アンダルシアの犬のレビュー・感想・評価
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世界最強の17分間‼️
手のひらの傷から湧き出てくる蟻、2台のピアノの上に横たわるロバの死体、路上に転がった腕、月を横切る雲、皮でカミソリを研ぐ男、カミソリで真っ二つに切断される眼球の巨大なクローズアップなど、17分間で展開されるシュールでショッキングな映像の数々‼️狂犬病になったときの精神状態を映像にしたら、こんな風になるんでしょう‼️
前衛映画界の〝コペルニクス的転回〟………………‼
1920年代に製作された世界中の短編映画の中で最も優れた作品の一つです。制作陣にはサルバドール・ダリら美術家、監督にはシュルレアリスム映画の巨匠ルイス・ブニュエルが名を連ねている。この「神秘と猟奇の16分」が、不安と戦慄と恐怖と狂気を感じさせる芸術に生まれ変わった時、映画の〝コペルニクス的転回〟が起こった。
しかし、批評家がしばしば言及する「剃刀で眼球を切り裂く」シーン(実際は、牛の目らしい)は、暴力的なシュルレアリスム映画の微に入り、その薔薇の棘のように、ささると痛い描写は、(恐らく、世界映画史にほとんど恒久的に)刻みつけられる名シーンです‼
この種の残虐性と実験性は、後にケネス・アンガーが再現し、パゾリーニが引用している。この映画は、日本の00年代のグロテスク・アニメ、そしてC級映画マニア、グロテスク・ナンセンスと呼ばれるものに大きな影響を与えた。
その後のルイス・ブニュエルのほぼ失敗作の罪を酌むには十分すぎるほどの強烈な映像体験であり、ブニュエルの傑作の中でこれを超えるものはないでしょう。
おそらく、世界中のどの批評家も、皮肉屋な人を除いて、この作品を「歴代短編映画ベストテン」に入れることは間違いないです。
ダダイスムの流れを汲むシュルレアリスムのアバンギャルドにいた自由人ブニュエル監督の黎明
鬼才ルイス・ブニュエル監督が28歳の時に発表したシュルレアリスム(超現実主義)の代名詞的作品。全体を通してストーリーに脈略は無く、奇怪で不思議なシーンをつなぎ合わせた短編映画だが、歴史に遺る程に評価される。その理由の多くは、その後ブニュエル監督がメキシコ、アメリカ、スペイン、フランスと変遷しながら多くの名作を創作し、強烈な個性を確立した巨匠になったからだと思う。共同脚本にはシュルレアリスム画家の24歳のサルバドーリ・ダリが加わり、一つひとつのショットが非現実的な世界観を構築している。ファーストシーンの女性の眼球が剃刀で真横に切られていくショットは、男性が見上げる満月に細い筋の雲が流れる夜景からイマジネーションされている。この目を覆うような肉体の痛みが姿形を変えながら連鎖して、時と場所をも自由自在に飛躍していく。時間で見ると最初に8年後に行き、次に16年前に戻る。これは、シュルレアリスム運動が始まった1920年頃と偶然にも符合する。それはまたシュルレアリスム映画が、第一次世界大戦に対する抵抗として生まれたダダイスム(無意味)から始まったアバンギャルド=前衛映画の流れを汲んでいるという事だと思う。既成の秩序やそれまでの常識を否定して、戦争を起こした社会に警鐘を鳴らす芸術家の抵抗運動と捉えて良いのではないだろうか。
切断された手首は、路上に放置され杖でつつかれる。それを大事そうに箱に仕舞った者は、車に轢かれてしまう。また男の掌からは、土に埋もれた人間のように蟻が湧き出てくる。女に強引に迫る男の欲望と女の抵抗。その男は血を流すロバと足の取れたピアノと聖職者風男二人をロープで引いて威嚇する?。また争う男がピストルで撃たれて倒れると、森にワープして見知らぬ人たちに抱えられ運ばれる。部屋のドアには気味悪い蛾が張り付いて、よく見ると背に髑髏模様をしている。女が口紅を塗り直すと、欲望に飢えた男の口が変化する。そして怒りながら部屋を離れる女は、海岸に出て別の男と恋仲になる。だが、春になると二人は・・・・・
