哀愁のレビュー・感想・評価
全24件中、1~20件目を表示
悲しい結末で印象深い
1=男女の出会い方は、「君の名は」に似てる
①空襲警報が発端 ⇔ 同じ
②ウォータールー橋で出会う ⇔ 数寄屋橋が出て来る
③避難した地下駅で仲良くなる ⇔ 防空壕で仲良くなる
2=「君の名は」は、戦後のラジオ放送+映画なので「哀愁」の方が早い
真似したのは、「君の名は」になる
3=男が求婚し女が了解して、その日の内に指輪→教会は早い
「土佐の一本釣り」にも似たストーリーがある
勿論、この映画の方が早い
4=戦死の誤報記事が、マイラの不幸の始まり
5=キティが娼婦になった後にマイラと話す言葉は、哲学的要素がある
6=マイラは、最後はトラックに飛び込み自殺で悲しい
これは、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の鉄道自殺のマネかな
7=映画がハッピーエンドでないのは、残念だが印象深い
英国のメロドラマ古典
自分の幸せと相手の幸せの間で揺れ動く主人公、踊り子の心理描写が白眉。 熱い友情にも泣ける。 冒頭とラストを晩年の将校の回顧シーンにする演出も味わい深かった。
「ラクな仕事と言ったのは誰かしら。…きっとそいつは、女じゃないわ」
母に教えられて知った映画。蛍の光のことも。 どうしてもヴィヴィアン・リーというと、スカーレット・オハラの印象が強いので比較してしまいますが、この映画のマイラ・レスターは、可愛らしく純粋で傷つきやすい女性で意外!と失礼ですが思ってしまいます。 仕事がない若い女性の、行き着く先は……。 腹が立って仕方がないです。 日本も昔の歌に"東京の花売り娘"がありますが、そういったことのようで…。 私がこの映画を見て学んだのはそこでした。戦争が始まると、こういうことが往々にして起こるのだ、と。 キティの、地を這うように言った言葉に、悲しくて震えました。あの時、バレエ楽団に戻れていたら。 辞めてなかったら違ったかもしれないのに。マイラも、ああならなかったかもしれない…。
第一次世界大戦中の話で、始まりが第二次世界大戦で、そのまま終わる。この虚しさは映画に効果を与えていると思った。
我が親父のDVDコレクションから。 ヴィヴィアン・リーは演技のうまい女優だと思う。お嬢様から汚れ役まで。 しかし、決して綺麗な女優とは言えない。ヘップバーンやグレース・ケリーの美しさには勝てない。 反面、彼女は踊りとかはうまくないのではと感じた。踊り子の設定なのに。 第一次世界大戦中の話で、始まりが第二次世界大戦で、そのまま終わる。この虚しさは映画に効果を与えていると思った。真っ暗な話だが、これが現実かもしれない。
戦争の悲劇
1940年、白黒映画の金字塔 白黒クラシック映画の名作中の名作。銀幕の役者が雲の上のひとに思える程。絶対的な美男美女の二人。 ビビアン.リーとロバート.テイラー 第一次大戦下に巡りあった踊り子とエリート大佐の悲恋を、美しく儚く描いた物語 十代の頃、銀座の名画座で上映されたこの映画を、懐かしくBSで観賞。 ストーリーは単純ながら、戦時中の中だからこそ必死に互いに夢中になり、身分の違いだからこそ一瞬に燃え上がる恋。 スマホがあり、どこでも繋がり。世界中の相手と話せる今の時代の若者にはこの世界観は難しく感情移入できない事だろう。 ストーリーは単純であるが、生死をかけた障害のある時代だからこその、複雑さや美しさ。 悲恋映画の代表作、今も美しく色褪せない
悲しい
アメリカの劇作家 ロバート・E・シャーウッドが
1930年に発表した舞台劇の映画化。
監督:マービン・ルロイ
第二次世界大戦に出征する将校と
バレーの踊子の悲恋物語。
ヒロイン、マイラには、
『風と共に去りぬ』でアカデミー主演女優賞を獲得した
ヴィヴィアン・リー
将校には、ロバート・テイラー
当時、最高の美男美女の共演だったそうです。
クラシック作品も多く観ていますが
この「哀愁」 WATERLOO BRIDE
哀しすぎて涙が止まらない。
初めてのデート場所
「キャンドルクラブ」で二人が踊る
楽団が演奏する
「オールド・ラング・サイン」(蛍の光)の
メロディと共に
次々とキャンドルの火が消されてゆき
それでも、踊り続ける恋人達・・・
恋の幸せの時間は短くて・・
戦争によって破壊されてしまう愛
どん底にいた生活の事を話せず
愛した相手の幸せを願い
美しいままのイメージをと願った
マイラのとった行動は・・・
ヴィヴィアン・リー
