込んだジムとヒルダだったが・・・
といった物語で、やわらかいタッチの画と裏腹に、どんどんと悲惨な状況に陥っていく夫婦。
画で見るとかなりの老夫婦のように感じられるが、時代を考慮すると、60代半ばぐらいの夫婦。
若い時分に第二次大戦を経験したが、英国は戦勝国。
戦争に対しては、悪い印象を抱いていない。
戦火にまみえたが、若かったジムはそれなり活躍した。
連合国側のリーダーは、いい人物だった。
今度、戦争が起こっても、我々が勝つだろう。
いわば、能天気と言ってもいいくらいなのだ。
放射能の危険などについても無知であり、それゆえ、政府の言うことを聞いていれば、そのうち助けてくれる、と信じて疑わない。
狭い家の中で、地獄になっていくことなど、信じられないのだ。
初公開にも観ており、そのときは「ああ、英国人は放射能については無知なんだなぁ」という感想が第一だったが、今回は夫婦の(特にジムの)戦争に対する考え、政府に対する盲信のほうが恐ろしく感じられました。
核の恐怖以上に恐ろしいものがある・・・
その観点からいえば、今まさに観るべき映画といえるでしょう。
救いがない
デデデデ後章を観てからずっとこの映画のことが思い出されていた。奇遇にも映画館で見られるという。TV録画で何度も見たが、劇場では初めて。
戦争に向かう世界、それをどこかノスタルジックに受け止める老夫婦。そしてデストラクション。
過去の印象は(素敵な回想シーンのせいか)ファンタジックで観念的という記憶だったのだが、見返すと著しくリアリティに寄っていた。特に生活描写、細やかな家事の仕草や家の中の動線が丁寧に描かれることで被爆の前と後が対比され、異常事態にも平常を維持しようとする努力のいじらしさと虚しさ、そしてじわじわと迫り来る終末への道の悲惨さが浮き彫りになる。後段はストーリーの起伏もないが、それは(前の大戦のような)命を賭けた戦いのスリルや高揚のない、ただ物理法則に基づく科学的な死があるのみ、という被爆の性質を表していると思える。
もうひとつ、昔は、純朴な民衆が国民保護プログラム(『防護と生存』)を盲目的に信じて騙される、という構図を見いだしていた。彗星大接近で呼吸チューブを売りつけるのにも似た、政府の欺瞞的な態度を戯画化して批判しているのだと。
大災害やパンデミックを経た今なら理解できるが、屋内シェルターの角度も何のためかよく分からない備蓄物資も紙袋さえも、国民が生き残れる可能性を少しでも高めるために科学者や官僚が真剣に考えてマニュアル化したのだろうし、その内容にも意図にも嘘はないのだと思う。
欺瞞はそこではなくて、相互確証破壊の名の下に、数千万の国民の命を危険に晒してでも守るべき国益があるという政府のテーゼに対し、テーブルに載せられた側の人々が異論を表明できない、あるいは自分がそういう状態にあることを人々に気づかせないという国のあり方にあると思い至った。(夫が防衛態勢の頭文字語を羅列するが中身は理解していなさそうだったのが示唆的である)
エコーチェンバーに陥らずに、いかに情報を咀嚼して自分で判断し行動するかが重要だと気づかせてくれる。
核の使用可能性が高まっていると言われる中でタイムリーな再映。冷戦を知らない世代の人たちにもっと観てほしい。
コメントを頂き追記:
手製シェルターの効果は、爆心から一定程度離れていれば、熱線や爆風、放射性降下物の影響の軽減が期待できるといったもので、直撃に近ければ意味がないだろう。本来は(英国がどれだけ整備していたか分からないが)地下シェルターや地下鉄駅などへの避難が優先で、そこにアクセスできない場合の代替手段なのだと思う。
生死を分ける最大の要素は被攻撃目標(政経中枢、生産基盤、人口稠密地、軍事拠点…)との距離と風向きであるという前提で(だからそこに幻想を持たない都会住みの息子はとりあわなかった)、初期の爆発を逃れた場合は救援が来るまでの間を自力で生き延びられるよう備えてくれ、というのがマニュアルの趣旨で、だからこそ一つひとつの記述には意味があるだろうと想像した。
ただしマニュアルも政府の対応手順も実地で試されてはいない。救助隊を組織できるだけの国家機構が残っているという想定は甘かったのだろう。
はだしのゲンに比べると
何とまぁ、のどかな事!二人の会話で「 ヒロシマ」の四文字が語られていたから、原爆がどれだけ怖いかは知っているだろうに、ドアを立て掛けただけのシェルターじゃねぇ...。
原作が絵本だから、はだしのゲンのように「 ギギギ... 」 と唸る事も無く綺麗な身体のまま死んでいく夫婦は絵空事のようにしか思えない。原爆って、無茶苦茶恐ろしいんですよ?