こんな風に下手な表現の文字で羅列しても、映画を観た印象には遠く及ばない。言葉や映像のイマジネーションはひとりひとり違うし、それを相手に伝えるには物語性が必要だからだ。だからこそ、この映画は百聞は一見に如かずの映画になっている。観て感じる感性やイマジネーションの思考訓練には最適の前衛作品だと思う。
この映画の頃の若いルイス・ブニュエル監督は、アナキズム(無政府主義)に心酔していたという。国家権力や宗教の権威に疑問を持ち、個人の自由を最優先する価値観は、ブニュエル監督の経歴と、観た数は少なくも作品から充分想像できます。1910年代から1920年代のサイレント映画は、第一次世界大戦の世相を反映した社会の激変期にあり、ダダイスムやシュルレアリスムの前衛映画が生まれた時期でもありました。個人的には、44年前のフィルムセンターで観た映画に、ドイツのハンス・リヒター監督の「リズム21」(1921年)があります。当時は今でいうアニメーション映画にあたるのかと思いましたが、調べてみるとダダイスム映画のくくりで説明されていました。抽象的な図形、正方形や長方形の模様が拡大したり縮小したりするだけの短い実験映画です。嬉しいことに、それが今は他のリヒター作品と一緒にVODで観ることが出来ます。この「アンダルシアの犬」も見直すことが出来ました。伴奏音楽が、リヒャルト・ワーグナーの楽曲で意外と思いましたが、映像と対立しても違和感より面白さが増して良かったです。映像と音楽のコラボレーションはやはり良いですね。
ナンセンスは爆発だ。
ダリは昔(中学2年生)から好きな画家で、その理由は『アンダルシアの犬』の冒頭の場面だった。でも、目の手術の必要性が幼い頃からあって、怖くて見れなかった、老人になって昨年、白内障の手術をしたので、いよいよ、特望の鑑賞となった。
エロ、グロ、ナンセンス(?)かなぁ?
エロは女性とのカラミ。グロは目から水晶体が。そして、ナンセンスはビアノと引かれる狂気の牧師(神父の間違い!)。
まぁ、
分かった事は、くすぐられる様に、冒頭のシーンのみに気を取られてしまう。
それだけで、良かったと感じた。
最後の『春にて』は?まぁ、いいか?
餓の場面だけ、アメリカの『ホラー映画(?)羊たちの沈黙』かなぁ?と思った。
1929年にポル○まがいな表現は凄いと思うが。
フェルメールの『レースを編む女?』は見事にシュールな絵として、この映画にコラージュしてていると感じた。
わけ分からないけど、エロ、グロ、ナンセンスだ。ナンセンスは爆発だ。
翌年に大恐慌が起こり、狂乱のエロ、グロ、ナンセンスが終焉を迎え、シュールレアリスム等のアバンギャルド芸術を嫌うナチスが牙をむき出す。この映画はそれを予見しているように感じた。
ダリてるー
21分の短編映画
1928年(昭和3年)の作品
当然のことながらモノクロ無声映画
YouTubeで鑑賞
ダリが監督と一緒に脚本を書いている
ピカソもマグリットも絶賛
シュールレアリズムの怪作
いきなりグロ
カミソリで目を切られる女
自転車で転倒し頭を打ったと思えばもう1人同じ男がいて
手のひらから蟻がウヨウヨ出てきたり
窓を開ければ道端に落ちている切断された手を杖で突く若い男は群衆がいなくなると車道でボーと突っ立って車に轢かれる
死んだロバ2頭を乗せたピアノ2台と神父2人と南瓜2つをロープで必死になって引っ張る男
女の胸を揉みながら白目で口から血を流す男
男が汚れた手帳2冊を持ったら2丁拳銃に早変わり発砲
女があかんべえしたらそこは浜辺
ハッピーエンド?
