エヴェレスト征服
劇場公開日:1954年1月26日
解説
一九五三年五月二十九日ハント大佐指揮下の一行中、ヒラリーとテンシンによって初めてその頂上を征服したエヴェレスト登頂の色彩記録映画(テクニカラー版)である。世界の最高峰エヴェレスト(二万九千二呎)は、過去三十年間に十回、登頂が企てられて失敗しており、こんどの第十一回目の企ては、英国地学協会と英国山岳会によって、エリザベス女王戴冠の年に行われた。映画中には一九二二年及び二四年の遠征のJ・B・L・ノエル大佐撮影のフィルムも挿入されているが、今回の撮影は登山や探検の撮影に豊富な経験を持つトマス・ストバートが当った。なお、標高の高い山岳部分の撮影はジョージ・ロウの担当。作曲はアーサー・ベンジャミン、指揮はミューア・マシーソン。解説はルイス・マックネイスが執筆し、メレディス・エドワーズと探検隊の一行によって語られる。
1953年製作/78分/イギリス
原題または英題:The Conquest of Everest
配給:東和
劇場公開日:1954年1月26日
ストーリー
一八五二年、ヒマラヤの第十五峰が世界の最高峰として確認され、一九二一年、最初の英国遠征隊が派遣されて以来、七回の遠征はすべて中途で挫折した。二四年にはマロリーとアーヴィンが頂上まで一千呎の箇所に達したが、そのまま不帰の客となった。五一年にはエリック・シプトンが、五二年にはスイスの遠征隊が登頂を企てたが、いずれも失敗に終った。一九五二年十月、英国地学協会および英国山岳会によって、ジョン・ハント大佐を隊長に遠征隊が組織された。綿密な準備ののち、一行はネパールに至り、その首都カトマンヅが出発基地となった。ここで隊員は、テンシンを指揮者とするシェルパ族の作業員達とおちあい、ほかに三百五十人の住民によって、海抜一万四千呎の根拠地チングボーチェまで無事荷物を運び上げた。ここで住民は引きかえし、以後の運搬はシェルパによって行われるのだ。一万八千呎、クーング氷河の附近にベースキャンプが設けられ、ここで三週間、氷瀑への挑戦がつづいた。四月末、氷瀑を上りきったウェスタン・クームの崖際に第三キャンプが設けられた。標高二万五千呎。第四キャンプはウェスタン・クームの中央に置かれ、この上に聳えるローツェ斜面が、一行を妨げた。十日間の努力も空しく、ハントはルートの完成を待たずにサウス・コルへの挑戦を開始した。登攀は苦難をきわめたが、シェルパたちの驚くべき耐久力で荷物を運び上げることが出来た。二万六千呎、サウス・コルに第八キャンプを設けた一行は、いよいよ攻撃を開始した。第一のチームが頂上から五百呎の南峰に達し、第二チームのための道を開いて戻って来た。五月二十八日、ヒラリー、テンシンら五人の第二チームが出発した。かれらは二万八千呎の尾根に第九キャンプを設け、そこでヒラリーとテンシンが一夜を過ごし、翌日の登頂を期した。五月三十日、第四キャンプのハントの許に吉報がもたらされた。ヒラリーとテンシンが遂に二万九千呎の地球最高の地点に到達したのである。
スタッフ・キャスト
- ナレーション脚本
- Louis Macneice
- 撮影
- トマス・ストバート
- ジョージ・ロウ
- J・B・L・ノエル大佐
- 作曲
- アーサー・ベンジャミン
- 指揮
- ミュア・マシースン
- ナレーション
- メレディス・エドワーズ
- Members of the 1953 Everest Expedition
受賞歴
第26回 アカデミー賞(1954年)
ノミネート
長編ドキュメンタリー賞 |
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