「許されない恋愛は死」ある日どこかで Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
許されない恋愛は死
始まりから凝っていると思った。おしゃべりだけが先に始まる。観ながら書くスタイルなので、どうなるのかわからないが、運命というか、縁というほうが近いのか、時空を超えてもそういう人がいるのかなと思わせるようなファンタジーなのだろうか。タイムトラベルものと恋愛ものとを合わせているのだが、恋愛のために命がけで時空を超えてしまうのは恋愛という視点から見れば壮大なファンタジーではあるが、そのために現世から子孫を残さずに、後追いのように死んでしまうのがハッピーエンドでは、こんなカップルばかりでは現世が続かなくなってしまう。やはり現世に適齢期としてある異性とのタイミングは必須なのだ。時空を超えて愛してしまうと後が続かないのである。空想として恋愛の一途さを感じようとするには気分に浸れるかも知れないが。ウィキで調べたら、現代のシーンと過去のシーンでフィルムを変えて色の印象を変えているとの事だが、言われてみれば過去の映像になるとなんだか赤っぽくなっているような気もする。調べないと気付かなかった。知らないと気付かないが出現しているという事は何事にももっとあるのかも知れない。空気も重力も言われてみればだろう。運命とか成功などもそうなんだろうか。映画音楽にしても、出典を知っているのといないのとで違うことがあるのだろう。またその進展にしても。その後の活用にしても。意地悪な面を書くのが私の個性だが、というより、現代は自由すぎて混乱するので、こうして時空を超えてまで恋愛してしまいたいような感情を持つと、男女雇用機会均等でお金が入って、世界を幾つも旅してしまいながら、独身が長くなってしまう女のような気もした。世界のどこかにはその世界のどこかでの人の生活があるのだから、旅する異邦人はひと時の幻想までで、生活には至らないのではないだろうか。過去も未来も巡っているようなフィクションなのだからだと思いたいが、出会ってすぐのストリートナンパのように二人は惹かれあってしまうのだが、女優のほうのマネージャーがそれを阻もうとするのは、むしろ幻想的出会いを戒めるモチーフという視点で私は観たくなってしまう。出会ってすぐにふたりきりの部屋で濃厚なキスの最中にドアを叩くマネージャーに止められていなかったら、二人は最後まで行ってしまっただろう。ホテルに週4回も密会を重ねた政治家と弁護士にはマネージャーの静止は無かったのである。この映画のマネージャーは悪役ではないのである。悪役に感じてしまう現代人の感覚が世界を壊してきたのであろう。そこまで恋愛主義の洗脳は強いのだ。二人を引き離したマネージャーのドアを開けて出ていったすぐあとの不憫そうな表情は相手思いのモラルだったのだ。ただ、この映画にしても時空を超えていなければ、似合いの男女で済んだとは思うが、生活のためには、子孫のためには、許されない恋愛はあるのではないか。だからこそ、現実には出来ない、そういう面でこうしたファンタジーや旅行というのは傍観者的な憧れとしては存在するのかも知れない。そして帰ってきたところに、生活や現実がまた待っているのだろう。そうでなければ、この主人公の脚本家のように死まで追いかけてしまうのだから。それに結婚してから性行為というキリスト教に対する冒涜のように、この1980年上映という時代の自由さは、映像は直接的ではないにせよ、平気で起こしている。二人が楽しく愛し合っていれば罪はないじゃないかというのが、それから40年近くも経過した今の日本人の大勢のセンスかどうかはわからないが、しかしこの映画に関しては結局は悲劇的である。楽しく愛する相性なら悲劇には終わらないだろう。1979年のコイン。これは何かを象徴しているような気さえする。許されない恋愛は死に通じなければならないというのは、夏目漱石にしても、太宰治にしても、離れられない側面だった。現在はもう神仏というような得たいの知れないところからかけ離れてしまい、世間への風当たりからだけの隠し事にはしているが、平気でやっているのだろう。そこには愛欲と肉欲と性欲が優先した、みさかいない物体が二つ重なっているだけである。かろうじて梅毒などの性病が死を思い起こさせるが、HIVウイルスにしても、不治と言われたエイズの手前で、生きるだけの克服はできたような噂が医学の進歩だと言われるが、そこまでしてまで薄いゴムを売りたいのか、いったい子供という宝に対する意識はどこにあるのか、配偶者への裏切りを辛いと思わないかなど、得たいの知れない、モラルを逸脱するとひどい事になる何かは無いと思わせておいて実は有るのではないか。そうでなければ文学の優秀頭脳たちが許されない恋愛を死に向かう悲劇だとあれほどまで残してこなかったのではないのか。そして許されない事のない愛情はその二人の子供たちとともに、現世で祝福されて続くのであるから。