熱いトタン屋根の猫のレビュー・感想・評価
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アメリカ南部の斜陽と家族の諍いがシンクロ。
ポール・ニューマン特集のおかげで初めて劇場のスクリーンで観た。性的に満たされない妻が自分を「熱いトタン屋根の上の猫」に例える有名なシーンは知っていたのだが、ほとんど映画の序盤だったことに驚く。それからも欲求不満を露わにするエリザベス・テイラーが良い。正直、エリザベス・テイラーにここまでの演技を期待したことがなくて、どうしても作り込まれた美貌ばかりが印象に残ってしまっていたので、申し訳ありませんでした、という気持ちになる。映画としては、舞台劇の丁寧な映画化という感じで、それぞれに次々と演技の見せ場は訪れるのはいかにも一昔前の演劇という気はするものの、そういうスタイルだと思えば特に邪魔にはならない。アメリカ南部の濃密な空気と、時代に取り残されていくであろう白人特権階級の閉塞感を感じられるのも良かった。
【虚偽に満ちた大農園一家の人間関係を描いた作品。それぞれの家族の胸の内に秘められた欲望や葛藤が表現された作品でもある。】
■夫・ブリック(ポール・ニューマン)との愛のない生活に悩むマギー(エリザベス・テイラー)。
ある日、大農園主である義父、ビッグダディががんに冒されているとの知らせが入る。
当の本人は病気のことを知らないまま、遺産目当てで長男夫婦が帰省。
彼らが異常なまでに義父を歓待するなか、ブリックは何故か酒に溺れるマギーや一族の人間関係に絶望している。
◆感想
・ブリックが荒れているのは、画には一切出て来ないが同じフットボール選手だったスキッパーの自死に寄る事は明らかであり、彼はスキッパーとマギーの関係性も疑っている。
・財産目的の長男夫婦を演じた(特に奥さんのメイ)と愚かしき子供達が、正に適役の憎らしさである。
<エリザベス・テイラーも正に途中までは、”熱いトタン屋根の猫”のように、ヒステリックな演技が印象的だが、最終盤はやや落ち着いて見れる映画である。>
時間調整に見る映画を探していて 有名人が出ていたので見た 予想と反...
時間調整に見る映画を探していて
有名人が出ていたので見た
予想と反してなかなかな内容だった
現代でかつ舞台のお芝居を見ているみたいな気持ちになった
4に近い3.5
舞台で鑑賞する作品かもしれない。
テネシー・ウィリアムズの演劇を映画化したもの。かっては新潮文庫より翻訳本がでていたが、いつの間にか絶版になっている。
「欲望という名の電車」ほどに映画化は成功していない。エリザベス・テラーは好演していると思う。ポール・ニューマンの演技は、少し硬く感じた。また、一本調子とも感じた。地下室で父親と二人切になったところから、変わっていくはずなのに変化が、あまり感じられない。
家族愛がテーマだと思うが、この作品が面白くなってくるのは、終盤近くになってからだ。それまでは退屈で、エリザベス・テラーの美貌やその下着姿を楽しむくらいしかない。有名な舞台作品を映画化しても、稼げるとは思えない作品だ。でも、役者は演じたい作品だと思う。
うむ
登場人物の誰一人として好きになれなかった映画
原作を読んだ印象では、主役夫婦二人が
心の闇を抱えているのだがそれも含めて
魅力的に感じていた
だが、映画版になると
何となく、鼻につく
何でだろう、スキャストのスター性が邪魔してるのかな……
「欲望という名の電車」のようには…
リチャード・ブルックス監督の
「エルマー・ガントリー」
「プロフェッショナル」を観た延長で鑑賞。
先ず気になったのは、
南北戦争から随分と時間を経た時代でも、
黒人差別が続いているような
描写には驚かされたが、
それが原作者や監督の
特別な意図に基づくものなのか、
或いは南部のその時代の単なる状況描写に
過ぎないのか私には不明だ。
さて、作品名の「熱いトタン屋根の猫」の
意味はすぐに話の中で語られたものの、
夫婦愛がどう回復されるかに注目して
興味深く観た。
最終盤、
それぞれの価値観は違ったままではあるが、
親子の徹底した話し合いの結果、
親子間だけに留まらず、次男夫婦間でも
誤解の解消とお互いの理解に到達する。
ただ、この作品、テネシー・ウィリアムズの
原作に起因しているのかは分からないが、
例えば、
次男の妻を拒絶する原因があるはずなのに、
その究明の不徹底さと
彼女との生活の絡みとの不自然さ、
また、
父の封建的家長像と
次男のリベラルな思想的人間像、という
