オリーブの林をぬけてのレビュー・感想・評価
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追いかけて原っぱ。と言うか畑?で捕まえた!だっちゃ。
キアロスタミの観戦シリーズの第四戦に御座います。
少なくとも35,000人が命を落としたとされる1990年のイラン北西部、ルードバール地震後の同地区で映画を撮影するチームを題材にした、ネオ・ドキュメンタリー。
キアロスタミの手法も文法も、かなり飲み込めてきました。今回のテーマは女性たちの感情表現、と言うか自己主張のあり方、の変化。みたいに見えます。
キャストには「友達の家はどこ?」の2人が、そのまんまの名前で出てきますし、「桜桃の味」の老トルコ人役の方も同じ名前で登場します。これ、もしかして本名?
物語りの方は、結婚による公平化を主張し、好きな女の子に対してもイスラム的女性蔑視な態度は取らない、いや、取りません!と言ってる若者の、思いが通じるまでの数日間の話。
ラストの俯瞰長回しが、凄く印象的。と言うか、あそこまでツンな彼女は、結局のところ家や因襲から彼を拒否してただけ?って事なんですね、脚本的にはw
イライラしたり、のほほーんしたり、げっそりしたり、ちょっぴり驚かされたり。何時も通りの、リアルな時間感覚で。
104分はキアロスタミとしては長目。そのまんまに、多少だれてはしまうけど、のんびりとイランの田舎町を旅してる気分になる映画でした。
やっぱり、1作目、2作目が好きかな。
メタフィクションと思いきや、その展開や如何に?
前作で既にドキュメントとフィクションが融合されていたのに、そんな映画を更にメタ展開してラブストーリーなんて、
キアロスタミ本人も思いついた時には、コレはイケる!と思ったに違いない。
しかし、ストーリーは至ってシンプルなのに、撮影現場では、そのメタな設定(監督が3人=キアロスタミ+本作の監督役+前作の監督役)にスタッフ全員が割と混乱したらしい。
そして、そんな状況で描かれる恋愛事情が、現実における、まさに現在進行形ともなると、これはもう映画史上初だったのでは?
今回も、相変わらず芝居とは思えない、素人俳優たちの演技だったが、特にあの二人にとっては本作は本当に芝居どころでは無かったのだろう。
欲を言えば、印象的なベランダで鉢に水を入れるシーンが、割とあっさり流れてしまったのは、かなり勿体なかった。
あの構図は本当に美しいので、もっとじっくり見せて欲しかった。
尚、あのラストシーンで起こったことは、実際、本当の出来事だったらしい。
最初のテイクの出来が悪く、ロングショットで、二人の会話を聞けなかったキアロスタミが、本当に話をしたのか?ホセインに聞いたところ、答えがノーだったので、一晩じっくりと話し合ってみたら、ホセイン自身も驚愕するような「何か」をキアロスタミが引き出したらしく、相手の彼女の方ともキアロスタミは話し、改めて撮り直したらしい。
その「何か」は二人だけの秘密らしいが…
イヤ〜!気になる!
