オーケストラ・リハーサルのレビュー・感想・評価
全4件を表示
個性溢れるオーケストラ奏者と指揮者の切磋琢磨が美しい音楽を生む、さあ“ダ・カーポ”
フェリーニ作品としては1970年の「道化師」と同じく当初はTV用に制作された為、他の劇映画の大作と比較すれば小品である。しかし、映像に表現されたものは、フェリーニイズムと言えるほどの人間愛と映画愛が溢れ、そこに音楽愛を加えて内容の濃いユニークな映像作品になっていた。長年の盟友ニーノ・ロータ氏の音楽が如何にフェリーニ映画の生命を支えて来たことを思うと、これはロータ氏に敬意を表した音楽映画とも見れる。悲しいことに、ニーノ・ロータ氏は去年の79年の4月に亡くなり、この作品がフェリーニ監督との最後の共作になってしまった。ロータ氏は、本業がクラシックのイタリア音楽界を代表する巨匠である。映画音楽では、フェリーニ作品のほぼ全てと、クレマンの「太陽がいっぱい」、ヴィスコンティの「山猫」、ゼフィレッリの「ロミオとジュリエット」、そしてコッポラの「ゴットファザー」と、どれもが素晴らしく愛される名曲ばかりを映画界に遺してくれた。この作品は、その音楽を奏でるオーケストラの個性溢れるメンバーと、それを統制して一つの音楽にまとめる指揮者の威厳を題材に、フェリーニ監督らしい人間観察による大胆にして赤裸々に飾らない群像劇にもなっている。オーケストラをイメージした高貴さや、芸術に打ち込む神聖さではないところが、また風刺が効いていて面白く興味深い点だ。素人なのか役者なのか見分けがつかない距離で、フェリーニ監督は音楽に携わる人々と語り、優しく抱きしめている。
舞台は古い寺院の礼拝堂で、法王や司教の墓も安置されている。写譜師の老人が楽譜を一枚一枚譜面台に置いていく。彼は、ここの音響の良さを自慢して過去の音楽会を懐かしむ。そこにピアノなどの楽器が並べられ、楽員たちがテレビ取材に反応を示しながら入って来る。その殆どが、クラシック音楽奏者なのかと疑うほどに俗っぽく、上品ではない。それはフェリーニ独特の人間への愛着で染められ、生々しい姿と言葉を持つオーケストラメンバーの個性が浮き出てくる。テレビカメラに向かって、音楽について、自己紹介と辿って来た人生と楽器について、雄弁に楽しく語るのだ。音楽の素晴らしさ、楽器に対する深い愛着、それが個人の中で大きければ大きい程、他の奏者たちとの論争も激しくなる。そしてドイツ人らしき指揮者の登場となるが、契約を交わした客演のようだ。ニーノ・ロータ作曲の音楽のリハーサル開始。指揮者は厳しく演奏表現について指摘していく。暫くするとオーケストラのマネジャーが労働組合の契約規定で休憩を入れるのだが、奏者たちの反乱が起こる。それが指揮者が現れても収まらず、遂には指揮者は要らない、メトロノームが一番となり、更にそれも拒否してメンバーだけの演奏の音楽が最高となる。この異常さは、何故指揮者が必要なのか、指揮者の違いで演奏が変わるのか、といった素朴な疑問であり、優れたオーケストラならば指揮者なしで演奏が可能かを問い掛けたものだ。この混乱した描写のフェリーニ演出のエネルギーが素晴らしい。そして最後は、異様な音と振動が段々と大きくなり、壁が破壊され巨大な鉄球が姿を現す。この混乱と騒動を止めて静寂に変わる展開の面白さ。気を取り直した奏者たちが指揮者の前に集まり、オーケストラ・リハーサルが再開される。画面がフェイドアウトしても指揮者の“ダ・カーポ”と演奏は続いていく。何と見事なエンディングであろう。
音楽を愛し音楽と共に生きるオーケストラメンバーの自己主張を自由奔放にフェリーニ色で描きながら、労働組合の縛りや演奏の質を高めるには何が必要かを提議した音楽の解剖図。それを楽しみながら演出するフェリーニ監督のエネルギーが満ち溢れていた。オーケストラ演奏は映画撮影に似ている。“もう一度”の指揮者の声は、監督がシーンを撮る時の“スタート”と同じ。何度も撮り直し、より良いもの、監督が意図した演技を求めて“カット”と“スタート”を繰り返すのだ。曲が脚本。指揮が監督。奏者が役者。フェリーニはこの作品で、映画と音楽の相似性を具体的に示し、音楽讃歌をニーノ・ロータ氏に捧げたかったのではないだろうか。
1980年 9月7日 三百人劇場
この時劇場に、伊丹十三氏が来られて偶然にも私の一つ前の席に座られました。「お葬式」の監督として脚光を浴びる4年前のことです。それまでの私は、テレビで「北京の55日」と「ロード・ジム」を拝見したくらいで、国際俳優の認識しかありませんでした。、失礼ながら、この時は地味なイタリア映画もご覧になるのだと感心したのです。しかし、5年後の傑作「タンポポ」を観て驚嘆し、日本映画も棄てたものでは無いと感動したことから、私にとって伊丹氏は日本映画監督の巨匠の一人になりました。ここで何故取り上げたかと言いますと、伊丹監督の演出にフェリーニ監督の演出を連想させるものがあったからなのです。特に、この「オーケストラ・リハーサル」の役者の個性を強烈に表現するフェリーニ演出の凄さに匹敵するのではないかと思いました。この個性溢れる演出が、今日の映画には余りみられなくなってしまいましたね。どちらも人間を愛しているのが伝わる演出なのです。
ニーノ・ロータ
元々はTV映画だったようだが、政治的だとして放映もピンチだったようだ。最初はふつうの音楽ドキュメンタリーのような雰囲気だったのだが、徐々に労働者としての楽団員がドイツ人指揮者に腹を立てて、巨大なメトロノームが出てきて鉄球で壁を壊す。
資本家に搾取される労働者を表しているようだが、最終的には冷静になり、芸術家としての誇りを取り戻した。音楽はニーノ・ロータ、気持ちがいい。
やっぱりフェリーニだった!
なんだろうどんな映画なんだろうと思って観てみたらやっぱりフェリーニだった、最初普通に始まる感じだったけどアレ?アレレ?
で途中からオイオイぶっ飛んでるぞ!アリャ!!「やっぱりフェリーニだった!」
全4件を表示