男が女を愛する時のレビュー・感想・評価
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精神的飢餓。愛という縁は、しばりか。成長か。
当時メグ・ライアンが人気絶頂で、興行狙いだろうとスルーしていましたが、なんと深い中身がちゃんとありました。精神的飢餓。夫婦や家族や社会的豊かさがあっても、人間の中には虚無という闇があります。
夫はパイロット、妻は美しく教師という仕事、二人とも善き人たち。幼き長女と次女。愛し合っている恵まれた幸せ家族。なのに、妻は徐々にアルコールに依存する。
なぜか。何が不満?誰もがそう思うでしょう。当人達ですら「わからない」というのですから。ここに真実味があります。
でも無意識はサインを出し続ける。
社会的成功者である夫は、オスとして妻や家族を守る優れた男です。でもその自負が、家族を「女・子供」という、自分と比べ弱い未熟な人格というステレオタイプな認識となり、ちょいちょい内面の未熟さが見え隠れする。妻もはじめはお姫様のように愛し尽くされ、頼り切る可愛いオンナ。でもね。夫の幻想に合わせ、理想の妻&女性という枠にがんじがらめ。嫌われたくないから。愛という名のもとに、娘二人育てるだけでいっぱいいっぱい。
幼き優秀夫は自分のことを未熟なんて思うわけがない。良い人なんですよ、本当に。
愚痴も言わない俺がそんなメンタル弱い人間と一緒にされるのは...って感じで、依存症家族の会もどこか自分向けではないと思っている。「治す」のはあくまで「依存症である妻」。しかし別居後、笑顔が戻った妻を見て、落ち込む夫。結局、夫の自己効力感を上げるため、妻子が土台になってくれていたのか。自分が妻子を支えているつもりになって、自信満々だったのに。
幼き長女、彼女の感性がこの映画を輝かせています。
精神年齢は彼女の方が上です。彼女には色々見えてるんですね。妻の連れ子という立場、妹は現父の実子。幼きながら、どれだけアンテナを効かせ、気を遣っているか。幼き優秀父は、なんだかんだで少し成長、後半でようやくこの長女と心の対話ができるシーンがあります。この部分のやりとり、ここにやられました。一生忘れられない。この長女が、幼き優秀父の精神的成長を促す、触媒的存在なのです。こんな描き方は初めてみました。
対話に年齢は関係ない。社会的評価で優秀でも「対話」ができるとは限らない。会話はできても。自分の影と向き合うことは、弱いからでなく、誰もが通らなければならない道です。それを経ていない人は対話にならないし、信頼を育てる心の土壌が無いということ。
妻はリハビリ施設に入所、そこでの出会いから、夫より一足先にそれに気がつきました。
上辺のキラキラは他人が見るもの。そうした他からの承認欲求とは違う、自己の承認欲求とでも言いましょうか。自分を満たしていくのは、ステイタスや、まして人でもなかった。自分の中の土を耕し、また相手の中にもその土壌を見いだし、お互い何かを育てていくのを認めあい、支え合うことでしか得られない。
エンディングの描き方は少し安易に感じましたが、ここでめでたしめでたしではなく、まだ現在進行形ということでしょうね。
男が女を愛する時、というとロマンスを想像しますが、もっと深い、自由も含んだ親愛みたいなもの。育てていく意志はありますか?と問われているような作品でした。
ハッピーなラブコメだと思ってみるとガツンとパンチを食らいます。
パイロットの夫と教師で2人の娘に恵まれた夫婦。ちょっとしたすれ違いから妻がアルコール依存症になってしまい二人は離ればなれになってゆく物語ですが、
はっきり言ってある時期はやったいい男と、いい女の大人の恋物語かと思ったらはっきり言って考えさせられた。一生懸命やってるのに受け入れられない夫、愛するが故に空回りする感情と凄く心に刺さって、涙が出てしまう。夫の立場からアンディー・ガルシアがかわいそうで、大好きな女優である、メグ・ランアンがわがままないやな女に見えてしまって凄く複雑です。多分メグライアンだから許せる女だが別の女なら多分、許せない(笑)正直、彼女でなくても良かったのではという感じです。
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