悪魔の陽の下にのレビュー・感想・評価
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欧州を深く知るための基礎映画。 多分、きっと…。
パルムドール賞受賞作と聞いて鑑賞。まったく良いと思えず自分の感性ってこんなものかと思った。けれど、ブーイングもあったと聞いて、ちょっとほっとしました。尤も、「ブーイング」の意味は全く違うと思うけれど。
助祭ドニサン。常に悩んでいる。
悩んでいて自傷行為しているからか、常にフラフラ歩いている。信仰に没頭できない自分を責め、キリストが刑場に歩いていく際に鞭打たれた、その再演をしているので、体が悲鳴上げてフラフラしているのだとは思うけど。魂がフラフラしているのを表しているのかとも考えるけど。そこからして、ついていけない。
そして悪魔と出会って、娘と出会って、最期に奇跡を起こして、で、という展開なんですが、全部唐突かつ展開が早過ぎて…ついていけない。
(原作未読)
この信仰心の揺らぎにパルムドール賞なのかなあ?
手塚治虫氏の『ブッダ』(漫画の方、アニメは未見)に感動した身としては、もう少し、ドニサンの葛藤をわかりやすく描いて欲しかった。
何にどう悩んでいるのかがよくわからない。キリスト教者なら理解できるのか?
自分に対していら立っているのは見て取れるけれど。思い通りにならぬことにいら立って、神に怒り、そんな自分を責め…。「お前には自分しかないのか!」と突っ込み入れたくなるのは、私がキリスト教者ではないからだろう。
唯一印象に残った台詞「これから毎日同じことが続く、これで終わりなのか」(思い出し引用なので違うかな?)。
なんだ、ドニサン、神に心を捧げるようなこと言ってて、意外に功名心強いじゃん、それが葛藤の元?なんて思ってしまいました。
だったら、奇跡を起こして人々の称賛受けてからの方が、己の心の中の悪魔との戦いになって、ドラマチックな展開になるのにね。
人を救う…。
何のために?誰のために?
そもそも”救い”とは何ぞや…。
キリスト教は、救う人と救わぬ人を選別する…自死者への扱い…
そこを、キリスト教の”きまり”や”教え”と絡めて描いた大作?
また、ドニサンと彼を導く司祭の関係。いわゆるメンターなんですが、西欧人て自立しているのかと思ったら、神(メンター)に全面依存なのね。
ああ、でも全面依存的なことを言っておきながら、依存できないから葛藤しているのか。
とはいえ、そんな風に自分に懐疑的であることを知りながらも、見守ってくれる司祭の存在がうらやましくもあり。でもこの司祭も実はドニサンに依存しているという、依存関係の物語?
キリスト教とヨーロッパ人の関係を知るにはとても良い映画だと思います。(ドニサン以外の教会に集う人々の眼差しとか)
ていうか、この映画観てから、ヨーロッパ文学とか、ヨーロッパ映画観たら、また感じ方が変わるのだろうな。
と、異文化への厚すぎる壁を突き付けてくれる映画ですが、
色調をはじめとする映像、音響は好きです。どこかウェットで、素朴で、静かで、淡々としていて。観ていて落ち着く。
そして主演のドバルデュー氏。『あるいは裏切りという名の犬』が強烈でしたが、いろいろな役をなさるのですね。
難しい世界観
自分にとってはこういった信仰心を扱った内容はなかなか理解しがたいところではあるが、それに加えて独特な演出であったため、かなり難解な作品だと感じた。
ストーリーも意図も理解できなかったし、動きの少ない画面づくりに、自分の感覚を超越していた。
レーゾン・デートル.
2016.02、モーリス・ピアラ監督特集でみた一本。私には退屈で少々眠ってしまいました。
真に神と向き合うとは?自分自身に問いかけること、それが自らの存在意義の根源につながっていく、ということなのか。
苦悩する神父の姿、すがる大衆、どちらも人間なんだよなー。
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