「人としての視点で見ること」オリーブの林をぬけて Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
人としての視点で見ること
キアロスタミ監督(1994)のこの作品は音楽も含めて出だしがちょっとモフセン監督のサラームシネマ(2002)と同じようだ。私の感じたままを書いただけで、物語の展開はサラームシネマテーマとは違う。サラームシネマははっきり言って、独裁、専制主義の批判だと思っている。『オリーブの林をぬけて』キアロスタミ監督の主義主張が明確に出ていて、それがホセイン(ホセイン・レザイ)の言葉になって力強く私の心に響く。キアロスタミ監督のこ
のタイプの映画を観ると、どの映画もみたくなくなるんだよね。私にとって、この執拗にまで自己主張をして、その意味が深いので、このまま自分自身もとまっちゃう感覚に落ちいるんだよね。
ここに書くのはあくまでも私の見解である。この映画はキアロスタミ監督の傑作の一つだと思う。『クローズアップ』のようなタイプの主人公ホセイン(ホセイン・レザイ)が、自分の好きな女性タヘレ(タヘレ・ラダニアン)が映画のあるシーンで『Mr.ホセイン』と夫(ホセイン)に対して言えない理由をホセインは監督たちやクルーに説明している。それも、監督やクルーたちが動きを止めて一心にホセインの言葉に耳を貸す。一瞬時が止まったような気がした。そして、監督の決断は、これで『撮影終了』と。取り直しはない。このシーンが最高で涙がでた。イランの社会にもっと男女(夫の役割妻の役割でなくお互いに助け合い)平等の思想があってもいいと監督は訴えていると思う。それに、新世代はもう映画撮影している古い世代のジェネレーションと違っていていいんだ。変わらなきゃと。監督の主張はホセインの言葉になって現れていると思う。最高!
また、監督がスタッフは帰りの交通手段で、揉めているから、あるいて帰ったらとホセインに。そして、そっと、後を追う監督。
この映画監督(モハマッド・アリ・ケシャヴァーズ)明らかに、キアロスタミ監督の化身。
ホセインは字が読めなく、家も持っていない。タヘレのおばあさんはこの理由で孫娘をホセインに嫁がせたくない。ホセインは自分のことをマナーがあり、利口で、人を理解してあげられると。妻に先立たれた料理(Taleche-Tolabと言う料理を作っている)のできる老人の会話で分かるが、男が料理する事が出来ることは、女が嫉妬する?と監督が聞いているから、そう言う風習が蔓延っているに違いない。
個人的にはこだまのシーンがよく理解できなかった。どなたか分かったら説明してほしい。
ホセインがタヘレと結婚したい理由の一つに『利口、本が読める』があるが、トラックに乗せた山の奥の女性には興味がないとホセインがいう。監督はここで賢く、彼なりの論理を使って、タヘレを諦めさせて、山の女性との話を進めようとしたが、ホセインには勝てなかった。二人が、字が読めなかったら、誰が子供の宿題を手伝うの?とホセインがいう。ホセインの説得術が好きだな。それに、貧しい人は金持ちと結婚し、字の読めないものは字の読めるものと結婚することにより、お互いに助け合う事が出来るとホセインがいう。監督は同意しないが、心の中でしている、これが社会のためにベストなことだと。
私はこの映画を観ながら、なぜ地震の死者数が65人でホセインは25人と言わない?なんだ!!ホセインはタヘレを説得し一緒にいる時間が欲しかっただけなんだと分かった。ホセインは彼女に、『お茶を私があなたに入れる。また、他の日はあなたが私に入れる』と、伝統的な夫婦の姿を覆している。
わあ。。。私の心にグサグサっと入ってくる。感激した。
キアロスタミ監督は人間に焦点を当てていて、この映画のストーリーを人としての視点で見ている。あっぱれ!