アマデウスのレビュー・感想・評価
全19件を表示
素晴らしきモーツァルトの時代
今回、1985年公開の「アマデウス」が4K版として劇場公開されたため、それを機に感想を書かせて頂きます。やはり素晴らしい映画です。どこにも隙がありません。2時間40分の長さにして、無駄なシーンはほぼ無いと思います。クラシック音楽の理論、史実の再現というテーマの小難しさを感じさせない、冒頭から流れるようにモーツァルトの真価に至る判りやすさ。
その冒頭から登場するのはモーツァルトにあらず、クラシックに多少触れるぐらいでは、あまり名前が聞こえないサリエリさん。お話はモーツァルトの幼少から、その死に至るまで、嫉み嫉みを抱きながらも敬愛して追い続けたサリエリさんの物語、ということなんでしょうか。神の名においてモーツァルトの才能を嫉みに嫉んだ彼の姿は、果たして史実通りの話なんでしょうか。モーツァルトを毒殺したというのはフィクションで、交友のあった証拠も残っているそうなんですが、世の中、裏表が付きものですから歴史の真実は自分でも判るものでは無いでしょう。
私はこの映画を見るにあたり、真相は闇の中だろうけど、フィクションとして楽しめば良いなと思う。そうでなければ、お話として追うのはしんどい。事実は小説ほど奇をてらったものではありません。この映画のお話として「モーツァルトにレクイエムを書かせておいてから殺す」と「サリエリが企んだ」という流れですが、「本当にサリエリが手を下したのか」ということについては不明のままだと思います。牧師に「どうやって殺す? 想像だけなら簡単だけど・・・」とニヤニヤしながら語っているシーンはあったけど、いざ、ラストのモーツァルトが亡くなるシーンでは「サリエリが殺した」という印象が無い。もしかしたらそうかもしれない。違うかもしれない。映画上でもハッキリさせていないため、有る意味でこれも「史実通り」の再現なのかもしれません。
当時の再現も素晴らしい。宮廷から庶民の暮らしぶりまで、街までそのまま再現するこだわり。宮廷の貴族、街を行き交う民衆、その衣装から動向まで、ほんのわずか数秒しか映像に出ないエキストラにも手を抜かない。映画は本当に大変すぎる。お金もかかるだろうし。
更にこの映画はオペラの舞台までも再現。上演の仕方まで当時のスタイルのままなんでしょうか。松明を掲げて踊り回るシーンなんて見ているこっちがヒヤヒヤする。一番凄いのはドンジョバンニ。宙づりでセットを壊す悪魔が最高。そして演奏するオーケストラは、本当に演奏しているのか、振りだけなのか。一番大変なのはモーツァルト役、サリエリ役の役者さん達。本物の指揮者の振り、ピアニストに振りまでしなきゃならない。
改めてお話についてですが、音楽の歴史の流れを感じさせる話の流れも良いですね。最初は司教に雇われていたモーツァルトですが、舞台は宮廷へと移り、やがては大衆へ。神→宮廷→民主主義へと移りゆく権力と共に、音楽の舞台もまた流れてきたんだろうな、という歴史の流れを実感できたのも興味深い。
お話の一番好きなシーンはやはり、最後の最後の打ち解けるモーツァルトの姿。「少し休んでから続きをしよう」「いや、私は全く疲れてない」「……少し休むから、側にいてくれる?」という流れ。モーツァルトもまた虚勢を張るというか、自分もまた思うところがあってサリエリさんとぶつかってきた、その頑なな思いが溶けていく、その瞬間だったのでしょうか。そして懺悔をするようにサリエリに感謝するモーツァルトの、その姿。
果たして。ここで本当にサリエリさんは手を下したのでしょうか。それとも毒を盛った後? あるいは単に病死しただけなのか。歴史と同じく、全ては闇の中、かな? あの埋葬の仕方も意味深でしたね。特定の感染症で亡くなった遺体の処置なんでしょうか。そんな闇を感じさせる雰囲気も面白い。ちょっと調べれば判ることかな。でも映画は予備知識無しで見るのが好きです。一本の映画の閉じた世界で成立させて欲しいし、その上で評価したい。
もちろんこの映画は上々の満点だと思います。さて、改めてモーツァルトを聴いて余韻に浸ろう。エンドロールに丸々使用されたピアノ協奏曲20番第2楽章、この映画で影響されて、ピアニスト比べに奔走してしまったお気に入りです。
