「ワイルドでいこう!でも、過ぎると排除されるぜ!」イージー★ライダー kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
ワイルドでいこう!でも、過ぎると排除されるぜ!
午前十時の映画祭11にて
アメリカン・ニューシネマの代表各に位置するカルトムービー。
ロードムービーでもあり、音楽映画でもある。
ピーター・フォンダが製作、デニス・ホッパーが監督となったイキサツは知らないが、ジャック・ニコルソンを加えた3人 は、ロジャー・コーマンのB級映画出演を契機に意気投合した仲だという。
しかし、撮影中から編集騒動までモメた逸話しか聞かれない。まぁ、そういう話が面白いからだろうけれど。
フルメッキのハーレーを駆ってグランドキャニオンを背景に荒野を走る颯爽とした様、道中何度となく野宿する場面など、ピーター・フォンダが望んだ現代版西部劇というコンセプトは所々に見られる。
オープニングで登場するメキシコ人麻薬売人の根城などは正に西部劇調だった。
だが、活劇ではない。物語らしい物語はなく、起承転結もない。
説明を排除していて、言ってしまえば意味不明の場面が展開していく。
ヒッピー、ドラッグ、閉鎖的な人々…自由の国アメリカは、本当に自由な人間を受け入れることができないのだった。
町の男たちはヒッピーを忌み嫌うが、若い女たちは興味津々なのが可笑しい。
不条理に襲撃に合ってジョージ(ニコルソン)が命を落としても、ワイアット(フォンダ)とビリー(ホッパー)は復讐も告発もしない。
悲嘆にくれた二人は、娼婦を買ってLSDでトリップする。この幻覚の場面が秀逸だ。
そして、唐突なエンディングである。
農夫らしきトラックの男は、なぜ本当に撃ったのか?
倒れたビリーを見たワイアットはトラックを追って何をしようとしたのか?
そして、トラックはなぜ引き返したのか?
唐突かつなぞの多いラストではあるが、映画史に残るラストシーンだ。
自分が好きなシーンは2つ
①空港脇の路上で麻薬を受け渡すシーン…
目の前の滑走路に向かって航空機が頭上を降下していくたびに、頭を下げて避けようとするのが滑稽だ。
②パンクを修理するため農家の納屋を借りるシーン…
馬の蹄を手入れする農民とバイクのタイヤを修理する主人公たちをひとつのフレームに収めて印象的だ。マルチフォーカスだったような気がする。
kazzさん
「巨人の星」に共感とコメントくださりありがとうございます。
どちらにお返事したらと迷いましたが、こちらに失礼させてもらいます。
まだTVシリーズの途中までしてか見ていないのですが、オズマが出てきて飛雄馬に『お前に人間らしい青春はあるのか?』との問いを突き付けて去っていきました。そこからの飛雄馬の苦悩するさまが本当に痛々しくて堪らないです。伝説のクリスマス会についても、飛雄馬が無理にでも人並みの青春を送ろうと苦悩しての試みだったと知り、笑いではなく涙がこぼれます。
大抵の人間はアレコレ迷ったり悩んだりしている間に何となく日々をやり過ごしながら、何かしら燻ぶった物を抱えて生きていくものだと思いますので、それに比べれば一つのことに迷いなく徹底できることがどんなに貴いことか『飛雄馬よ!それでいいんだ!野球だけの人生で何が悪い!!」と一徹に代わりクドクド絡みたくなります。
また一徹が飛雄馬に『俺を野球人形にしたのは父ちゃんだ』みたいな事を言われて言い返せないのを見るのも辛いです。辛いは辛いのですがこの親子の物語から目が離せません。
コメントくださったとおり演出も回を追うごとにキレが増していき、作り手の情熱がヒシヒシと伝わってきます。
「あしたのジョー」の方が未だに格好いいものとして受け入れられている気がしますし、私自身もジョーはちゃんと読んでいたのです。たしかに丈に比べて飛雄馬は何となく野暮ったい印象ですが、今となってはその野暮ったさに堪らない好感を抱きます。
飛雄馬が果たしてどの様なヒューマンとして自己を確立してくれるのかを楽しみに引き続き鑑賞しようと思います。
『自由の国アメリカは、本当に自由な人間を受け入れることができないのだった。』
私はアメリカ・ニューシネマとはいかなるものかと?という興味と当時の音楽への興味から本作を鑑賞しましたが、私の本作への感想はkazzさんが評されたこの一言に尽きます。この映画で皮肉という言葉を理解した気もするのです。
この3人ってロジャー・コーマン繋がりなんですね。そうなんだと調べてみたら「白昼の幻想」という作品で3人で仕事していたんですね(ニコルソンは脚本との事ですが)。やはりどんな形であれ名を残したロジャー・コーマンは偉大です。