アンナ・カレニナ(1948)のレビュー・感想・評価
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ビビアン・リーによるアンナ・カレニナは、やはりピタリとハマってる
ジュリアン・デュビビエ監督(舞踏会の手帖等)による1948年製作のイギリス映画。
原題:Anna Karenina。
アンナ・カレニナの映画は3つ目で、これが一番の気がした。何と言っても、ビビアン・リーが極めて美しく且つエキセントリックで、アンナ役にとてもピッタリに思えた。アンナが身につけている衣装も、白黒なのが残念だが、豪華で美しく感じた。夫役俳優ラルフ・リチャードソンもプライドの高さや冷たさが出てて好演に思えた。
ただ、オブロンスキー役は余り冴えなくて、アンナが魅せられてしまうのが今一つ説得力に欠ける。また、キティ夫妻の描写が少なく、アンナの物語が中心で、スターの映画としては悪くないのだが、カップルの生き方が対比される原作とは、少しテーマがずれている気もした。
脚色ジャン・アヌイ、ガイ・モーガン、ジュリアン・デュビビエ、原作レオ・N・トルストイ。
製作アレクサンダー・コルダ、撮影アンリ・アルカン、セットアンドレ・アンドレイエフ、
音楽コンスタント・ランバート、衣装デザインセシル・ビートン。
ビビアン・リー(Anna Karenina)、ラルフ・リチャードソン(Karenin)、キーロン・ムーア(Count Vronsky)、ヒュー・デンプスター(Stepan Oblonskey)、メアリー・ケリッジ(Dorry Oblonsky)、マリー・ローア(Princess Shcherbatsky)、サリー・アン・ハウズ(Kitty Shcherbatsky)、ニオール・マッギニス(Levin)、マイケル・ガフ(Nicholai)、
マーティタ・ハント(Princess Betsy Tversky)。
ヴィヴィアンと セシル・ビートン
やはり トルストイの傑作の映像化の 難しさを思う
どうしても アンナ中心になり、彼女の勝手さばかりが クローズアップされてしまう
(おまけに スカーレットの印象が 強烈な ヴィヴィアンである)
恋の相手、ヴロンスキー(キーロン・ムーア)が やや、オッサンくさいのも 年上の女の不安に いまいち繋がらない
(ときめきも伝わらない… 1948年頃のハンサムなのだろうか?)
「息子と同じ瞳…」とか言わせているが、
何処が? である
この役に関しては、実績より 若々しさを選んだ方が(冒険した方が) おもしろかったのでは?
ヴィヴィアンが 絶世の美女なのも、オペラの桟敷席での 恋のライバルへの嫉妬を 無意味なものに、変えてしまう
(楽勝じゃないか)
そして 周囲も彼女の前に ひれ伏してしまうのではないか?
こんなんで アンナの葛藤が、母性愛以外は あまり伝わらず、最後の悲劇が ドラマチックに盛り上がらない
彼女は「悲劇」を呼び寄せそうな美女なのだが、
アンナ役には 少し違和感がある気がする
ただ、セシル・ビートンの衣装は 素晴らしい…
二人のコラボも 楽しい
彼女の美貌を 引き立てるエレガントなものばかりである
ちなみに「マイ・フェア・レディ」でも衣装を担当していて、賢いオードリーは 採用されなかったイライザの衣装も着て、ちゃんと写真を撮っている
写真家から 始まり、舞台装飾や衣装デザインまで 手がけてしまい、ナイトの称号まで授与された 彼の仕事の一端を確認でき、楽しかった
ヴィヴィアン・リーのはまり役、物凄い見応え
物語の面白さ、とてつもなく考えされられる深みはもちろん言わずと知れた文豪トルストイの原作によるもの
しかし、ヴィヴィアン・リーの演技は物凄いものを見た気にさせる見応えだ
ヴィヴィアン・リー撮影当時35歳
まだまだ充分に美しい、が確かにピークは過ぎた感がでている
それでもなお男を狂わせかねない魅力を強力に持っている
まだ女は終わっていないのだ
それを主人公の役柄だけでなく、演じる彼女本人もそれを自覚しているのだ
彼女がこの歳になるのを待って撮影されたかのようですらある
さらに彼女の持つ自分勝手で我が儘な気質、気の強さが役柄に見事にマッチしており、配役の確かさで本作の成功は半分勝負あったといえるが、彼女がその製作側の期待をさらに上回る演技をしてみせているのだ
特に終盤のオペラ座での緊迫感は見事
列車と途中停車駅での演出も監督の腕の冴えも素晴らしい
このシーンは同年4月公開の映画忘れじの面影の駅での別れのシーンの繰り返しと良く似ている
駅の柵のセットまでそっくりだ
本作は1月の公開だがオマージュされたのだろうか?
セット、衣装、小道具もみな文句の付けようもない
素晴らしい名作だ
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