カイロの紫のバラのレビュー・感想・評価
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映画好きの夢なのかもしれない
主演女優のミア・ファーローは制作当時監督の恋人。
写真だけで観ますとがりがりで特に美人でもないのになあ?
なんて思うのですがこの映画での、彼女の魅力といったら!
どんどんスクリーンの中で輝いてみえてくるのです。
しかしまあ、映画の中から彼が出てきたら…なんて夢のある話じゃないですか!
映画好きならこたえられないはず。
ラストもあれだけ泣いていたくせに、映画を観ているうちに没頭してしまう主人公。
いやもう、やられました。
この映画に惚れました。
ウディ・アレン監督が映画に送ったラブ・コール‼️
ウディ・アレンの映画は傑作揃いですが、「アニー・ホール」や「マンハッタン」といったいかにもウディ・アレンみたいな作品と違い、ちょっとファンタジーの要素が入ったこの「カイロの紫のバラ」や「ミッドナイト・イン・パリ」が私のお気に入りです‼️ある日、銀幕からジェフ・ダニエルズ演じるヒーローが「君はこの映画がそんなに好きかい」なんて話しかけてくれて、銀幕を飛び出して客席へやってくる‼️ついでにヒロインのミア・ファローは彼と恋までできる‼️なんてミーハー魂を骨抜きにしてくれるんでしょう‼️主役が出て行った映画の中の騒動や映画会社の困惑ぶりも笑えます‼️挙句にヒーローを演じている本物の俳優ジェフ・ダニエルズまで出てきて、ヒーローを説得する始末‼️結局、ヒーローは映画に戻り、残されたヒロインはとぼとぼ映画館へ。上映されているアステア&ロジャースの「トップ・ハット」の画面を見つめるヒロインの瞳が徐々に輝き始めるラストのなんという素晴らしいことでしょう‼️結局、映画は夢であり、幻想に過ぎないという事を教えてくれたウディ・アレン監督‼️だからこそ芸術としても娯楽としても映画は素晴らしいものなのでしょう‼️彼こそは映画監督である前に本物の一映画ファンであり、そんな彼が世界中の映画ファンに送るラブ・コールがこの「カイロと紫のバラ」なのです‼️
【”第4の壁を越えた恋・・。夢には惹かれても現実で生きるしかない・・。”映画設定の妙と、若きミア・ファローの映画を観ている無垢なる表情に魅了される作品。】
ー 映画館で映画を観る際には、仕事の悩みなどは全て忘れて、漆黒の中、スクリーンに映し出される世界に没入する。
そして、客電が上がった後に、リフレッシュした気分で映画館を後にする。-
◆感想
・今作は、映画大好きなウディ・アレン監督の、”現実と映画で描かれている事は、似て非なるモノなんだよ・・”という優しいメッセージに満ちている。
・景気が悪いという事を理由に、仕事もせずに酒ばかり飲んでいる夫を持つセシリア(ミア・ファロー)は、ダイナーで働くも、要領が悪く馘になってしまう。
だが、彼女には楽しみがあった。それは、映画館で映画を観る事。
・ある日、何度も観ていた”カイロの紫のバラ”を鑑賞中、端役の冒険家トム(ジェフ・ダニエルズ)が、セシリアの方に眼をやり、画面から出て来て彼女に語り掛ける。
ー このシーンは、今でも覚えている。-
・トムは色のついた現実世界を楽しみ、セシリアは憧れの映画スターとの逢瀬を楽しむ。
・混乱する”カイロの紫のバラ”の出演者達。オロオロする映画関係者の姿も可笑しい。
・だが、トムを演じていたギルの言葉を信じ、セシリアは家に戻るのだが・・。
- ここは、可なり切ない・・。ギルはハリウッドにセシリアに一言も告げずに戻っていたのだ。-
<ギルに見捨てられ、家にも戻れないセシリアはいつも通う映画館に行き、銀幕の中で繰り広げられる物語をハンカチを目に当てながら観ている。
涙を流しながらも、その表情は映画を観る喜びに溢れている・・。
今作は、映画って、矢張り良いモノだなあと思わせてくれる作品である。>
スクリーンから
ウッディ・アレン監督・脚本
随分前に観た 奇想天外な作品
ミア・ファローが演じる
ウエイトレスのセシリアは
遊んでばかりいる
失業中の夫から暴力を受けたり
日々の生活にうんざりしている主婦。
唯一の楽しみと言ったら
大好きな映画を劇場で鑑賞すること・・・
そのセシリアが、毎日のように通い
夢中になっている作品が
『カイロの紫のバラ』
ある日、その、登場人物の
トム・バクスター(ジェフ・ダニエルズ)が
スクリーンの中から話かけてきたと思ったら
なんと、白黒のスクリーンから
抜け出てきちゃうという驚きのお話💦
さぁ、大変、セシリアもびっくりだけど