なんじゃこりゃ
わけわからん
でもシュールレアリズム嫌いじゃない
あとなぜか犬は出てこない
悪夢的イメージの連続。映像化されたシュルレアリスム。
この映画はルイス・ブニュエルの監督デビュー作であり、サルヴァドール・ダリが共同監督を務めている。
アルゼンチン・タンゴが流れてくる中、ブニュエル自ら演じる男が登場し、空を見上げると満月に一筋の雲がかかっている。場面が変わり、あの悪名高い目玉を切り裂くシーンが現れる。
満月を眼球に見立て、雲を剃刀に置き換えたというのは一目瞭然で、ほかにも掌を這い回る蟻や、木箱から転がり落ちる人間の手首など、心が掻き乱される映像が続く。
しかし、そのショット1つ1つの意味を見出そうとしたところでそれはただの思い込みに過ぎない。
そもそも、ブニュエルとダリが本作を撮る際に決めたルールは唯一つであった。
すなわち、「合理的、心理的イメージを一切排除し、文化的な説明を成り立たせるような発想を受け入れぬこと」で、これはシュルレアリスムの定義と合致する。
その中でも特に有名な冒頭のシークエンスは、シュルレアリスムの最重要概念である"不気味さ"を強烈に表現した名場面といえる。
本作は誰が見てもその気味の悪さに耐え難くなってくるだろうが、次第に一貫性のなさ、破壊的イメージに(シュルレアリスムの原則に忠実にのっとっているのだが)ある種の心地よさを覚える。
かつてブニュエルはこういった。「愚かなる群衆は、実際には絶望的なもの、殺人への情熱的な訴えにすぎないものを「美」とか「詩的」だと考えた。」(ジョルジュ・サドゥール著「世界映画史」)
スラッシャー映画/ゴアムーヴィーの祖としての『アンダルシアの犬』
シネマヴェーラで16㎜フィルムでの視聴。
前に観たのは、たしか国立新美術館の「ダリ展」で、あのときはディズニーとダリが組んでつくったアニメ『ディスティーノ』なんかも流していた。
20年代アヴァンギャルド映画(本来アヴァンギャルド映画というのは、この時期のヨーロッパ前衛映画を指す固有名詞である)の頂点を成す作品であり、シュルレアリスム「映画」の最有名作でもある。その文脈において、本作にはこれまで幾多の批評語や精神分析的解釈が投下されてきた。
ただ今回は、「恐ろしい映画」というくくりでの特集上映。
おお、なるほど。
たしかに、『アンダルシアの犬』には、間違いなく「怖さ」を志向した要素が横溢している。
切り裂かれる女の眼球。
道に落ちているちぎれた手首。
唐突に車に跳ね飛ばされる女。
手の穴から這い出てくる蟻、蟻、蟻。
グランドピアノ上の目のないロバの死骸。
海岸に半身を埋められた男女のデコラティヴな死体……。
あれ? やってること、ルチオ・フルチとかとあんまり変わんないんじゃないの??(笑)
『アンダルシアの犬』には、フェルメールやダブルイメージの活用、性的隠喩や同性愛的要素のほのめかし、ミレー〈晩鐘〉を意識したラストカットなど、いわゆる「ダリらしい」アイテムや呪物が満載である。とはいえ、ダリが絵画作品において、ここまで即物的な死体玩弄や人体破壊をやったという印象が、あまりないのもたしかだ。
なぜ「映画」でだけ、こんなにホラー要素が強いのか?
