会議は踊るのレビュー・感想・評価
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カメラも踊る‼️
戦前のドイツのオペレッタ映画の中では、「三文オペラ」や「未完成交響楽」とともにかなり印象に残っている作品です‼️ナポレオン敗退後、戦後処理を図るため、各国の君主が集まって開かれた平和会議。そのウィーン会議を背景に展開するロシア皇帝アレキサンダーと町娘クリステルのつかの間の恋・・・‼️やはりこの作品を語る上で欠かせないのは、クリステルがアレキサンダーの別荘へ馬車を走らせるシーン‼️まずここで流れる主題曲「ただ一度だけ」‼️あまりにもキャッチーで、いつまでも耳に残る名曲‼️そして帽子屋から別荘であるお城までワン・カットでの移動撮影‼️馬車を主観にすれちがう人々と風景‼️このうるわしさ、高揚感、ホントに素晴らしい‼️酒場での「新酒の歌」のシーンも印象的なのですが、やっぱり「ただ一度だけ」‼️そしてラストの二人の別れ‼️もう二度と会えない二人の別れ‼️数々の美しいメロディーとともに、あの哀愁に満ちたラスト・シーンがいつまでも忘れられません‼️
本作は従来のサイレント映画よりも音楽で優越し、映像で舞台オペラにも優越して、トーキー映画の大きな可能性を、当時のどんな作品よりも雄弁に語っているのです
会議は踊る
1931年10月公開、ドイツ映画
白黒トーキー作品
会議というのはウイーン会議のことです
1814年9月1日から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議のことです
議題は、ナポレオン戦争集結に伴う国境線の引き直しなどの戦後処理を決めること
参加者は当時の欧州列強の首脳です
会場はあの豪華なシェーンブルン宮殿
議長はオーストリア帝国外相メッテルニヒです
このウイーン会議は、各国の利害が衝突して数か月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評されたことで有名です
もちろん本作の題名はそこから採られたものです
物語は、このウィーン会議において会議の主導権を握ろうと、あの手この手を使うロシア皇帝アレクサンドル1世と、そうはさせじとロシア皇帝を会議から色仕掛けで欠席させて、その影響力を排除しようとするオーストリア帝国外相メッテルニヒとその若き秘書官、そしてその彼が口説いている手袋屋の女店員クリステルを軸にお話は進みます
ロシア皇帝にとっては、ひょんなことから見初めたその女店員との色恋など、 からかい半分の一時の息抜きでしかないのです
国際会議で他国を油断させるための都合のいい道具としか見ていません
哀れな女店員は、皇帝の別荘に囲われてすっかり舞い上がってしまうのです
捨てられることも知らずに
見所は、なんといっても二つの有名な歌の歌唱シーンです
ひとつはロシア皇帝とクリステルが居酒屋に繰り出して、そこで大勢の客が歌う主題歌「新しい酒の歌」のシーン
そしてもう一つは、「唯一度だけ」という歌が、中盤の馬車のシーンとラストシーンで歌われます
もしこの二つの歌をドイツ語で歌えたならどんなにカッコいいでしょう!
サビだけでもなんとか覚えたいものです
英米仏の映画は戦争前から段々と上映禁止になっていっても、ドイツは同盟国だったので本作は戦時中でもしばらくは上映されることもあったそうです
大学でドイツ語を習得していた当時の知識階級の人々の間ではこの歌を原語で歌える人もいたそうです
当時は特に医学はドイツ語がメインだったそうです
本作はトーキーの初期の名作で有名です
単にサイレントからトーキーに変わって声がでたところでどうということもありません
トーキーの素晴らしさを観客に訴求するには何よりも音楽の力であると本作は見抜いていたのです
居酒屋から皇帝とクリステルが帰るシーンで居酒屋の楽団が演奏する「軍隊行進曲」も音楽の力が発揮される名シーンです
フランスのルネ・クレール監督の初トーキー映画「巴里の屋根の下」は、1930年1月の公開で、本作より1年9ヵ月早いです
その作品では音楽を使うことでトーキーの魅力を発揮させています
本作はこれを手本に、さらに発展させたものといえます
そして音楽だけでなく、映像にも凄いシーンがあります
クリステルがロシア皇帝に招かれて馬車で郊外のお城のような皇帝の別荘に向かうシーンの映像の見事さは特筆ものです
街中の手袋屋の店先から商店街を抜け大通りを進み、やがて郊外の野道を走り、小川に掛かる石橋を渡る
