「108年を経て、今改めて「不寛容」を問う」イントレランス La Stradaさんの映画レビュー(感想・評価)
108年を経て、今改めて「不寛容」を問う
遂に本作を映画館で観る事が出来ました。嬉しい!。108年前の映画で著作権もとっくに切れているので今ならば Youtube で観る事もできるのですが、「映画は映画館」での信念の下、これまで我慢し続け初めての鑑賞です。
本作監督の J.W.グリフィスは、現代に通じる様々な映画的技法を映画黎明期に築き上げた監督として知られ、本作は彼の代表作であるのみならず映画史上の金字塔とも呼ばれる3時間近い大作です。本作は勿論サイレントなのですが、今回はそこに澤登翠さん・片岡一郎さんという当代一の活動弁士お二人の語りが付きます。これ以上望めない条件を見逃す手はありません。たった一日の特別上映だったこともあり、場内は満席でした。
実は、グリフィスには『國民の創生』(1915) というもう一つの代表作があります。こちらは様々な訳があって映画館で上映される事はもうない(アメリカでは実質上上映禁止状態らしい)だろうと思われたのでDVDで鑑賞しました。これも、「斬新な手法で」と紹介される事が多いのですが、僕には「杜撰な物語だなぁ」としか思えませんでした。だから、「もしかしたら今回も・・」と危惧する面があったのです。でも、それは全くの杞憂でした。
本作は、紀元前6世紀の新バビロニア・キリスト最期の日々・16世紀フランスのサンバルテルミの虐殺・現代(1910年代)の4つの時代の悲劇を「不寛容(Intolerance)」という観点から描いた物語です。この四つの物語が並行して進むと言う設定が、本作独特のスピード感を生んでいます。この映画では、やはりバビロニア・パートの壮大な映像に息を吞んでしまいます。ポスター写真にある途轍もない神殿なのですが、今ならばPCの前に座って作り上げる事も出来るのでしょうが、この時代は勿論全てセットです。
「どれだけバカでかい物を作ってるんだぁ~」
「一体、何千人のエキストラを投入してるんだぁ」
とその迫力に只々口をアングリなのでした。
いや、そうしたお金を掛けた映像のみならず、無実の罪による死刑を食い止めようとする現代パートではハラハラ・ドキドキの演出が巧みですっかり手に汗を握ってしまいます。百年以上前に、これはやっぱり凄いなぁ。
そして、活動弁士のお二人の語りは、決して出過ぎる事がないながらも物語をグイグイと牽引しました。
これは値打ちもの。台風を押してでも出かけてよかったぁ。
PS. でも、今回も「僕は西洋史の知見が足りてないなぁ。欧米の人々にはこんな事は常識的前提なんだろうな」と感じる点が少なからずありました。この歳でも、勉強、勉強。