まあ飛び上がるくらいハッピーな事は、きっと最後に起こったのだろう。
あの引きのロングショットでホセインが必死に走って戻って来る中、ゆったり、そよ風に揺れていたオリーブの森の木々の緑が忘れられない。
人としての視点で見ること
キアロスタミ監督(1994)のこの作品は音楽も含めて出だしがちょっとモフセン監督のサラームシネマ(2002)と同じようだ。私の感じたままを書いただけで、物語の展開はサラームシネマテーマとは違う。サラームシネマははっきり言って、独裁、専制主義の批判だと思っている。『オリーブの林をぬけて』キアロスタミ監督の主義主張が明確に出ていて、それがホセイン(ホセイン・レザイ)の言葉になって力強く私の心に響く。キアロスタミ監督のこ
のタイプの映画を観ると、どの映画もみたくなくなるんだよね。私にとって、この執拗にまで自己主張をして、その意味が深いので、このまま自分自身もとまっちゃう感覚に落ちいるんだよね。
ここに書くのはあくまでも私の見解である。この映画はキアロスタミ監督の傑作の一つだと思う。『クローズアップ』のようなタイプの主人公ホセイン(ホセイン・レザイ)が、自分の好きな女性タヘレ(タヘレ・ラダニアン)が映画のあるシーンで『Mr.ホセイン』と夫(ホセイン)に対して言えない理由をホセインは監督たちやクルーに説明している。それも、監督やクルーたちが動きを止めて一心にホセインの言葉に耳を貸す。一瞬時が止まったような気がした。そして、監督の決断は、これで『撮影終了』と。取り直しはない。このシーンが最高で涙がでた。イランの社会にもっと男女(夫の役割妻の役割でなくお互いに助け合い)平等の思想があってもいいと監督は訴えていると思う。それに、新世代はもう映画撮影している古い世代のジェネレーションと違っていていいんだ。変わらなきゃと。監督の主張はホセインの言葉になって現れていると思う。最高!
また、監督がスタッフは帰りの交通手段で、揉めているから、あるいて帰ったらとホセインに。そして、そっと、後を追う監督。
この映画監督(モハマッド・アリ・ケシャヴァーズ)明らかに、キアロスタミ監督の化身。
ホセインは字が読めなく、家も持っていない。タヘレのおばあさんはこの理由で孫娘をホセインに嫁がせたくない。ホセインは自分のことをマナーがあり、利口で、人を理解してあげられると。妻に先立たれた料理(Taleche-Tolabと言う料理を作っている)のできる老人の会話で分かるが、男が料理する事が出来ることは、女が嫉妬する?と監督が聞いているから、そう言う風習が蔓延っているに違いない。
個人的にはこだまのシーンがよく理解できなかった。どなたか分かったら説明してほしい。
ホセインがタヘレと結婚したい理由の一つに『利口、本が読める』があるが、トラックに乗せた山の奥の女性には興味がないとホセインがいう。監督はここで賢く、彼なりの論理を使って、タヘレを諦めさせて、山の女性との話を進めようとしたが、ホセインには勝てなかった。二人が、字が読めなかったら、誰が子供の宿題を手伝うの?とホセインがいう。ホセインの説得術が好きだな。それに、貧しい人は金持ちと結婚し、字の読めないものは字の読めるものと結婚することにより、お互いに助け合う事が出来るとホセインがいう。監督は同意しないが、心の中でしている、これが社会のためにベストなことだと。
私はこの映画を観ながら、なぜ地震の死者数が65人でホセインは25人と言わない?なんだ!!ホセインはタヘレを説得し一緒にいる時間が欲しかっただけなんだと分かった。ホセインは彼女に、『お茶を私があなたに入れる。また、他の日はあなたが私に入れる』と、伝統的な夫婦の姿を覆している。
わあ。。。私の心にグサグサっと入ってくる。感激した。
キアロスタミ監督は人間に焦点を当てていて、この映画のストーリーを人としての視点で見ている。あっぱれ!
ひたむきな彼女への思いがぐっとくる
「友だちのうちはどこ?」「そして人生は続く」
そして今回の「オリーブの林を抜けて」の三部作だそうだ。
「そして人生は続くを観てからこの「オリーブ・・・」を
観たら良かったのかなあ・・・
実際のお話で登場人物もイランのある村の人が演じているそうで
役名も実名と一緒。
村人によって撮影が行われるのだが
夫婦役の夫役の男性が妻役の女性に恋をして
撮影の合間に求婚し続ける
ちょっとしつこくないとは思ってしまうが
愛する彼女と結婚したいためひたすら口説く彼なのだが
彼女と来たらうんともすんとも言わないのだ
これって彼にはとってはつらいと思うが
ひたすら彼女に思いを告げ続ける彼にぐっと来て
彼女さんなんか言ってあげてよと
彼を応援してしまう
ラストシーンの映像 あれはいったい
ハッピーエンドを願いたい
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