才能を枯らすには殺すしかない
午前十時の映画祭にて鑑賞
モーツァルトの音楽が聴けるとワクワクしながら鑑賞しました。
構成が良かったですね。序盤は女ったらしでだらしない男に見せて、結婚して、後半に行くにつれて天才であるが故に孤独という描写がとても伝わってきました。
天才の殺し方も、少し不謹慎な言い方ではありますけど、斬新でした。
多分、最後モーツァルトがあんな死に方するなんて予想できてなかったんだろうなぁ、、。
凡人万歳。
モーツァルトの才能凄まじいんだな
クラシックやモーツァルトについて何の知識もなしに鑑賞。
モーツァルトを殺したと告白するお爺さん(サリエリ)が自殺未遂するシーンから始まる。一命を取り留めたお爺さんは、モーツァルトとの出会いから、モーツァルトを殺したと言い張るシーンまで、牧師に対して告白を続けていく
まず知らないことがてんこ盛りで驚きだった。モーツァルトってこんな下品で変な感じだったの?!みんなカツラつけてる!ドレスも建物も煌びやかすぎる!モーツァルトはオペラもつくっていたのか!こんなふうに天才は作曲するのか!等々。
サリエリはモーツァルトが出てくるまではそれなりに有名な作曲家だったのだろうが、モーツァルトが出てきてからは妬み、憎悪の人生...。こんなにも音楽への情熱はあるのに、神は技を与えず苦しみだけを残した。一方でなぜあんな下品なモーツァルトに、神は才能を捧げたのか。神による采配が理不尽だ!と神への信仰まで放棄してしまう。
宗教への信仰も深く絡んでいるところが興味深かった。
しかし、なんと言ってもサリエリの辛さを助長させたのは
彼がモーツァルトの才能を理解できてしまうこと。
沸々と妬み憎しみが感じられる一方でどこかモーツァルトに対しての尊敬せずにはいられない気持ちも感じられた。
最後にモーツァルトの作曲を手伝っているシーンでは、
サリエリからは憎悪の感情は消し去られたように見え、モーツァルトの才能を間近で見ながら音楽と純粋に向き合うサリエリが見てとれた。
世の中には色んな形の憎悪があると思うが
上まで上り詰めた人がどうしても越えることのできない才能に出会ってしまった衝撃は、多くの人が経験することのない凄まじい感情なのだろう。
ろくでなしモーツァルトと厄介ファンのサリエリ
天才モーツァルトがどうしようもない奴なのでサリエリが苦悩する話。
ベートーヴェンと言い、音楽の神はロクデナシを愛しすぎである。
作中でサリエリ自身が語るように、モーツァルトはまさに「神の化身」。なのに、音楽と向き合っていない時のモーツァルトがロクでも無い奴すぎて、サリエリがずっと苦しんでいる。
特に物語冒頭でモーツァルトが後の妻コンスタンツェとイチャつく場面は、こんな奴がモーツァルト!?感が強いし、コンスタンツェ役のエリザベス・ベリッジのおっぱいが目を疑うほどデカくて集中できないしで非常に良い。
印象的なのは宮廷での歓迎シーン。
サリエリの作った行進曲をモーツァルトが弾き始めると音が跳ねるかのように生き生きと踊り出し、即興でアレンジまで加えて新しい曲に仕上げてしまう天才性の発揮は導入がスムーズでインパクトもあり、サリエリも悔しそうな顔をしている。
このシーンで秀逸なのはサリエリ本人が完成系を弾くシーンが無い所。天才/凡人という対比構造を強調しているように見えて、実は両者が直接的に比較される場面は数少なく、二元論で語られている場面はほとんど無い。
ほぼ唯一、それぞれの作曲風景においてのみ、才能の違いが明示されている。
サリエリが鍵盤を叩きつつ試行錯誤を重ねる一方、モーツァルトは五線譜に直接完成形を書き込む。一度も鍵盤の音色を確認したりはしない。
そんな神の化身が金にも女にも無頓着なものだからサリエリも頭を抱えてしまう。作中でも語られるとおり、サリエリ最大の苦悩はモーツァルトの才能を理解できる/できてしまう事だ。
それ故に神の領域には踏み込めず、ただ眺めるしかないという割と高次元の絶望に鬱屈としてしまい、物語が進むにつれ極まった厄介ファンのような仕草が増えていく。
特にモーツァルト渾身のドン・ジョヴァンニはサリエリも心を打たれており、モノローグで「ドン・ジョヴァンニは私の圧力で5回しか公演させなかった。私は5回とも観に行った」などと言い出す始末で思わず絶句する。お前はさぁ・・・。