「風と共に去りぬ」のスカーレットとは違う
繊細なヒロインを演じています。
皆、演技がうますぎる
何となく観たBSで連ドラ予約している映画の一つ。 ストーリーは単純だけど、演技が上手いから見入ってしまう。 純粋な2人。幸せになって欲しかったなあ。 とにかく全てのシーンが素晴らしい。マイラの幸せを祝福するキティもいいし、 お坊ちゃん育ちの大尉も、優しくていい奴で、印象深い。 主役のビビアンリーの演技は凄いねえ。娼婦として客の気を引こうとする表情 なんか鳥肌が立ちそうになった。ほんと天使にも悪魔にも見えた。 1940の映画、日本は日中戦争からの第二次大戦の足音が忍び寄る時期。 悲しいかな、大国アメリカの大きさと深さにはかないっこなかった。
美男美女のメロドラマ
美男(ロバート・テイラー)美女(ビビアン・リー)が、第二次大戦下のロンドンで繰り広げるメロドラマで、さすがに絵になる。 一目惚れした二人は、急遽、結婚式を挙げようとするが・・・。 悲しい。
ベタなよろめき、小気味よし
お話は古典的なベタなよろめきですが、まず脚本に無駄がない、役者は主演も含めて全員はまってます。 何よりも、悲恋話のくせにテンポが早く、メリハリが効いて、場面の切れ味がいいので目が離せない面白さです。ルロイ君の手柄でしょう。ワイルダー君みたような職人監督ですね。しかし、邦題は時代を考えても「ウォータールー橋」の方が情緒あると思いますけど。
戦争に翻弄された手に職が無い若い綺麗な踊り子の不幸
ビビアンリー主演で、風と共に去りぬの翌年、1940年の映画。
戦争が引き裂く哀しいメロドラマを思い描いていたが、かなり大きく異なっていた。
戦地に向かうロバート・テイラーを見送り、舞台を欠勤した踊り子ビビアン・リーと友人は踊り子を首になってしまう。職を色々探したが雇ってもらえず、二人がたどり着いた先の仕事は。お金も無く、技術も無い若い女の子がどうやって英国の都会で生きていくか、途方にくれ未来の恐怖に怯える2人の姿が、コロナ下の現状と重なって、物凄く切実に思えた。
商売で出かけていた駅で、戦士したと思っていたが帰還したロバート・テイラーと再会。結婚するという彼と共に彼のお屋敷に行ったものの、自分は彼に相応しく無いと思い、ロンドンに逃げ帰るビビアン・リー。彼の邸宅や親族の貴族的な豊かさと、彼の母親の賢さが上流階級の手の届かなさ感を見せていて、なかなかの造り。
車の飛び込んでしまって分からないままだが、ロバート・テイラーと彼の母親は、嫁候補の過去を許せななかったのだろうか?それとも許せたであろうか?
女性が生きるのは今以上に難しかった第一次大戦時に起きた小さな悲劇。スカーレットオハラとは異なり、時代の波に翻弄され娼婦にまで堕ちてしまう女性をビビアンリーが、チャレンジングに演じている。女優魂の塊の様なヒトと感じた。
最近観た過去の名作
個人的には映画は前知識なく観るのがいちばんと思っている。原題はWaterloo Bridge(ウォータールー橋 )で、邦題の「哀愁」と全く異なる。邦題は洒落てはいるが、この映画がラストは悲劇になる物語であると想像できてしまう。最初と最後のシーン、二人が出会った思い出深い場所がウォータールー橋だったので、製作者の意図通り原題どおりに(あるいは、 思い出のウォータールー橋、とか)にするべきではなかったか。
マーヴィン・ルロイ監督作品であるが、彼の傑作「心の旅路」はハッッピーエンドだったが、こちらはその悲劇版とでも言ったらよいかもしれない。同様に感動の傑作である。
世界一の映画館支配人の大のお気に入り映画
淀川長治に世界一と言わしめた一地方都市の 映画館「グリーンハウス」の元支配人、 佐藤久一の大のお気に入りの映画だった と知って再鑑賞。 ストーリーはシンプルで 奇をてらったところは無いどころか、 何故か絶えない負のベクトルの連続は、 結論に結び付けるための強引とも言える な展開ではある。 急な出征に際し、彼の「見送りはいい、 戻ったら結婚式を挙げよう」の一言が あったらダンサーを首になる等、 全ての暗転劇は無かっただろうと 思いながらも、 彼女の次の仕事が見つからないことも、 彼に困窮を伝えないのも、 戦死のエラー記事による彼の母との行き違い も、そもそもがこのドラマを成立させるため の要素に過ぎず、それをリアリティ欠如との 指摘も野暮と言うべきかも知れない。 そして私は、彼と結ばれることへの 彼女の心の葛藤に共に引きずり込まれた。 