「キャラバンの目指す先は・・・?」カスパー・ハウザーの謎 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
キャラバンの目指す先は・・・?
さすがにヘルツォークは裏切らない。これが本作を観終わった直後の感想。
19世紀最大の謎と言われるカスパー・ハウザーは実在の人物。彼は十数年間地下室に閉じ込められ、記憶を失い、言葉もしゃべれず、歩くこともままならない状態で発見された。彼の出生については当時様々な憶測が飛び交い(ナポレオンの落とし子という説まであった)、最後は非業の死をとげた。それすら陰謀による暗殺と噂されたほどだ。しかし本作はその謎を解き明かすものでは全くなく、あくまでもカスパー・ハウザーという特異なる人物像にせまったヒューマン・ドラマ(?)だ。
ヒューマン・ドラマとはいっても、鬼才ヘルツォークの手にかかれば、単純なハートフルドラマになろうはずもなく、コミカルな中に人間社会に対する痛烈な皮肉が盛り込まれている。
本作において重要なポイントを締めるのは、ブルーノ・Sという素人俳優。彼を見出した監督もスゴイが、まるでカスパーそのもののブルーノ・Sの無垢さがスゴイ。カスパー同様に数年も隔離生活を送った経験のある彼の浮世離れした存在感。作中の彼の表情に「ウソ」は無い。初めて見たロウソクの火を捕まえようとして指先を焼いてしまった時、驚きと痛みで涙を流す表情が忘れ難い。言葉も知らず、社会生活のルールも知らないカスパーだが、動物を愛し、赤ん坊を可愛がる彼の心の優しさ。猫に二足歩行を教えようとしたり、リンゴに意思があると言う彼の純粋さ。彼の奇跡は、出生の謎や数十年閉じ込められていたという事実ではなく、純粋無垢である彼の存在そのものが奇跡なのだ。辛抱強く彼に言葉や社会のルールを教える老紳士や家政婦、子供たちは、そんな彼のことが大好きだから。彼を実験の対象や奇異の眼で見る者たちは、彼に「教える」資格は無い。興味深いのは、学者や宗教者が彼に教え込もうとする難しい理論や神の摂理が、全てウソ臭く無意味な物に感じること。ここにヘルツォークの社会批判が見え隠れする。
カスパーは、言葉や音楽など様々なことを学び、感性を磨いていくが、純粋無垢な心は最後まで忘れなかった。何者かに刺され、瀕死の状態で伝えようとする彼の夢の物語、そこに登場するキャラバンの目指すものは、無垢な者だけが行き着ける愛に満ちた国だろう・・・。
さて、ラストカットで再び映される幽閉生活。このカットは何を意味するのか?もしかすると今までの物語は、閉じ込められた部屋の中で、カスパー自身が見た夢だったのか?夢の中で人間社会を垣間見ることのできるカスパーこそ、もしかしたら神そのものなのかもしれない・・・。