硫黄島の砂
劇場公開日:1952年6月19日
解説
「怒涛の果て」のエドモンド・グレインジャーが、ハーバート・イエーツを避けて製作に当たった1949年戦争映画。「勇者のみ」のハリー・ブラウンがストーリーを書き下ろし、「拳銃無宿」のジェームズ・エドワード・グランドと共同脚色、「スエズ」のアラン・ドワンが監督に当たった。撮影は「怒涛の果て」のレジー・ラニング、音楽は「リオ・グランデの砦」のヴィクター・ヤングの担当である。出演者は「リオ・グランデの砦」のジョン・ウェインを中心に「黄色いリボン」のジョン・エイガー、「怪船シー・ホーネット」のアデイル・メラ、「北大西洋」のジュリー・ビショップ、フォレスト・タッカーらが助演。
1949年製作/アメリカ
原題または英題:Sands of Iwo Jima
配給:リパブリック=NCC
劇場公開日:1952年6月19日
ストーリー
1943年、ニュージーランドの基地で戦争訓練を行なっている米海兵隊のジョン・ストライカー軍曹(ジョン・ウェイン)は、その過酷さの故に鬼分隊長として部下の反感を買っていた。新兵のピーター・コンウェイ(ジョン・エイガー)は、戦死した父大佐のことを元部下のストライカーが誉めるだけ、一層彼を敬遠していた。コンウェイがストライカーの反対を押し切ってアリスン・ブロムウェイ(アデイル・メラ)と結婚する頃、分隊はタラワ上陸作戦に参加することになった。この戦闘で分隊は兵数名を失い、トーマス伍長は橋頭堡でコーヒーを飲んでいるうちに、戦友を日本兵に刺し殺される失策を演じた。そしてストライカーは、親友のベス(ジェームズ・ブラウン)が重傷を負って呻いているのにも耳を貸さず、コンウェイらを憤激させた。分隊はハワイへ帰り、ストライカーは街の女メリー(ジュリー・ビショップ)と知り合ったが、彼女に子供のあることを知って何事もなく別れた。ついで分隊は硫黄島作戦に参加、摺鉢山に星条旗を押し立てたが、一息ついたストライカーは日本兵に狙撃されて即死した。彼のポケットに残されていたのは、故国のいとし子に送るやさしい手紙であった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- アラン・ドワン
- 脚色
- ハリー・ブラウン
- ジェームズ・エドワード・グラント
- 原作
- ハリー・ブラウン
- 撮影
- レギー・ラニング
- 美術
- ジェームズ・サリヴァン
- 音楽
- ビクター・ヤング
- 録音
- T. A. Carman
- ハワード・ウィルソン
- 編集
- リチャード・L・ヴァン・インジャー
- アソシエイト・プロデューサー
- エドモンド・グレインジャー
- 特殊効果
- Consolidated Film Industries
-
Sgt._Strykerジョン・ウェイン
-
Pfc._Conwayジョン・エイガー
-
Allison_Bromleyアデル・マーラ
-
Corp._Thomasフォレスト・タッカー
-
Pfc._Ragazziウォリー・キャッセル
-
Pfc._Bassジェームズ・ブラウン
-
Pfc._Shipleyリチャード・ウェッブ
-
Corp._Dunneアーサー・フランツ
-
Maryジュリー・ビショップ
-
Pfc._SoamesJames Holden
-
Pfc._Hellenoplisピーター・コウ
-
Pfc._F._Flynnリチャード・ジャッケル
-
Pfc._E._Flynnビル・マーフィ
-
Pfc._HarrisGeorge Tyne
-
Put._Ski_Choynskiハル・フィーバーリング
-
Capt._Joyceジョン・マクガイア
-
Put._Mike_McHughマーティン・ミルナー
-
Put._Sid_SteinLeonard Gumley
-
HimselfCol. D. M. Shoup
受賞歴
第22回 アカデミー賞(1950年)
ノミネート
男優賞 | ジョン・ウェイン |
---|---|
原案賞 | ハリー・ブラウン |
編集賞 | リチャード・L・バン・インジャー |
音響録音賞 |