ただ、 今の時代だったらこんな結末には 導かないだろうとの時代性は感じる作品だ。 今の時代だったら、例えば 「わたしは、ダニエル・ブレイク」 のように、ヒロインが娼婦に身を堕とした としても、それは個人の責任性とは異なり、 社会の矛盾がもたらしたものとしての描写に ウエイトが置かれる。 「わたしは…」が社会変革による非常時 における悲劇だとしたら、 「哀愁」は戦争という非常時における悲劇 と言えるかも知れないが、 この映画のヒロインの出した結論は あくまでも彼女個人の思索の結果だ。 再鑑賞に当たっては、 肝心な点を忘れていて、 彼女の自死の切っ掛けは、 良くあるパターンである過去を知る人物との 再会と考えて観ていた。 しかし、彼女の最後の選択が、 あくまでも自身の心の葛藤の結果であり、 その見事な描写が、 類似の作品には無い深い感動 をもたらしているようにも思える。 マーヴィン・ルロイ作品としては、 その後の「心の旅路」「若草物語」 「クォ・ヴァディス」の鑑賞のみだが、 恋愛物としては「心の旅路」の方が ハッピーエンドの分だけ 後味の良さはある。
美男美女とはこの二人のこと
今はバレエダンサーはアートを体現する代表のようになっているが、かつてはあまり良い職業ではなかったわけですね。女性が人前で足を見せるということで。 でもそういう職業の女性(踊り子という表現になってます)でも偏見を持たず(持たないように努力するお母さま)、彼女とみんなの前でダンスすることで彼女をみとめたことを表現する伯父さん、そういう人たちの心情を理解したからこそ、ラストの悲劇につながってしまう。 最初ロイと出会ったときの橋の上、さらには地下の駅構内に避難したときのヴィヴィアンの雰囲気と、踊り子をやめさせられたあとの仕事を始める彼女(駅で相手をさがしている)の立ち振る舞いの違い。初々しさがあった彼女が、今は。。。やっぱりこの人も女優でした! 余りにも有名な映画でしたが、メロドラマでしょ、と思って観ませんでした。でもやはり名作といわれるだけのことはありました。
瞳の中に恐れが見える
1939年、英国はドイツに宣戦布告した時、ウォータールー橋にたたずむ将校。かつてロバートテイラー扮する英国将校クローニン大尉は空襲警報の折、ヴィヴィアンリー扮するバレエの踊り子マイラレスターと偶然ウォータールー橋の上で出会い別れ際にマイラのお守りをもらった。クローニンは、後日劇場へバレエを見に行きマイラを食事に誘った。 別れのワルツなんかで気軽にダンス出来るのはいいよね。一目ぼれのふたりは燃えるからさ。将校を見つめるヴィヴィアンの麗しい笑顔と眼の輝きが素敵だったね。将校と踊り子と言う設定だったが、意地悪なマダムが邪魔するけど戦時中の前線の戦いを前にした純粋な気持ちが切ないね。しかし望みも身寄りも無く、生きていくためには金を稼がなければならず、現実にさいなまれていく。取り返しのつかない現実を全て受け入れる事が出来るのだろうか。戦争が成せる出来事なれど、幸せをつかめる者とつかめない者がいる。瞳の中に恐れが見えるとクローニンは言った。秘密をかかえる事は極めてつらいね。
白鳥と黒鳥を演じ分けたヴィヴィアン・リーの透き通る美しさが永遠の輝きを放つ
47年振りの再見、懐かしく感慨深い映画の一本。 双葉十三郎氏の”僕の採点表”では、1930年に舞台化されたロバート・E・シャーウッドの『Waterloo Bridge』の三度の映画化で一番の出来と評価されている。興味深いことに、日本公開が1949年の戦後であったのに対して、太平洋戦争開戦以前の1940年の上海で”驚くほどの当たりをとったそうである”と記録されている。不穏な時代を反映した題材の典型的な悲恋物語に、当時の国際都市上海の人々が魅了されたのであろう。 観直してまず感心したのが、現代のリアリティやリアリズムの映画様式ではない古典的な運命劇の語り口が、確り構成されていることだった。監督のマーヴィン・ルロイの演出は、特に技巧を見せびらかすテクニックを披露はしていない。丁寧で落ち着いたタッチで、常に安定した構図に人物を収め、主人公マイラ・レスターを引き立たせるアップカットを多用して悲劇のヒロインを前面に打ち出している。当時のスター優先の映画制作ではあるが、「風と共に去りぬ」で一躍脚光を浴びたヴィヴィアン・リーの透き通る美しさと豊かで明確な表情演技があっての作品価値に集約されている。特に婚約者ロイ・クローニンがフランスへ出兵してからの後半の急展開に見せるヴィヴィアン・リーの困惑と一時の喜び、そして罪悪感に苛まれる演技の素晴らしさ。