終盤、モーツァルトとサリエリが協同してレクイエムの楽譜を書き上げるシーンは物語のエモーションが最も高まる瞬間。
モーツァルトが語る通りに楽譜を綴るサリエリの速記。追いつこうとしているのに追いつけない、しかし神の領域にあと僅かまで迫っていく。このシーンは神の言葉を楽譜に書き綴る預言者としてのサリエリが描かれており、宗教的な含みも深く、二人の鬼気迫る様子には圧倒される。
その最後にはモーツァルトからサリエリに向けた懺悔もあり、ここでは信仰の矢印が逆転する。
この時にサリエリは何を思ったのか。ついに完成しなかったレクイエムは二人の関係の象徴。
もし最後まで共に書き上げていたのであれば、サリエリの苦悩や絶望は晴れたのか、更に深まったのか。非常に余韻を残す終わり方で、モーツァルトの音楽が心を離れない。
・エリザベス・ベリッジのおっぱいも頭を離れない
天才と苦悩
「午前十時の映画祭」でTOHOにて鑑賞。
以前、映画館で上映してくれないかなーと書いた事があるのでとても嬉しい。
過去に見たのはテレビ放送だったため(吹替だしCMが途中で入ってブツ切り)中途半端に鑑賞した感じ。
改めて見ると…
サリエリの妬み一色の話と思っていたが、(映画上では)彼が仕掛けたとは言え最後はレクイエムを書きあげるのを手伝っていたし、モーツァルトに憧れていたことも冒頭で触れていた。
神は与えてくれないと葛藤を抱き、最期まで苦しんだサリエリの生涯を描いた作品でもあった。
そして、モーツァルトには父の存在も大きかったんだなと知った。下品な振る舞い、特徴的な高笑いと父の死後、衰弱していく姿が印象的だった。
諸説あろうが、この映画を見てその人物像を更に知りたくなった。
宮廷に集う人々は女性も皆カツラをかぶり煌びやかなせいかコスプレ集団に見えてしまったw
素晴らしい音楽が聞けるわけなので、是非劇場で見てほしい。
*****
公開の同時代、ファルコの「ロック・ミー・アマデウス」がヒットしており、この映画と直接関係なくてもアマデウスと聞くとセットで浮かんできます。
鳥肌総立ち
トム・ハルスの演技がとんでもない。まさにアマデウスを演じるに相応しい人選だと痛感した。オスカー獲ってないのが不思議で仕方ない。
サリエリとアマデウスが共同作業でレクイエムの楽譜を完成させる終盤のシーンで鳥肌が止まらなかった。サリエリはアマデウスの有り余る才能に嫉妬し、あまつさえ憎んですらいたのに、2人で譜面を完成させていく様子はものすごく楽しそうに見えた。
もうラストのサリエリの去り際のシーンとかやばすぎた。
映画の責任はいかに?
歴史学習が好きではない人には、映画は例えフィクションだと分かっていても洗脳道具となりうる
勝者や時の権力者、はたまた所謂:歴史家等によって、歴史の真実は明らかにされるとともに都合良く歪められていく
この映画の前提でもある「サリエリがアマデウス(モーツァルト)を殺した」というのさえ噂の域を出ない
世界三大悪妻と言われたコンスタンツェも後世の誰かが勝手に作り上げた虚像なのかも知れない
特に、コンスタンツェがアマデウスの葬式も出さずに共同墓地?に遺体を捨てさせるシーンは監督の悪意さえ感じる
この部分は真実なの?創作なの?と踏まえた上で映画は鑑賞しないと、とんでもない誤解を自身の中に生み出すことになる
モーツァルトの天才ぶりと変人ぶりが際立つこの映画も、教科書等にはほとんど出てこない彼の人となりを炙り出したと言えるけど、どこまでを信じたらいいのだろうか
彼が若くして亡くなったことや、人類の遺産ともいうべき素晴らしい曲を沢山残したのは事実なのだろう
短すぎた彼の人生、それは勿体ないとも言えるし、自業自得では?とも言える
伝記等によれば、天才の周りには振り回されて人生を棒に振る輩がいるのが常である
それはある時は兄弟、ある時は妻、ある時は友人、ある時は子供達、ある時は弟子達etc
周りの人達がそんな天才に仕えることに満足しているなら問題もないけれど、実際はどうなのだろう
そう考えるとこの映画の評価も???だらけとなるが、当時の衣装や音楽・オペラの舞台や内容はレベルが高く、特にファンにとっては存分に楽しめたのではないだろうか
でも長かったーーぁ
