「うその語りで始まり、慇懃さと無礼さを駆使し、冷徹に人を欺き使い捨てる、不自然な成り上がり方法論で突っ走るサスペンス映画。」イヴの総て 中年男Aさんの映画レビュー(感想・評価)
うその語りで始まり、慇懃さと無礼さを駆使し、冷徹に人を欺き使い捨てる、不自然な成り上がり方法論で突っ走るサスペンス映画。
映画はイブの語りから始まり、登場人物も観客も話を聞いて好印象を持ちやすくなるが、出来すぎの話。ちょっと怪しい。
後で明らかになるが、それは作り話であり、実際は警察に捕まるようなことをしてきたと批評家に暴かれる。
一方マーゴは、決して自分を美しいヒロインに見せようとせず、むしろ化粧を落としているときのグロテスクな顔を、平気で観客に見せつけたりする。感情移入すべきはどちらだ?
ベティデイビスはもう少し暴れる演技が強いとよかった。セリフはきついがやさしい人に見えてしまう。マーゴは、恋人、友達に我がまま呼ばわりされる役どころだが、観客には、感情豊かな彼女こそ、愛すべき人物だとすぐにわかるのである。
対照的に、イブの行動には感情が見えない。相手を欺いているときも冷徹に慇懃であり、マーゴの仲間は次々にイブにだまされるのである。
観客もイブの本心がつかみにくい。演技じゃなくて何かに素直に感動しているようにみえる場面もあるからである。
でもよく考えてみると、イブは賢くて演技の才能もあるらしい設定であるから、人の気を悪くすることの意味を知っているはずである。そしてイブの好きな演劇こそ、まさに人の心を知ることに長けていなくてはならないはずだ。だからイブは確信して人を欺いている、と結論できる。そのことは、役を得るための脅しの場面で決定的になる。
それにしても、イブは、わざわざマーゴの仲間の間に亀裂を生じさせてまで、舞台の役を短期間に得ようとしているが、彼女はもともと優れた演劇の才能の持ち主である。むしろマーゴの仲間に気に入られて役をもらう方が、協力も得られてよいのではないかと。
この不自然さ、が観客の気持ちを不安定にさせるのである。
言い換えれば、役を得るという目的を、意味のない手段を使って成し遂げようとする、一人の変わった女の姿に、違和感と不安感を覚えるのである。
彼女の被っていた「変な帽子」は、その暗喩かも。
さて、ラストシーンでは、部屋に無断進入した高校生の面倒を見るシーケンスがあるが、ここにきてなぜだか、冷徹だったイブが消え去り、あっさり女子高生の言うことを受け入れるお人よしに変わり、部屋に泊めるかもしれない親切さを示しているのはなぜ?
たった8か月前に、他人の人のよさにつけこんで、舞台の役を得ようとしたイブ。
奪うことよりも与えることを学んだということなのか?いや、彼女とて、野望に狂う前までは、人に愛を与える側にいたのかもしれない。才能がそれを助けていたにせよ。
人の愛を知らずに、人に愛を与えられようか、そして人から愛されようか。イブにはそう言ってやりたい。そしてあの女子高生にも。