いくつかの見せ場を並べて徐々に盛り上がりを作り、最後精神的に追い込まれたマイラの心情をこれ以上ない説得力で、観る者を説き伏せ納得させる。単なるお涙頂戴の甘いメロドラマと決めつけてはいけない。ヴィヴィアン・リーの自作一番のお気に入り作品とある。スカーレット・オハラとは真逆のマイラ・レスターに誠心誠意込めた演技の成果に本人が満足していることが全てであろう。印象的な場面を二つ挙げると、ロイの母マーガレットと初対面するシーン、そしてウォルタールー駅で偶然再会するシーン。音楽では『白鳥の湖』を基調とした情感のバリエーションと『蛍の光』のロマンティックな効果が生きている。お守りビリケンの扱いも物語の中に無理なく添えられている。 白鳥のマイラが黒鳥に代わった悲劇に、再び白鳥に戻れなかったマイラの純真さにこころ奪われる映画。イギリスの階級社会が軍隊にそのまま組織化されているところも時代を窺わせる。その王子役で大尉のロバート・テイラーは、その美男子振りに価値がある。当時29歳とは思えない渋さと貫禄にも驚く。50代の大佐役の方が自然に見える。いい演技を見せてくれたのが、母親マーガレット・クローニンを演じたルシル・ワトソン。マイラに寄り添う心優しい友人キティは役柄の良さが大きいが、ヴァージニア・フィールドも好感持てる演技。ロイの叔父の連隊長役のC・オーブリー・スミスの身長193センチの立派な体躯と威厳ある風貌も印象的。テイラーと並んでも見劣りがしない。唯一の嫌われ役バレエ指導者マダム・キーロウは、「邂逅」ではミシェルの優しい祖母役で良い役を演じている。 この作品は、映画を観始めて漸くその良さを自分なりの解釈で記録できる頃の想い出の映画だった。その年のテレビで見た名作のベストを記録すると・・・・ ①シェーン②シベールの日曜日③ハスラー④理由なき反抗⑤哀愁⑥禁じられた遊び⑦仔鹿物語⑧ローマの休日⑨レベッカ⑩十二人の怒れる男⑪終着駅⑫俺たちに明日はない⑬ifもしも・・・⑭ダーリング⑮裸足のイサドラ⑯イージー・ライダー⑰個人教授⑱慕情⑲史上最大の作戦⑳巴里のアメリカ人㉑旅情㉒アンドロメダ㉓グレートレース㉔空中ブランコ㉕猿の惑星㉖ミクロの決死圏㉗荒野の七人㉘尼僧物語㉙手錠のままの脱獄㉚血と怒りの河 10代の未熟な鑑賞だったから、今全てを観直したら全然変わってしまうだろう。それでも、それも自分の経験として記録することは良いことだと思う。「哀愁」が5位とはね~~。自分でもびっくり。
白鳥の湖から戦争を感じるマーチへ。そして、ラストダンスは蛍の光。
1939年、灯火管制下(戒厳令みたいな感じ)でイギリスはドイツに宣戦布告。暗い世の中で、戦地に向かおうとするロイ・クローニン大佐の姿があった。ウォータールー橋の上でドイツの空襲があった過去のストーリーを思い出す。
1917年。空襲警報の鳴り響く中、大尉のロイは人々を地下鉄に避難させ、バレエダンサーのマイラと知り合った。一日目は避難、二日目はバレエ鑑賞と食事・ダンス、三日目にはプロポーズという驚異的なスピードでの恋愛成就。前線に向かう直前のことだった。その日のうちに結婚しようと教会に向かうが、午後3時以降は戦時下の法律によりできないと・・・じゃ明日!と約束したのだが・・・
戦地にいたロイからの連絡。母親と会うという大事な時、ロイの戦死報告記事を見つけてしまったマイラ。そこから彼女のどん底人生が始まってしまう。売春とか娼婦とかいう言葉は一切出てこないが、全く職にありつけないキティとマイラの選んだ道はひとつ。戦争というものは必ず不幸になる者がいるのだ!と、強く訴えてもいる。
第一次大戦時のウォータールー橋はそれほどでもないが、時は流れて第二次大戦前夜となると鉄骨が組まれて補強されている。ロイは誰かと結婚したのだろうか?していたとしても、唯一愛した女性はマイラのみ。純情すぎたマイラの選んだ道は悲しくてやりきれないが、誰に対して文句を言えばいいのだろう?この映画を観た後では、「蛍の光」の印象がガラリと変わるかもしれません。
パディントン駅でのヴィヴィアン・リーの媚態だけでも一見の価値あり!
ヴィヴィアン・リーは『風と共に去りぬ』よりこちらの方がずっと良い。美男・美女映画の究極。蝋燭が一本また一本と消えていく部屋で「蛍の光」に乗って二人が踊るシーンのロマンチックさよ!
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