その小川にはボート遊びする人がおり、小川沿いには洗濯に忙しい近くの村のおかみさん達
カメラはずっと馬車とクリステルをどこまでも追いかけていくのです
馬車を見送る人々は皆、「唯一度だけ」を歌い踊るのです
映画的な快感があるのです
こんなことは舞台セットのオペラでは到底できません
映画だからこそできる技なのです
つまり本作は従来のサイレント映画よりも音楽で優越し、映像で舞台オペラにも優越して、トーキー映画の大きな可能性を、当時のどんな作品よりも雄弁に語っているのです
これこそが本作を観る価値と意義と言えます
蛇足
ウイーン会議の会場はシェーンブルン宮殿ですが、この会議当時のウイーンは都市改造の40年も前のことです
なので、有名なリングシュトラーセもまだなく、街を城壁が取り囲んでいた時代になります
シェーンブルン宮殿自体は1750年頃完成していたそうです
蛇足その2
ウイーン会議の始まった1814年は、日本では江戸時代の文化年間でした
ロシア使節が長崎に来て通商を申し入れしたり、樺太で松前藩の番所がロシアに襲撃されたり、逆に国後島でロシア船を松前藩が拿捕したりしています
ロシア帝国はナポレオン戦争に勝ち、欧州だけでなく極東にも勢力を拡大しようとしていたのです
ウラジオストクなどのある沿海州が清国からロシア帝国に割譲されたのはその約45年後の1860年のことでした
蛇足その3
ナポレオン戦争は1803年から1814年の11年間欧州大陸全域を巻き込んで続きました
ナポレオンが皇帝になる前の1796年の第一次イタリア遠征から数えると18年もの間続いたのです
その大戦争も1814年4月6日のナポレオンの退位で終わり、彼はイタリア西海岸から30キロほどの地中海に浮かぶエルバ島に追放されて終結しました
なので本作はその4ヵ月半後の8月の終わり頃から始まることになります
本作終盤でナポレオンがエルバ島を脱出したと上を下への大騒ぎになります
ナポレオンの脱出は1815年2月26日のこと
本作では伝令が土埃まみれでシェーンブルン宮殿に駆け込んでそれを伝えます
ウイーンはフランスから800キロ以上もありますから数日後のことでしょう
本作の物語は1814年8月末から翌年2月末までの半年間のことになるわけですね
ナポレオンはその後どうなったかはご存知の通り
結局100日天下で、ワーテルローの戦いに敗れた後南大西洋の絶海の孤島セントヘレナ島に幽閉され、その6年後に遂に病死することになります
ロシア皇帝アレクサンドル1世は、1777年生まれなので、ウイーン会議の時は37歳
彼がナポレオンのロシア遠征軍を1812年に壊滅させ、ロシア帝国を欧州最強にしたのです
彼はウイーン会議の後、ポーランドとフィランドを獲得しましたが、1825年48歳で病死します
ウイーン会議から10年後のことです
日露戦争の時のニコライ2世は、彼の曾孫になります
彼のロマノフ王朝はロシア革命によってその曾孫のニコライ2世の銃殺で断絶することになりました
翻って、21世紀のウクライナ戦争
やがてロシアの敗戦で終わったとき
プーチンの追放や、ウイーン会議めいたものがあるのかも知れません
令和の今にも通用するミュージカルの佳作
会議で訪れた外国で、たまたま知り合った手袋売りの娘・クリステルとの恋愛ということですから、そのお相手方としてのロシア皇帝にしても、どこまで本気の色恋だったのか。
しかし、彼女が会議場の宮殿に向かうときの挿入歌「ただ一度だけ」は、彼女の切ない心情を表して余りがあったと思います。
他にも名曲の数々に彩られた本作ですが、その一点でも、昭和初期に当たる時期の製作ですが、令和の今でも鑑賞に値する一本と思います。評論子は。
史実より娯楽に徹したオペレッタ映画の、開放された極上の愉悦
1814年のウィーン会議の史実から発想された、手袋売りの娘クリステルとロシア皇帝アレクサンドル1世の美しく咲き夢広がり、そして儚く散り行くロマンス。忍び寄るナチズムの気配は全くなく、異様な程の明朗さが際立つ実に楽しいオペレッタ映画の名作。宰相メッテルニヒの裏工作もありで、国際会議の駆け引きを娯楽的な色彩に染め上げる徹底ぶりに、映画としての凄みを感じる。馬車に乗ったクリステルのリリアン・ハーヴィーが主題曲”ただひとたび”を歌いながら皇帝の別邸に着くまでの長い移動撮影シーンが、クライマックスにして圧巻。シューベルトの”軍隊行進曲”も効果的に使われている。ドイツ映画の最大にして最後の輝きを想わせる歴史的な映画遺産。
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