「オール・アバウト・マイ・マザー」オール・アバウト・マイ・マザー きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
オール・アバウト・マイ・マザー
「たとえ嫌いでもあなたには母親がいるのよ」
「ママがいることを忘れたの?」
ロサに向かってマヌエラが言った言葉だ。
いいなぁ。
この映画を観ることにしたのは理由があって、この映画のポスターの「顔の絵」を自分のアイコンにしていた友人がいたので。
・・おそらく友人はこの映画を特別に大切にしているんだろうと僕はずっと想像していて、「いつか観るべき映画リスト」に入れてあった本作なのです。
で、
女芝居の虜になってしまう。
女たちの生き様に嫉妬してしまうほどだ。
立場や倫理観や社会的階層が違っても、何人もの女たちがゆきつ戻りつして言葉を交わし、視線を交わし、お互い訪ね合い、そうして関わりを紡いでいく。
僕も女になりたいと思うほどに(笑)、僕は女優たちのあの嘘のない演技力に目を見張り、のめり込んでしまった
スペインの女優たち、すごいです。
・・・・・・・・・・・・・
僕の母は画家を目指していた。
油彩の筆とは→ 画布にこねくり回していじり回しているうちにだんだん完成に近づけるのでばなく、
「この場所にこの一点」、
「この色を絵筆から真っ直ぐにキャンバスの一点に置く」、
「一点ずつ完成させる」。
というそのタッチなのだと言っていた
貧乏生活で絵筆を折り、作品のすべてを焼いてしまった一本気な彼女だが、
そんな母の遺言は3つ
・延命措置はしない
・献体の手続きの実行
・死に顔を誰にも見せないでほしい。
ああ、わかるよお母さん。
気丈に生きた母に、バレエのプリマドンナ マイヤ・プリセツカヤの「白鳥」の動画を見せた、古いほうの動画だ。
そうだ。これ分かる、と言っていた。
「瀕死の白鳥」は、解説が必要ないほど有名で、サン・サーンスの甘美なチェロに乗せて可憐に白鳥が舞う。
あれは小さな女の子たちが「いつかは私も踊りたい♡」と憧れるロマンチックな演目だ。
けれどプリセツカヤの白鳥は違う。まったく違う。
自分の老いた姿を他人の目に晒したくない、孤高の白鳥の「プライド」と壮絶な「絶命の瞬間」を踊る。
空から墜落して、ひとり深い森の奥、小さな池のほとりでもがく白鳥の悲しい姿は、それを目撃してしまった者(観客)を絶句させ、口外を許さない迫力がある。
油っ気が抜けてもはや まばらに荒れてしまった羽根を地べたにバサバサと擦りつけて、かつて自分のものであった大空を見上げるが、もう立ち上がることも飛び上がることも叶わず、膝も折れて、
とうとう小さな痙攣を経て事切れる彼女の有り様は、厳粛だ。
母は動画に共感したようだ。
母には「棺おけの蓋は開けないから心配するな」と約束した。
そんな僕の母を、陸の孤島だった田舎町の実家から、その間垣から解き放って、外の世界へと逃したのがその母親=僕の祖母だった。
「オール・アバウト・マイ・マザー」。
母は僕を育てたし、僕も母を語る。
事故死したエステバンの小さなメモ帳のように息子たち、娘たちは母親の人生を書き留めておきたいと思う。
“息子”アルモドバル監督が女存在に集中して、女への眼差しとリスペクトを尽くして成した、これは傑作だ。
死んだ息子、認知症の老夫、LGBTの恋人たち、生まれたばかりの孫・・、すべての出演者が白鳥をリスペクトしてその周りを囲んで踊る。
僕もそこで一緒に踊りたい。
いつもお世話になっております。
今回の寒波によって積雪10㎝。体感では20㎝。仕事も忙しくて映画を見る暇がありませんでした。
今回の雪で思ったのですが、プリウスを中心としたハイブリッドFF車(俺の営業車はSAI)は坂道に弱い!!
スノーワイパーってのは使ったことないけど、とにかくリアワイパーが欲しいkossyでした。
この作品は好きなのにレビューが出来ていません・・・もう一度見なきゃ。
この映画のポスターをアイコンにしているお友達は、仰るとおり、本作をとても大事にしていると思います。アイコンがきっかけで本作を鑑賞し理解し共感してくれた(それも男性)ならば、それはそれは大変喜んでいると思います。
胸に染みるレビューでした。
言われてみれば、きりんさんのお母様、私の祖母や母をはじめ、多くの女性の歴史を書き留めた作品かもしれないですね。アルモドバルは誰でも母になると言っている様に思います。もちろん、本作に共感したきりんさんも、今は一緒に踊っていますね。