劇場内やスクリーンの中の役者までも
物語が進行できないと揉め始める。
現実の世界で起こす騒動も面白いし
劇中のトムを演じる
ギル・シェパード(ジェフ・ダニエルズ)
(二役)も加わって
セシリアと不思議な三角関係
セシリアが、トムと
スクリーンの中に入って行ったり
とにかく、前代未聞の物語・・・
映画好きな人間は、
こういう夢のあるお話しが
好きかもですね(^^)
ラストは、ひとりになるセシリア
映画館で上映されてる作品は
「トップ・ハット」
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの
優雅なダンスシーン♪
過酷な現実に疲れたセシリアが
映画を観ているうちに
目が輝き、微笑みを浮かべるシーン
その、表情が、ステキです。
ミア・ファロー
「ローズマリーの赤ちゃん」
「ナイル殺人事件」
「ハンナとその姉妹」等
有名ですね。
2006年の「オーメン」リメイク版でも
インパクトある演技をされていました。
ジェフ・ダニエルズは
ディズニーの「101」で
ダルメシアン犬ボンゴの主人
ロジャー役です。
独特の設定 軽妙な展開
何度観ても面白くないアニーホールですが、知人に「これなら大丈夫かも?」と勧められたらストライクでした。ありそうでなかった設定。都会の庶民のシニカルなセンス。
話の展開テンポ、画面の洒脱な雰囲気、コメディと切なさのバランスが「ローマの休日」に似ています。アレン君パチパチパチ。
生と死の境界。
再見。
こんなに良かったか。
演者、美術、編集、物語、何処か気の抜けた、力みの無さが肝。
その奥に生と死の境界をも軽やかに大らかに捉えんとする作者の鬼気迫る凄みが立ち昇る。
これが何十年に一本しか撮れない不思議が映画の醍醐味。
強く支持。
「ミッドナイト・イン・パリ」まで25年待とう!
予告編で、映画の中から登場人物が出てくる
なんて荒唐無稽過ぎて観ることもなかった
ウディ・アレン作品だが
「ミッドナイト・イン・パリ」が、観る度に
好きになってきていた関係で初鑑賞。
しかし、現実と映画の中を行き来する
“第四の壁を壊す”手法としても
余りに直接的過ぎて「アニー・ホール」の
レベルにも到底及んでいなく、
最後まで没入出来ない作品だった。
だから、この映画がキネマ旬報の
1986年第2位とは驚いた。
この年は「エイリアン2」がベストテン内に
入る等、現代にも名を馳せる名作の少ない
公開年の中での上位選出と、他作品に比べ、
恵まれていたような気がする。
「アニー・ホール」や「ミッドナイト…」等
を上廻る作品とは思えないのだが。
観客の映画の世界への憧れや、
俳優の実像と役の上での虚像のギャップを
同じ人物で描く狙いは分からなくはないが、
二人が同じ場面に存在する違和感
の方が上廻った。
私だったら映画の世界を演劇物に変えて、
舞台の中の世界に完全に洗脳された俳優が、
毎日のように観劇に来ていた女性に恋をして
舞台から降りて騒動を巻き起こす、として、
同じ人物を同じ空間に置く手法は
採らないだろう。
その方がもう少し違和感なく、この作品に
入り込めたと思うがどうだろうか。
しかし、ウディ・アレンも
色々な手法にトライをした結果、後に
クラシックカーや馬車でのタイムスリップ
という理屈を超えたファンタスティックな
名場面を創造した
「ミッドナイト・イン・パリ」を我々に
届けてくれた。
この映画は、
それまで試行錯誤過程の作品と理解したい。
映画って本当にいいものだと思える作品
泣きぬれるセシリアが笑みを取り戻すラストシーン。
「見る人を幸せにする伝説の紫のバラ」って映画そのもののことだったんだ、ということに気づいたとき、心から映画っていいものだと思えた。
すべての映画ファンに観てほしいです。
ミア・ファローのラストシーンの表情が、本作のテーマであり結論です 素晴らしい見事な表情でした これほどの美しい表情は観たことありません
セシリアは私達です
こんな会話がトムとあります
皆、年とって体こわして、恋をする余裕ないの
僕たちの世界では皆、張り切ってるけどな
こっちは弱い人間ばかり
君も架空の人物なんかにかまってたら損するよ
実在でなけりゃ意味はないさ
でも映画を観てしまう
だってどうにもならない現実
映画みたいに上手く行かないんだもの
そう映画は逃避、代償行為
そんなことわかってる
でも現実だって記憶は映画みたいなものです
都合よく編集してつまらないシーンはどんどんカット
映画のような大恋愛に仕立てて繰り返しロングラン上映
ヒロインはCG 顔負けで修正して超美人
だから元ネタが要るんです