被爆地ナガサキに生まれ育った者なら、必ず行く原爆資料館で黒焦げになった遺体、爆風で飛んできたガラスが全身に刺さっても行きている人、山のように積まれた遺体などを、小学生低学年なのに見学させられて、その晩も、次の晩も怖くて怖くて眠れなかった事を思い出します。
だから、アメリカのヤンキーどもが映画で軽々しく原爆を落として被害が雹が降る程度の被害で済ましているのを見ると、
「 原爆舐めんじゃねーぞ!」 と言いたくなります。
まぁ、子どもには「 はだしのゲン」はトラウマになるくらい怖いから、放射能の怖さを知る教材としては良い作品かも。
子どもに核の恐ろしさを知ってもらうには「コーマック・マッカーシー原作のザ・ロード」を見せるのが良いでしょう。怖がるがいい、ふはははははは。
トラウマと有名なあの作品がリバイバルと聞いて
記事などでトラウマとして挙げられる事が多い風が吹くときがリバイバル上映されると聞いて行ってきました(円盤化や配信もされていない様子?なので)
内容は実写の映像や模型などとアニメーションを組み合わせた作品で、田舎で2人で暮らす老夫婦が被災し弱っていく様子を見る感じです。
戦争が始まるとラジオから流れてきているにもかかわらず緊張感のない奥さんと、曖昧な知識しか得る事ができず説明に説得力を持たせることが出来ない旦那さん…曖昧な知識で核爆弾への備えをするものの、遂に爆弾は投下され…
投下による崩壊のシーンは直接的なグロ表現が繰り広げられるといったことはないのですが、映されている光景とはちぐはぐな字幕「ケーキが焦げた!」がなんとも奇妙で怖いです。
作ったシェルターのおかげで命を取り留めたものの、それを幸とは言えない、ただただ救助を待つしかない地獄の日々が始まります。ずっと前向きな言葉をかけ続けて奥さんを励ます旦那さん…その日その日を生きながらえて、徐々に徐々に衰えていく様子が続きます
バカにしていた紙袋を被る対策をとり、シェルターで神に祈りを捧げ…
奥さんが「もういいのよ」みたいな言葉で、物語と視聴者のメンタル摩り下ろしタイムは終わります
決してすごい善人でも悪人でもないごく普通の夫婦が、非もないのに苦しみ命を奪われる…(死んだという表現はありませんが…) 特別好ましいと思える2人ではありませんでしたが、それでも救いのない結末は悲しく辛いです。少なくとも不幸になるべきとは思えません…
好きな作品として挙げる事はないと思いますが、見る事ができて良かったですし、いい作品だと思います。ただ日常生活シーンが続き、劇的に盛り上がったりはしないので教育アニメ的なものを見る、という心づもりでないと退屈に感じるかもしれません。(旦那さんはなかなかコミカルな人ですが) 作品を見る事が出来る貴重なチャンスなのでそのあたり問題ない方にはおすすめしたいです。
劇場にはパンフや絵本(原作本?)の販売もありました。会場前にパンフは買いましたが絵本も気になってきましたね…
非日常の中で淡々と日常を過ごす意味
リバイバル上映ということで、数十年ぶりに鑑賞しました。
以前観た時になんとも言えぬ後味の悪さを感じ、もう観ることはないだろう…(辛いので)と思っていましたが、改めて当時の世界情勢の背景を想像しながら観ると、反核・平和への願いを強く感じました。
日本では被曝国ということもあり、核爆弾の知識を学ぶ機会がありますが、40年近く前の諸外国ではおそらくこの主人公の夫婦のように被曝後の身体への影響等について情報を得る機会もあまり無かったのではと推測されます。
非日常的なことが起きているのに、何とか日常を保とうと過ごしている夫婦のアンバランス感がじわじわと怖さを感じます。
網の目に風たまらず
リバイバル上映の吹替版にて鑑賞。
粗筋に「核戦争の恐怖を描いた」とあるが、描かれていたのは“無知”と“盲信”の恐ろしさだ。
ジムは政府の言う通りにすれば大丈夫と信じ、ヒルダは楽観的を通り越して思考すらしない。
それだけであれば皮肉な滑稽劇として観られるが、正直に言ってこのあたりの描き方には疑問を感じる。
ジムは世界情勢を気にして新聞にも目を通すし、何より『ヒロシマ』に言及しているのだ。
その上であの知見ということなのかもしれないが、些か行き過ぎではないか。
おまけに、防空壕を秘密基地扱いしたことなど過去の戦争を楽しい思い出のように語り出す。
子供ならまだしも、老齢の夫婦がというのはサスガに受け入れ難かった。
とはいえ、仲睦まじい夫婦が放射能に侵されていく様は堪えるものがある。
段階的な描写と、その中でも変わらぬ声色で励まそうとするジム、という夫婦愛としては見るものがある。
逆に言えば、夫婦しか描かれていないとも言える。
その姿は被爆者の一例であり、“数”という核の恐ろしさの一面は良くも悪くも一切描かれない。
当時なら別だろうが、人並みに同様の題材に触れてきた身としては、新しいものはなかったかな。
滑らかな動きのみならず、実写と組み合わせる手法など、40年近く前とは思えない映像は見事。
ただ、綿毛からの幻想や、3〜5文字の機構を羅列するなど余計な部分も目立つ。
局所的な描き方をするのであれば、もっと深く刺さるようなものを期待してしまった。
英国の老夫婦の日常で戦争を描いた、戦場を舞台にしていない戦争映画。...
英国の老夫婦の日常で戦争を描いた、戦場を舞台にしていない戦争映画。
政府発行のパンフ通りに核シェルターを作り、非常用の水や食糧を備えるところから物語がはじまる。ラジオから あと3分で我が国向かってミサイルが...と放送される。
原爆が落ちるが爆心地から離れたいたので生き残るが被爆してしまう。
放射能が体を蝕むそ様子があらわれ目の周りに影が入り、「おまえ口紅をつけたのか?」(=出血してる)くらいから、弱った表情に崩れた輪郭で、足や腕に斑点がでたり、奥さんの髪の毛が抜けるところまでも場面として描かれる。
優しい絵で描かれているのがいっそう怖い。
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