その淵源をブニュエルに求めるのもひとつの考え方だろうが、「映像というメディアには、生々しいグロテスクとショッカー演出の親和性がきわめて高い」とダリ本人が考えていた可能性だって十分ある。
そう考えると、『アンダルシアの犬』は、やがて60年代のハーシェル・ゴードン・ルイスを経て70年代に花開くことになる、スラッシャームーヴィー、ゴアムーヴィーの嚆矢といってよい存在なのかもしれない。
今回改めて観て、なんとなく記憶していた以上に一応筋らしきものもあるようで、単なるイメージの集積というよりは、それなりに「夢」のリアルに近いものを志向して作ってあるんだな、と思った。
あと、いきなり男装の麗人(?)が轢かれるシーンや男女の性的なドタバタ、ピアノの上のロバ(ああこれ、まさに「ミシン台の上のこうもり傘」なんだな)、それを遮二無二牽く男と、なぜか一緒に釣れてくる修道士など、明快なコミック要素も結構あったんだな、と。
修道士のうちの一人はダリ本人らしいが、ついモンティ・パイソンの「まさかの時のスペイン宗教裁判!」を思い出して笑ってしまった。
フィルムの状態が悪く、冒頭の月とか、ラストの海岸の死体もボケボケで、もともと中身を知らないとよくわからないようなところもあったが(ネット上には段違いでクリアな画質のものが、何種類も落ちている)、付随して流れている音楽の出来がよくて、感心した。
なんかシュトックハウゼンの現代曲みたいな音楽なのだが、正直、巷間に流布している「トリスタンとイゾルデ」とタンゴの取り合わせ(超絶チープ)や、電子音楽風のやつ(B級SFみたい)、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の「パバドゥ」(いい話くさい)なんかより、よほど気がきいていて、映画の殺伐としながら詩的な空気にもよくあっているうえに、ショックシーンのあとに「ガーン」と鳴ったりして、「あれ、曲ピタじゃん」と驚かされた。これ、なんの曲当ててあるんだろう? このフィルム向けのオリジナル? 詳しい方がいたらぜひ教えてください。
総じて懐かしく観たが、同じ時期の前衛なら、ルネ・クレールの『幕間』みたいにファンキーで動的なアクションのある映画のほうがうやはり愉しいし、時代のくだったケネス・アンガーやパトリック・ボカノウスキーのほうが個人的にはしっくりくるかも。『アンダルシアの犬』は、素材の扱いがすこし荒っぽい感じがするんだよね。
ブニュエル特集2本立て
シネマテークのブニュエル 特集で、「アンダルシアの犬」と「砂漠のシモン」の短編中編2本立で観てきました。
前者はダリとの共作で、美大生時代に観て時計仕掛けと共にLDで持ってた名作を年を重ね再びスクリーンで観てもあの衝撃は変わらない。
後者も含め、ブニュエル自体は初めてで、前知識なしで観て大正解。
今まで知らなかったのが恥ずかしくなったくらい、例えようのない名作だった。
TVやDVDだと真ん中くらいまで観てやめちゃうかもしれないけど、やっぱり引きずり込まれる何かがあって食い入るように観たりしながら、最後にあの展開へ持っていくのにやられた。
一瞬頭が混乱するも、あぁそういうことが言いたかったのかと納得しつつ、ばっさりFinの文字で強制終了。
またもやられた感、一気にブニュエルファンになりました。
振り返れば、最後のシーンのためにあったあの長いシーンはとても重要で、人間とはいつどの時代であろうと根っこの部分はまったく変わらず、その人生は修行のようなもの。
そこがまた、ブニュエルのすごいところ。
あの時代に空飛ぶ物体が出てきて唖然としたけど、あの時点でシモンは死んだんじゃないかな。
それで次のシーンでタイムトリップのように生まれ変わった時代でも同じことをしないといけない。
洒落にならない現実。
腑に落ちた。
ブニュエル作品はまだあと2本やってるので観たくなった。
見終わった廊下の上映情報の3月に、「廻り神楽」を発見。
「四万十」、「被ばく牛と生きる」と、気になるドキュメンタリーが目白押し。
目を見開いてよく見よ
美術館上映で。
何とも評価出来ません。R15+?
「眼球と剃刀」と「満月と雲」を重ねた画が良かったです。衝撃的で引き込まれます。顔を背ける観客も多かったですが…。
淀川氏の批評によると、「目の感覚の怖さ」だそうです。
目で見たものを己れがどう捉えるか。サイレントなので映像の力が更に増します。意味があるのなら、全て受け取る側に委ねられている感じがします。
犬は出てこないです。
次の描写が予想できない。
ダリが参加した作品だと聞き、見てみたのだが、とにかくグロテスク。
ヨーロッパの20世紀前半の作品で無音映画である。
エログロ描写がとにかく多い。
さらに話がつながらず、つながりが全くない
のようで全て繋がっている。
まさに画家ならではの面白い作品である。
鑑賞後に手を見たがどうやら蟻はでてきてないようだ。
『映像』の極み
冒頭のシーンは強烈で、その後がどんな内容だったかずっと思い出せなかった。
このような(様々な)作品を下敷きに、~現代の表現者達は格闘してきているのですから、尚も傑作と呼ばれるものが生まれ続けているのは本当に凄い事です。
すみません、こんなレビューで。
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