沢山映画観て引き出し増やさないと
記憶の作品がつまらなくなる
記憶の次回作の用意も必要です
こんなロケ地いいな
こんな台詞いいな
こんな脚本で、こんな演出で
妄想を膨らませるにはいい映画を沢山観てないと
ミア・ファロー 40歳
ロースマリーの赤ちゃんは23歳、ジョンとメリーは24歳、フォロー・ミーは27歳、華麗なるギャツビーは29歳
どの役も素敵な新婚さんか、結婚したい対象でした
34歳のナイル殺人事件では、まだまだ若いけど微妙な感じになった女性を見事に表現していました
その彼女も40歳の中年女になってしまいました
40にもなると誰でもオバサン体型になってしまうものです
たまにガリガリになって干からびてしまう女性もいます
ミア・ファローは後者ぽいですがそれは昔からのこと
胸はペッタンコ、尻に肉は無くて、腰も張ってないし、口悪く言えば鶏ガラぽい身体つき
それにお肌はカサカサしてそう
でもでも干からびてなんかしてはいません
痩せていても柔らかい曲線があるんです
かわいいのは40歳になっても変わらず
まるで少女のまま40歳になったかのよう
性を過剰に主張しない女性
でも中性的でも、男性的である訳でなく女性の優しさ愛らしさを人一倍持っている女性
一言で言えばキュート
それが少女の面影をいつまでも残している女性です
だから、トムが隠れるのは休業中の遊園地です
トムは彼女の満たされない心の産み出した妄想
休業中の遊園地とは楽しかった少女時代の記憶
つまり少女が反芻する記憶と妄想の世界
トムの実存はギル
映画の中ではなくて現実の世界
そうなるとやっぱり現実の恋なんて上手くいかない
そんなことわかってる
ミア・ファローでなければ、他の女優には絶対表現できっこありません
私達は少女の心を抱きしめてあげるしかないのです
傷つきまくった古い革のバッグみたいにクタクタにくたびれはてた心
中にはガラクタしか詰まってない心
それは私達の心です
映画が逃避でも代償行為でも何が悪い
恋人がいなくても、ポケットにお金が無くても、心が豊かになるのは確かなのだから
ミア・ファローのラストシーンの表情が、本作のテーマであり結論です
素晴らしい見事な表情の演技でした
これほどの美しい表情は観たことありません
撮影が何気に素晴らしい仕事をしています
特に劇中の「カイロの紫のバラ」の白黒部分はセット、書き割りの窓の外の夜景、照明、レンズやフィルムの感度の味まで再現していました
カラーをそのまま白黒に変換したところで、平べったい映像にしかなりません
昔の様な白黒映画の撮り方のノウハウがなければこのような絵にはならないと思います
そしてそこに登場する役者達のメイクやかつら、仕草言葉遣いまでもが、見事な再現具合なのです
簡単にできる?そんなものではありません
白黒映画を沢山観て愛している各部門のスタッフが総掛かりでやったとしても無理
往年のメイクさん、ヘアメイクさんとか、もうとっくに引退しているベテランの人たちを連れて来ないとこんな再現はできないはずです
恋人ミア・ファローの為に作ったウディ・アレンのファンタジー映画
ウディ・アレン監督が恋人ミア・ファローの為に作った作品。非現実のスクリーンから理想のヒーローが抜け出し、ファローとの純愛を描く。しかも、その実在の男優を加えた三角関係を絡ませて、最後はひとり取り残されたファローをスクリーンに向かわせる。アレンは実生活の恋愛関係を臆面もなく映画のストーリーに忍ばせて、映画創りを楽しんでいるようだ。アレン監督のセンチメンタルな恋愛観も伺えるが、作品としては現実逃避のファンタジーで終わる。
1987年 3月3日 宇都宮アーバンシアター
映画ってば、こういうことなんだよね~ という映画
なぜか、ウディ・アレンに縁がなく、タイトルは知ってるけど、ひとつも観られていない。のだったが、偶然つけたTVで始まったので、観ることに。こういう出会いがあるので、スターチャンネルがやめられない。ww
しかも、観始めると、私の好みではない設定。ちょっと我慢しながら観続ける。
しかし、とんでもない話なのに、なぜか、登場人物が、どんどんチャーミングな会話をしていって、笑える。しかも、恋! こういう会話、いいなぁ~~~ ww
で、どう収めるのかと思ったら・・・・
彼女のあのほんの口の端の笑顔。。。
せつないなーーーーー
やられた~~~~ 涙が つーーーーーん
映画大好き人間のための映画
泣き濡れたミア・ファローの顔が新しい映画の画面を観ながら明るくなっていくラストシーン。セリフなしの映像だけで映画大好き人間の心を見事に切り取ってくれた名シーン!