思想の異なる二人の典型的な描写の中で、
徹底した話し合いの結果ではあるものの
簡単にお互いの理解に到達させる唐突さ、
等々、映像作品としては
説明不足やデフォルメが効き過ぎた
不自然さに抵抗を覚える。
最近、
映画ではなく原作本を読むべき物語として
「老人と海」をこの映画.comで記したが、
この作品の場合も映画としてではなく、
抽象化に長け、デフォルメ化が有効な
舞台劇で味わう物語なのだろうと感じた。
総じて、
同じテネシー・ウィリアムズ原作作品
「欲望という名の電車」のようには映画化が
成功していなかったように思えた。
ところで、私は俳優を重視して
映画を観るタイプではないのだが、
父親役のバール・アイヴスは印象的だった。
彼はこの作品と同年公開の「大いなる西部」で
溺愛するが故に息子を射殺する父親を演じて
アカデミー助演男優賞を受賞している。
元々フォーク歌手ながら、
たくさんの映画にも出演したものの、
この2作品を上廻るような映画に
出演することはなかったように思える。
最近、同じことを「或る夜の出来事」の
クローデット・コルベールにも感じたが、
俳優人生を一瞬だけ輝きを強く放つ人も
いるのだなあ、と感じさせる一人となった。
さて、
この作品では、義父と夫の葛藤と比較すると
影が薄く感じたエリザベス・テーラーだが、
私の観たい作品リストに
たまたま彼女の出演作品が並んだので、
ダニエル・マン監督の「バターフィールド8」と
マイク・ニコルズ監督の
「バージニア・ウルフなんかこわくない」を
近々鑑賞予定。
より存在感のある彼女を観れることを
期待したい。
次男夫婦ブリック(ニューマン)とマギー(テイラー)の夫婦関係は冷...
次男夫婦ブリック(ニューマン)とマギー(テイラー)の夫婦関係は冷え切っていた。とは言っても、ブリックが一方的に夫婦関係を拒んでいた。そんな時、父親(アイヴス)が65歳の誕生日を迎え、家族が久しぶりに集合していた。彼は大病院で精密検査を受けて、自家用飛行機で大農園に帰ってきた。医者は長男グーパー(ジャック・カーソン)とブリックにだけ、余命を告げたのだが、他の者は知らずに誕生日を祝っていた。
ブリックは足を怪我していて以来現役を退き、今では飲んだくれのアナウンサー。夫婦関係が冷え切った理由は途中まで明かされなかったが、親友のスキッパーが自殺してから妻を疑うようになったからだ。
兄は弟だけ可愛がる父親が嫌いだったが、莫大な遺産を相続する権利を主張する弁護士でもある。ブリックは人生に投げやりで、財産なんて要らないとうそぶく。家族たちのウソが嫌で大邸宅から逃げ出そうとしたブリックだったが、止める父親につい余命のことを口走ってしまい、父親は地下室に閉じこもってしまう。そしてブリックとビッグ・ダディとの会話が本音で話し合うところがいい!一文無しから大農園という帝国を築き上げたダディ。旅行鞄しか残さなかった貧困労働者の父を恥ずかしく思っていたが、本物の愛があったことを知らされる・・・
嘘で固められた家族に再び絆を取り戻したような内容だったが、面白いのはグーパーの妻(マデレーン・シャーウッド)が相続の取り分に固執する厭味ったらしい女を演じていたこと。最後には「妊娠してるの」と明らかな嘘をつくマギーがとてもいい。「愛は金で買えない」なんて当然のことに気づくのもアメリカならではだな。
いろいろと調べてみると、ブリックとスキッパーの関係は同性愛だったこと。これが曖昧にされているため衝撃度も少ないのだが、後半の展開はそんなことを忘れさせてくれる。
舞台演劇そのまま
総合:55点
ストーリー: 60
キャスト: 75
演出: 45
ビジュアル: 70
音楽: 65
一つの家でひたすら続く科白の言い回し。映画というよりは舞台を見ているようだと思ったら、やはり元々は人気舞台作品の映画化だそうです。
物語は基本的に科白で語られる。彼らの過去も現在のしがらみも憎しみも愛情も何もかもが科白で表現される。もちろん表情や行動による表現もあるのだが、やはり舞台をそのまま移植したという印象が強い。劇中の殆どの時間が、憎しみや嫉妬や、そのような負の感情をずっと喋り続けることに費やされるため、聞いてて気分のいいものではない。せっかくの映画でどんな表現でもどんな映像でもできるのに、ひたすら科白を喋り続ける。とりたてて舞台が好きでもない私としては、それほど好きな演出でもなかった。
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