お引越し記念
Filmarksでは初見ではない作品は評価無しというルールでやっていたのだが、こちらは⭐️ゼロという扱いにされてしまうのか。
やむを得ないので、複数回観た作品は基本的に⭐️5にする。
今までFilmarks一本でやっていたが、就職し引越して新しい知人ができた関係で映画レビューは複垢で行うことにした。同じアカウント名で向こうにも投稿しているので、複垢民の方はそちらもよろしくお願いします。
高校生くらいの時にディレクターズカット版は鑑賞しており、殿堂入り作品に入っていたのだが、各方面から「ディレクターズカットの追加シーンは冗長で蛇足」と言う声も聞こえてきていた。
ニュー・シネマ・パラダイスみたいに殆ど別の映画やないかい!みたいなディレクターズカットは存在するので、アマデウスの劇場公開版も是非観なければならない。
しかし困ったことに、出回っている配信やソフトはディレクターズカットばかり。今回やっと吹替え追加収録版ブルーレイに付属する吹替コメンタリー付きDVDが劇場公開版だと突き止め鑑賞に至った。画質がだいぶ良くないが仕方ない。
さて結論から言うと、「ニュー・シネマ・パラダイス」ほど極端な変わりっぷりではない。というか違いがわかったのは、サリエリとコンスタンツェのシーンが短いなーという程度。他の追加シーンは鑑賞から10年くらいの間に忘れてしまったらしい。比較しているサイトで内容を確認してみても、「そんなシーンもあった気がしないでもない」くらいの印象であった。
つまり監督には申し訳ないが、私の感想としてはシーン追加は要らんかったということになる。記憶に残ってないし。
あ、オッパイは要ります。あのシーンだけはコンスタンツェがサリエリをあれほど嫌う理由の説明に必要だしね。必要だ。うん。
さておき、何度観ても圧巻のラストシーンである。私はサリエリのようなストイックな人間でなければアーティストでもないので気安く「共感した」とは言えないが、しかし感じるものは大きい。
後世まで名前を残すことはアーティストの悲願だろうが、本作によって映画ファンの間に史実と異なる印象をバラ撒かれたサリエリさんはどう思っているのだろう。
サリエリさん単独でもそれなりに名を残しているらしいが、「アマデウス」が無ければ研究者しか触れない程度の存在だったのではないか。
幸い今はインターネットという弁護人が付き、本作が8割フィクションであるという情報もすぐ手に入る。正しいサリエリ像を覚えてくれる人も増えているだろう。
あの世で新参者に「あの映画のサリエリさん、全然違いますよね〜」とか言われるのも私だったら満更でもないかもしれない。少なくとも、自信作を弾いてみせてもポカンとされているよりは。
憧れ。
子どもの頃テレビで見て、それ以来大好きな作品。自分のモーツァルト像は良くも悪くも完全にコレ。よりドラマチックに仕立てられてる感はあるが、衣装や美術も凝ってるし、何よりモーツァルトが生き生きとしていて、まるで当時にタイムスリップしたような気持ちになれる。
モーツァルトの曲が大好きなのは、底抜けに明るいのに暗い曲はむちゃくちゃ暗くて両極端なところ。レクイエムなどは美し過ぎて怖い。どちらも魔的な魅力があると思う。
子どもの時は気にも留めなかったが、少し成長してから歌詞の詳細を読み、夜の女王のアリアは母が娘に宿敵ザラストロを「殺せ!」と歌っているのだと知って卒倒した。キョーレツであった。そんな恐ろしいことをそんな美しく…美し過ぎて狂気の沙汰だと思った。やっぱモーツァルトは頭おかしいと思った。
子ども心に、次に生まれ変われるとしたら天才に生まれたいと強く思ったのを覚えています。強い、強い憧れを抱かずにはいられない。不幸でも、殺されても、孤独でも、圧倒的な才能。世が世なら周りが全て平伏すような。
要は見る側の価値観の変化で、芸術の価値は上下する。
僕がクラシックにハマるきっかけの様な映画。初見は
レンタルビデオで見た。