今夜ロマンス劇場でが好きならば
これも映画好きのための映画なんだろうなぁ。最近でもスクリーンの中に入ってしまうというプロットの映画はどんどん作られているわけだし、俳優たちと語り、一緒に演技をし、恋に落ちるなんてのは映画ファンの心そのままだと思います。
しかし、この映画はそうしたファンタジーも表現されてはいるが、ラストにも象徴されるように、妄想ファンに対して「現実に戻る」ことをも促しているような気がしてならない。映画は映画、観ているときだけ現実逃避すれば最高なのであって、現実は厳しいものだと・・・
映画ファンへの死刑宣告 兼 ラブレター
暇さえあれば映画を見ている自分のような人間にはたまらなく切なくて暖かい映画
当時40歳だったとはとても信じられない、諸々可愛くてたまらないミアファロー 演じるセシリアに起こるまさしく 映画 のような出来事は最後 全て当然であり必然であった かのようにあっさり、すっぱり消え去ってしまう。ジェフダニエルズ演じるギルシェパードも一見するととてつもなく薄情な輩に見えてしまうけど、恐らく一連の出来事はセシリアだけではなく、この二人にとって 束の間の現実逃避 であった というのが個人的な解釈であり、恐らくこれこそウディアレンの 映画観 なのだと思う。
映画なんて見ても何の腹の足しにもならないし、束の間の現実逃避は出来ても映画館を出ればそこには避けようもない現実が待っている。
そんな、素晴らしい映画を見た後に感じるある種の 虚しさ をこれ以上なくチャーミングに、儚く撮ってみせたところがたまらなく良い。
そして何より素晴らしいのは 何故それでも私たちは映画を見てしまうのか という永遠の謎に、ラストミアファローの最高に切なく悲しい笑顔のみで回答してみせるスマートさよ。
また映画を見よう とここまでど直球に思わせてくれる作品は他にはない。大好きな一本。
あととにかくミアファローがかわいい
全ての映画ファンに送られた佳作
キートンの探偵学入門をコラージュしつつ映画への思い、映画ファンへの思いを綴った佳作。旅行も冒険も贅沢も素敵な恋も非現実であった時代に、映画は夢そのものだた事を思い出させてくれた。映画を見終わって余韻が残りつつ映画館を出るときに感じた寂しさのようなものまでエッセンスとして加えるあたりがウディ・アレン流。
不思議な後味
ウディ・アレンの映画って初めて観たんだけど、これはとりわけファンタジックなのかな?他のは普通なのかな。
現実的に考えさせない、ツッコむ気も起きないほどスクリーンの出入りも当たり前のように、
その自然すぎる感じとテンポの良さであっという間だったし、陽気なジャズスタンダードで最後まで楽に観られた。
夢見た人が目の前に現れるなんて、そんなこと実際にあったならそれは心傾くよね。
でもファンタジーを思わせながらも逡巡する心のシーンがいくつもあったとこや、エンディングの場面に現実感を感じさせられて切なく。
まるで境目のような作品で、へたに完全なファンタジーを観るよりずっとしみじみした。
楽しかったから他の作品も観てみようっと。
映画館で観たかったなぁ!
冴えない現実にうんざりしている人妻の前に現れたのは、映画の中の憧れのキャラクター。
ロマンティックにささやいてくれて…。ウディ・アレン監督、1985年の作品です。
面白かったです。映画館で観たかったなぁ、残念です。
舞台は1930年代、不況まっただ中のニュージャージーの田舎町。古風な題ねと思ったのは、劇中の映画名が、そのまま作品名になっているからでした。
翻弄される映画好きの人妻セシリア、演じるミア・ファローがとても魅力的でした、可愛い。
呆然とエンドロールを迎えましたが、終わる頃には気持ちが落ち着いて、「…だよね」
劇場なら、そこでゆっくりと会場が明るくなるのでしょう。やっぱり映画館で観たかった!
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