「これはホラー映画である。」暗殺のオペラ よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
これはホラー映画である。
ベルトルッチの作品では階段の昇降が人物の立場の変化を表わす。とは、持論である。この若き日の作品においては、どうであろうか。なかなか映画の最後に至るまで、それに当てはまるものを見つけることは難しかった。
そもそも舞台となるタラという田舎町に階段のある建物が少なく、被写体が階段を昇り降りする場面も少ない。
ところがしかし、どうやら父を暗殺したのがファシストたちではなく、3人の父の親友らしいことが分かってくるころから、登場人物たちはその立ち位置を、精神的にも物理的にも目まぐるしく変化させてくる。ただし、階段を昇降するところは画面には映らない。映っているのは、階段を昇ってそこへ辿り着いたであろう場面である。
自らの裏切り(なぜ裏切ったのかが結局分からないが)を仲間に告白する父アトスは町を見渡すバルコニーに上り、元ファシストの大地主と父の暗殺についての話をするため、子アトスは劇場の桟敷席を次第に上階へと移動する。父の死の真相を知った子アトスは、屋敷の二階にある父の愛人の部屋へ「上がって」行く許しを得る。
大地主や父の親友から話を聞くにつれ、父親の暗殺事件に隠された秘密に近づいていく子アトスであったが、最後に自らが陥った大きな幻想に気付くことになる。
この気付きの契機は、子アトスが駅のホームから線路に「降りる」ことで得られる。なかなかやって来ないパルマ行きの列車。雑草に埋もれたレールに「降り」立つ彼は、この線路には長い間列車が通過したことがないことを悟るの。
上階の桟敷席や、父の愛人の部屋に登り詰めた子アトス。父の死について深く理解し新たな人生の一歩を踏み出そうかという子アトスは、鉄路に「降りる」ことで、振り出しに戻るかのような不思議な感覚に襲われる。
この町で自分が見たものは、一体何だったのか。ここで出逢い、父親の遭難について話をした人びとは現実に存在したのか。廃駅となって久しいこのタラに降りたってからのことは、本当の自分の身に起きたことなのか。自分はどこから来たのか。
「裏切者は再び裏切る」という父アトスの言葉と、彼の胸像の眼がなくなっていることを観賞後一夜明けた観客は反芻している。
黒沢清のホラーのような、幻夢的な終幕である。