クラシックとの出会いは、1981年(初任給で買った)に、○芝のウォ○キー(小型カセット再生機)を買って、ベートーヴェンの第六(田園)を聞くようになってから。イヤイヤ、JAZZっぽかったので、その前に、ハマったのはパガニーニのバイオリン協奏曲だな。いずれにしても、歌詞がある音楽が好きではなかった。日本の歌謡曲は今でも嫌い。歌詞(詩)の内容を聴き込んでしまい、音楽本来の良さが変わるって当時は考えていた。海外の曲が聞けたのは、外国語が理解できなかったから。だから、ビートルズの歌詞を訳そうと思った事は一度も無い。
サリエリの本当の姿は知らないが、考え方は間違いそのもの。一人にしか分からない至高の芸術なんて無い。
見る側の価値観の変化で、芸術の価値は上下する。
鬼才(モーツァルト)に嫉妬しながらもその音楽に魅了される天才(サリエリ)の半生
勘違いされている人も多いので先に断っておくと、サリエリは凡人ではない。
神聖ローマ皇帝やオーストリア皇帝に仕えた宮廷音楽家であり、ベートーヴェン、シューベルト、リストなどの天才達を見出し育てた、彼もまた紛れもない天才である。
その彼が唯一嫉妬した相手、それが鬼才モーツァルト。
女好きで浪費家、人間的に破綻しきっているのだが、その彼が作る音楽は完成されきっていた。
サリエリはモーツァルトの才能に嫉妬しながら、誰よりも魅了される。
天才が故に鬼才の才能の真髄を理解し得る。
他の皆がモーツァルトの才能に気付けずとも、それを理解し、痛感し、嫉妬し、そして愛した。
終盤、病に伏せたモーツァルトの作曲を手伝うサリエリ。
モーツァルトの頭の中で完成してた音楽が、彼の口を通してサリエリに伝わった瞬間。
恐らくここがサリエリの人生で最も至福だったのではないだろうか。
鬼才を唯一理解した天才。
「神は私に彼の才能を理解出来るだけの才能しか与えてくれなかった」
この一言が全てを物語っている。
理解できるから魅了され、理解できるから嫉妬する、そんな誰よりも人間臭いサリエリの半生は必見。
天才と一般人のコントラストが凄まじい。
<総評>
天真爛漫な才能所持者と地道な努力上がりの人間との対比が色濃く出ており、見ていてサリエリへの深い共感を覚える作品。天才は性格を犠牲にして生まれたことが分かるし、『子供のもつような純粋さ』は善とはイコールし得ないことも再確認できる。そして、一般人は自分の持たないものを持つものと自分を比較することで、折角生まれ持った人格を落として堕天していくことが分かる(自分の持っているものを分かっていないのだ)。
<ラストについて>
・冒頭では罪を悔いていると思っていたサリエリだが、ラストを見ていると「神へのアヴェンジャー」としてのサリエリはハッピーエンドを宣言していると受け取った。自分的にはモーツァルトの立場を度外視すれば、やり遂げたんだな、と悪くない思いだった。
<その他>
・神父がイケメン。スパイメイドが可愛い。
・「ものの分かる女は才能に惚れるの。」という女の言葉が印象的。
・神は天才を通して自分のちからを表現する、という考え方が一貫してあり、天才はその人の力の能力なのだ、と捉える一般的な考え方に対して、当時のキリスト教社会ではそのような人が多かったのかな?と疑問に思う。
・ピアノ(=オペラ)が当時のエンタメの最前線だったのが分かった。当時はエンタメを楽しむには教養が必要だったのだなと考える。
今までの映画で一番いい。
3時間があっという間に感じる。
長いとは全く思わなかった。
モーツァルトの伝記をたくさん読んできてこの映画を見て、当時生きていた時代にいるかのようにと思えてしまうほどだった。
サリエリのモーツァルトに対する音楽への才能の差、神への恨みが描かれていて、でも誰よりもモーツァルトを理解していた。
モーツァルトを追い詰めるが、レクイエムの共同作業をして改めて知るモーツァルトの音楽への才能、彼が死んだ時に実は誰よりも悲しんでいたサリエリ。
見ごたえたっぷりだった。
音楽史好きな私としては地上波で放送してほしい。
キャストの素晴らしい演技に共感した
