「【”私は私の道を行く。”今作は、戦後50年横浜の街に娼婦として立ち続けた一人の女性の姿を彼女を知る多くの人の証言で炙り出すドキュメンタリーであり、横浜の戦後の風俗史でもある。】」ヨコハマメリー NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”私は私の道を行く。”今作は、戦後50年横浜の街に娼婦として立ち続けた一人の女性の姿を彼女を知る多くの人の証言で炙り出すドキュメンタリーであり、横浜の戦後の風俗史でもある。】
■顔を真っ白に白粉で塗り、白いドレスに身を包み、横浜の街に娼婦として立ち続けたメリーさんの姿を、彼女を知る作家、クリーニング屋の夫婦、彼女が使っていた”根岸屋”の常連、そして自らも癌に侵されたゲイのシャンソン歌手、元次郎さんの証言と、貴重な写真の数々で描いたドキュメンタリー映画。
◆感想
・今作を非常に興味深く鑑賞した。メリーさんは戦後、横浜に出て来てアメリカ軍の将校に想いを抱きつつ、別れ、その後所謂パンパンとして、宿なしで生きて来た事が、貴重な写真と彼女を知る多くの人達の証言で綴られる。
・彼女が齢を重ねても厚化粧をして、背中が曲がっても街に立ち続けた理由は、劇中に語られる。
彼女は恋に落ちた米軍将校がいつか戻って来るだろうという想いで、只管に待っていたのである。巷間で言われたパンパンの生き方を戦後50年にも渡り、貫いた生き方は哀しいが、ある意味凄いと私は思う。
・確かに後年の彼女の姿は異形に近いし、時代的にエイズではないかと言われ、幾つかの店には入れなくなり、一人ビルの廊下でパイプ椅子で寝る姿は侘しい。
だが、彼女の呼ばれ方”皇后陛下””キラキラさん”や彼女の喋り方などは、自尊心が非常に高い方だったのであろうと思う。
■今作が優れたるドキュメンタリー作品になっているのは、メリーさんの姿を追いつつ、その過程で横浜の戦後の見事なる風俗史にもなっている点である。
米兵との間に出来た子供達の死骸が、墓地に捨てられていた話など、その典型であろう。
<今作の再後半の描き方も見事である。
メリーさんは女性作家が彼女の”部屋に住みたい”と言う言葉を聞き、実家に帰る手配をし、その後イロイロと有ったのであろうが、それまでペルソナの如く顔を真っ白に白粉で塗っていた彼女が、ほぼスッピンで養護施設に入居している所に、ゲイのシャンソン歌手元次郎さんが、養護施設の入居者の前で、日本語で”マイ・ウェイ”を歌うシーンは感動的である。
元次郎さんの姿を見るメリーさんのスッピンの表情は、気品があり美しい。
それは、正に戦後を”私は私の道を行く”生き方をした女性の顔だからである。
今作は、戦後50年横浜の街に娼婦として立ち続けた一人の女性の姿を彼女を知る多くの人の証言で炙り出すドキュメンタリーであり、横浜の戦後の風俗史なのである。>