劇場公開日 1949年11月1日

「1分半で47カット!」汚名 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.01分半で47カット!

2022年12月21日
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自由闊達なカメラワークとカッティングが光るヒッチコックらしい一作。サスペンスとメロドラマが絶え間なく相互嵌入する筋立てはいかにも正統なるフィルム・ノワールといった風格だ。硬派気取りのケーリー・グラントがあれよあれよという間にイングリッド・バーグマンの健気な魔性に魅入られていく流れは凡庸といえばそれまでだが、とはいえこんなに美しい女が目の前に現れたら誰だって仕方ないよな…という視覚的説得力がバーグマンにはある。

ヒッチコックは作品ごとに異なるアプローチでカメラワークやカッティングの決まりごとを脱臼させていく。『めまい』ではカメラを素早く手前にドリーしながら対象をズームすることで高所恐怖症患者の不安定な心境を表現し、『ロープ』ではロングショットを繋げていくことで疑似的な全編ワンカット映画を成立させ、『裏窓』では怪我で自宅療養中の男の視線にカメラを局限することで観客にVR的なスリルと没入感をもたらした。

かくして映画史的パラダイムシフトを次から次へと引き起こしていったのがヒッチコックという監督だ。しかし彼は過去作の分析的批評に端を発するヌーヴェルヴァーグやそれ以降のいわゆる芸術映画などとは根本的にスタンスを異にしている。彼はただ「観客によりビックリしてほしい」というただその一点に心血を注いだ結果、図らずもその名を映画史に刻んでしまったのだ。古代の平民が使っていた皿や壺が実のところとんでもない超技術によって焼き上げられていた、みたいな話はよくあるが、それの映画版がヒッチコックだ。

さて本作の最もヒッチコックらしいポイントは、言わずもがなラスト数分の目まぐるしいカット割りだ。映画評論家の北村匡平が分析したところによると、グランド演じるデヴリンとバーグマン演じるアリシアが屋敷から脱出するまでのわずか1分半の間に、カットが47回も切り替わっているという(『24フレームの映画学』)。今でこそ目まぐるしいカット割り演出はそこそこの頻度で見かけることがあるが、それでも1940年代に平均して2秒に1回のカットというのは常軌を逸している。

やっていることといえば、親ドイツ労働者党の紳士たちが向ける疑惑の視線を素通りして屋敷の外に出て行くというただそれだけのことなのだが、そこには視線の動き一つで全てがひっくり返ってしまうのではないかと思われるような緊張感がある。とにかく目、視線だ。目が口に先んじて全てを語っている映画だ。たとえ無音でも登場人物たちの視線の動きを追えばなんとなく何をしているのかがわかる。特にセバスチャンの目はすごい。彼の目は蛇のように屋敷じゅうを這い回り、鍵の増減やワイン室での隠蔽工作を目ざとく発見する。

後半の緊張感溢れる雰囲気に比して前半はかなり脳天気でユルユルだ。まるで違う映画のようでさえある。ヒッチコックなんかつまんねーよ!と知人に苦情を言われたことがあるが、理由を訊いてみると前半の退屈さに耐えきれなかったからだという。確かに、あのヒッチコックなんだから徹頭徹尾宙吊りの緊張感に晒されるんだろうな…などと覚悟してかかると、意外にも肩透かしを喰らうことは多い。けどそこがいい。やはりヒッチコックは映画史に名を刻む芸術家である前に、愚かなるアメリカ国民に奉仕する職業監督なのだ。初めのうちはポップコーンをコーラで流し込んでボーッと画面を見上げていても理解できるような平々凡々の話を垂れ流しておいて、次第にギアを上げていく。そして最後にはトイレに行くのも忘れるほどの張り詰めたサスペンスとカタルシスをお見舞いする。

映画内のみならず観客の様相をも自由自在に操作してしまうヒッチコックはやっぱりすごいな、と改めて思った。

因果