「とても美しい ソフィアローレン」エル・シド タンバラライさんの映画レビュー(感想・評価)
とても美しい ソフィアローレン
うんちくをば
イスラム支配の開始からエル・シドの国の滅亡まで
711年、イスラム勢力(ウマイヤ朝)がイベリア半島に侵攻し、西ゴート王国を滅ぼした。こうして半島はアル=アンダルスと呼ばれるイスラム支配地域となり、ほぼ300年間にわたって統治された。しかし、キリスト教勢力は完全に消滅したわけではなく、アストゥリアス地方など北部の山岳地帯で生き残り、次第に反撃を開始した。これが**レコンキスタ(国土回復運動)**の始まりである。
1031年、イベリア半島を統治していた後ウマイヤ朝が滅亡し、イスラム勢力は**「タイファ」**と呼ばれる小王国に分裂した。これによりキリスト教勢力が攻勢を強め、カスティーリャ王国やアラゴン王国が領土を拡大した。**エル・シド(ロドリーゴ・ディアス)**はこの時代の英雄で、カスティーリャ王国に仕えながらもムスリム勢力とも協力し、独自の勢力を築いた。1094年、彼はバレンシアを征服し、キリスト教の拠点として支配を確立した。
しかし、ムスリム勢力も黙ってはいなかった。北アフリカのアルモラビデ朝が介入し、イスラム勢力を立て直した。1099年、エル・シドが死去すると、彼の軍はバレンシアを守る力を失い、1102年、エル・シドの妻ヒメナはバレンシアを放棄し、撤退。その後、バレンシアはイスラム勢力の手に戻り、エル・シドが築いた国は消滅した。
一方で、カスティーリャ王国などのキリスト教勢力は生き残り、レコンキスタを進め、最終的に1492年、最後のイスラム国家グラナダ王国を陥落させ、イベリア半島を完全に奪還した。こうして、エル・シドの国は滅んだが、彼が戦った大きな流れは、数百年後にキリスト教勢力の勝利という形で決着を迎えたのである。
以下 ネタバレ注意
エルシド は追放された後 軍閥のような形になってどっかの国の傭兵部隊のような形で戦った。その状態は限界があるので国家を乗っ取って自分の国を作ったわけだ。が、よその国で王国を自分の後の代まで続けるのはとても難しかった。やはり王国を続けるに家康 みたいに権力基盤が長きに渡って固定化されてないと。だから その後 エルシドが作った国は本人が死んだ後 あっという間に崩壊してしまったんだな。 寂しいことよ。しかし 混沌の時代で致し方あるまい。