サリエリはモーツァルトの才能や素晴らしい音楽を聴き、彼は神に愛されているが、自分は彼の才能を理解する能力を持っているというような事を言っていて、モーツァルトに対して憎しみの感情を抱いてしまう。しかし、サリエリはモーツァルトの作る音楽に対しては決してけなすことができない。自分も音楽を作っている身からして、サリエリにとても共感してしまいました。才能を持っている人を見ると、なんで自分には無いんだろうとか、才能を持っている人も努力しているのに、才能を持っていない自分は努力したって追いつくことができないのではないかと思ってしまうことがよくあります。しかし、才能を越すことができる唯一のものは努力しかないと思うので、才能を前にして、憎むことなく、努力する事が最善であり、自分は自分であり、自分にしか表現できないものがあり、それによって、どれだけの人に音楽を楽しんでもらうか、そこが大切であると思います。憎しみからは憎しみしか生まれません。
最後のシーンでモーツァルトの「ピアノ協奏曲第20番ニ短調 第2楽章」が流れ、彼の笑い声がするシーンを見て、神を憎み、自分は神に愛されていないんだと思って生きてきた人に対してそれを否定するかのように、モーツァルトの素晴らしい音楽が流れていると思いましたし、モーツァルトと精神病患者やサリエリとの対比も感じられました。
才能を前にして、賞賛し、自分は自分と割り切り、努力することができるか、自分には才能は無いと思い、憎しみを選んでしまうか。それを芸術家は試されているのかなと思いました。
サリエリ ラブズ アマデウス
自信に満ちた天才モーツァルトは、己の才能でオーストリア国王陛下に召し抱えられるまでになるが、天才故の孤高の才能なのか、彼の戯曲は大衆受けが芳しくなく、凋落していく。
しかしその才能を誰よりも見抜いていた宮廷音楽家サリエリは、常にモーツァルトの才能に嫉妬し羨んだ。凋落していくモーツァルトを死ぬまで追い掛けるサリエリは、恨みが募り過ぎて最早ストーカーになっている。
禁欲を貫いたサリエリにとって、本人は気づいてないがモーツァルトは情欲の対象になっていたのではないだろうか?
という事で、これは割と腐女子向けです(^^;
天才と秀才の悲哀
天才・モーツァルトと秀才・サリエリの物語。
ひたすらサリエリが天才で下品なモーツァルトに嫉妬する物語かと思いきや、ラストは複雑な気分となった。
モーツァルトは音楽の天才だが、その才があっても幸福な人生を送ることが出来なかったのは少し辛い。
あのままモーツァルトが生き延びれば、二人は良い友人同士となっていたであろう。
老人となったサリエリの神を疑うセリフを聞くと、悲しくなった。
絢爛豪華な衣装やパーティーについては見ているだけでも面白い。
モ―ツアルトの人生と音楽
サリエリ最後は開き直ってたような。
作品の水準がすごく高い。指揮をしている様子も、当たり前のように自然にレベル高い。
私はモ―ツアルトには余り心動かされないんですが、繊細で華美で天上の音楽っていうのはよくわかる。
だからモ―ツアルトは地上には馴染めなかったのかなって感じです。
父親との旅で家庭幸せを味わえず他の人との交わりもなく、父親の影響が強すぎたのが、原因のひとつなのかなと思わせる作品でした。
オペラを楽しむ映画
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの物語。
宮廷とか料理とか衣装とか、煌びやかで・・・
後、音楽とかオペラがキレイで、とっても豪華な感じ。
コンスタンツェ(モーツァルトの奥さん)が可愛くて、その人が私の中の主役でした。
顔も可愛いし、性格もいろいろ。
悪妻だったという説と良妻だったという説がありますが、この映画では「良妻」の方を選んだのですね。
すごく可愛くていいです。
後はあまり・・・
なんだろう。
私に合わない映画だったのかも。
もうすこし、こんな風に楽譜を書いてこんな風に音楽を作る、というのを丁寧に書いて欲しかった。
(気付いたら、もう出来てる、で終始してるので、、)
あと、モーツァルトのお金の使い方がとても荒いということだったのですが、
何かこう、極端な描写が欲しかった。
極端であればあるほど、その分「才能はその欠点に見合うだけのものを持っている!」というのを浮き立たせるというか。
サリエリさん良い人ですね。
嫉妬にかられながらも、ライバルを陥れながらも、それでも
「御免なさい」と悔いて首を掻き切ろうとするなんて。
今時こんな良心がたくさんある人なんていない
全19件を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。














