「ろくでなしモーツァルトと厄介ファンのサリエリ」アマデウス てんぞーさんの映画レビュー(感想・評価)
ろくでなしモーツァルトと厄介ファンのサリエリ
天才モーツァルトがどうしようもない奴なのでサリエリが苦悩する話。
ベートーヴェンと言い、音楽の神はロクデナシを愛しすぎである。
作中でサリエリ自身が語るように、モーツァルトはまさに「神の化身」。なのに、音楽と向き合っていない時のモーツァルトがロクでも無い奴すぎて、サリエリがずっと苦しんでいる。
特に物語冒頭でモーツァルトが後の妻コンスタンツェとイチャつく場面は、こんな奴がモーツァルト!?感が強いし、コンスタンツェ役のエリザベス・ベリッジのおっぱいが目を疑うほどデカくて集中できないしで非常に良い。
印象的なのは宮廷での歓迎シーン。
サリエリの作った行進曲をモーツァルトが弾き始めると音が跳ねるかのように生き生きと踊り出し、即興でアレンジまで加えて新しい曲に仕上げてしまう天才性の発揮は導入がスムーズでインパクトもあり、サリエリも悔しそうな顔をしている。
このシーンで秀逸なのはサリエリ本人が完成系を弾くシーンが無い所。天才/凡人という対比構造を強調しているように見えて、実は両者が直接的に比較される場面は数少なく、二元論で語られている場面はほとんど無い。
ほぼ唯一、それぞれの作曲風景においてのみ、才能の違いが明示されている。
サリエリが鍵盤を叩きつつ試行錯誤を重ねる一方、モーツァルトは五線譜に直接完成形を書き込む。一度も鍵盤の音色を確認したりはしない。
そんな神の化身が金にも女にも無頓着なものだからサリエリも頭を抱えてしまう。作中でも語られるとおり、サリエリ最大の苦悩はモーツァルトの才能を理解できる/できてしまう事だ。
それ故に神の領域には踏み込めず、ただ眺めるしかないという割と高次元の絶望に鬱屈としてしまい、物語が進むにつれ極まった厄介ファンのような仕草が増えていく。
特にモーツァルト渾身のドン・ジョヴァンニはサリエリも心を打たれており、モノローグで「ドン・ジョヴァンニは私の圧力で5回しか公演させなかった。私は5回とも観に行った」などと言い出す始末で思わず絶句する。お前はさぁ・・・。
終盤、モーツァルトとサリエリが協同してレクイエムの楽譜を書き上げるシーンは物語のエモーションが最も高まる瞬間。
モーツァルトが語る通りに楽譜を綴るサリエリの速記。追いつこうとしているのに追いつけない、しかし神の領域にあと僅かまで迫っていく。このシーンは神の言葉を楽譜に書き綴る預言者としてのサリエリが描かれており、宗教的な含みも深く、二人の鬼気迫る様子には圧倒される。
その最後にはモーツァルトからサリエリに向けた懺悔もあり、ここでは信仰の矢印が逆転する。
この時にサリエリは何を思ったのか。ついに完成しなかったレクイエムは二人の関係の象徴。
もし最後まで共に書き上げていたのであれば、サリエリの苦悩や絶望は晴れたのか、更に深まったのか。非常に余韻を残す終わり方で、モーツァルトの音楽が心を離れない。
・エリザベス・ベリッジのおっぱいも頭を離れない
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