「美奈子や槐多は自分の中もいるようです」いつか読書する日 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
美奈子や槐多は自分の中もいるようです
心に刺さるという表現では足りません
突き刺さって心を引き裂いてしまった映画でした
最高の映画に出会った幸せを噛みしめています
冒頭15歳の美奈子は、未来の私からの手紙を書きます
自分はこの町を出て行かない
この町で生きていく
ずっとここの町で暮らしていると宣言しました
ちゃんと未来の私が待っていると
その結果が50歳の彼女です
彼女は青春は17歳のあの事件から時間が止まってしまっていたのです
あの作文が彼女を縛りつけたはずはないと思います
もう彼女も書いたことすら忘れているかも知れません
しかし、それは心の中に澱となって沈み、17歳の事件で恋がブレーカーが落ちたかのように瞬間的に打ち切られて、彼女の時間がそこで止まってしまったことと、複雑に絡み合ってしまったのです
互いに目も合わそうともしない
けれどもお互いに強烈に意識している
市電、スーパー、朝の配達の小さな音
その二人の演技の繊細さは強烈に胸に迫りました
叔父さん、叔母さんのエピソード
ネグレクトされた子供のエピソード
全てラストシーンに向けて収束していく遠近法の透視線となっています
何一つ無駄なエピソード、シーンもありません
全てが伏線となってつながっていく見事さに圧倒されます
槐多とその妻容子はどうやら職場結婚したようです
彼の課で窓口をしていた女性のような、市役所でも評判の美人だったようです
容子が牛乳配達の正体を確信したラジオのMさんからのリクエスト曲は「雨の日と月曜日は」です
美奈子が16歳だった1971年のカーペンターズのヒットです
ラジオではその作曲者のポールウィリアムスが美奈子が19歳だった1974年にセルフカバーしたバージョンが掛けられました
歌詞を是非調べて下さい
DJが「文面からすると20代女性といったところでしょうか」、「私も中学から高校にかけての3年間片思いでした」と語ったように、美奈子の心は17歳のまま閉じ込められているのです
その美奈子の心情がハガキの文面だけでなく、歌詞にもそのまま綴られてあるのです
その一節はこうです
変よね、私にできる事と言えば
愛してくれるあなたのもとへ、駆けていく事だけ
死を目前にした容子との直接対決は息がつまりました
容子の言葉に美奈子の呼吸が次第にゆっくりと大きくなるシーンの迫力は恐ろしいほどです
ズルい、と絞りだした小さな声は彼女の初めての感情の爆発でした
ズルいのはもちろん容子のことです
あの事件のあった17歳のあの日、槐多の母は取り乱して、美奈子の母と槐多の父の遺体が夫婦の様に並んでいるのを引き離そうとした事を思いだしていたのかもしれません
母がしたことを、槐多の妻がまた私にさせようなんてズルいと
そして妻の上から目線で一方的に要請して、自身の死期を盾に反撃を封じているからです
彼を譲ると言っていますが、容子は健康であるならば絶対に許さないと言っているようにも聞こえます
同時に、自分に対しても容子の言う通りにするのはズルいことだとも思ったのだと思います
彼女の死を願っている自分を知っているからです
ずっと昔からそうならないかと願っていたはずだからです
その三つの想いが一度に吹き出してぐるぐると絡まり合い、美奈子はズルいとだけ言うのが精一杯だったのです
彼女はその場を逃げ出すしかできなかったのです
槐多は容子の死期が近いのを悟ると、市役所に休職願いを出し、父の絵を画廊に売ります
彼の父は有名な画家だったようで、かなりの高額で売れそうです
しかし彼の家は遺産もあるのか市役所勤めにしては結構裕福そうです
何も妻の死を前にして父の絵を金の為に手放す必要は無さそうです
あの絵は女性のヌードの絵でした
もしかしたらモデルは美奈子の母であったのかも知れません
槐多はその絵を美奈子に見られたくなかったのです
つまり彼もまた容子が言い出す前から、同じことを考えていたのです
もしかしたらこの家に美奈子が住むことになるかも知れないと思い、バタバタして忘れてしまう前に手放したのだと思います
美奈子は口紅は余りにも自分の欲求がストレートに出ていると思い拭いさります
喧嘩腰で長い青春のけりをつけに槐多の家に乗り込みます
まるで殴り込みです
槐多の父と美奈子の母が二人乗りして向かった事故の現場に今度は美奈子が漕いで向かいます
事故現場で線香をあげたとき、二人の両親はどっちもどっちでおあいこ様であったことを初めて知ります
美奈子は、自分が働くスーパーのシングルマザーのふるまいを見る冷たい目と同じ目線で母を捉えていたのです
そして二人の両親が逢い引きの現場に目指そうとした、誰もいないダムの遊水池で二人は会話するのですが、まるで決闘です
33年間の積年の怨みつらみが美奈子を喧嘩腰にさせています
槐多はなにそれと言うようなことを言い出しますが、それは結局自分は臆病なんだと訴えていたのです
拒否されるのではないかといまだに恐れていた小心者だったのです
だから美奈子は自分は容子と同意見であるが、彼が違うというなら、この町をでていく覚悟だと決断を彼に迫ったのです
それで、彼女が帰ろうと自転車に手をかけた時、遂に槐多は勇気を振り絞って正しい行動を取れたのです
初めて彼女を抱きしめて正直に本当の気持ちを打ち明けられたのです
これを33年前にしていれば良かったのです
遠い遠い周り道でした
ずっと思って来たこと、したい
全部して
美奈子はその言葉を33年も待っていたのでした
続くシーンは初老の男女が服を脱ぐのももどかしく互いの肉体を求めあう激しいラブシーンです
この名台詞を含め、普通なら醜悪なのかも知れません
しかし、それはあまりにも美しく甘美なものでした
今までに見たラブシーンのなかでも最高峰の美しさです
本当の男女の愛が混じり気なしにそこにあるのです
涙が溢れて止まらなくなったシーンでした
槐多は翌朝、美奈子の家の本棚を観て呆気にとられます
あの本屋の光景そのままなのです
美奈子の青春は時を止められて、この部屋に閉じ込められて、そのまま残されていたのです
それは17歳のあの事件の直前の時点なのです
槐多の青春もそこで凍りついてそのまま残されていたのです
ここで二人の失われた青春を始めからやり直せるのです
彼女も同じ気持ちで長い年月を過ごしてきたのだ
そして孤独な老後にこの本を読む気なのだと知ったのです
孤独なのは槐多も同じです
容子との間に子供はいないようです
容子が死んで、彼にはいつか市役所で85歳の老人に50歳からの人生の長さを聞いたように孤独な老後の長さを恐れていたのです
この本棚は美奈子との老後こそが答えのだと証明していたのです
あの子供は美奈子が助けるようにと、彼を名指しで指名してくれた子供です
だから子供のいない槐多には、美奈子との間で心が繋がった象徴でもあった子供なのです
だからあの子を助けようと懸命だったのです
子供を両親から引き剥がすときに、母親へ重大性を分かっているのか!と大声あげ、その後車の中で泣いたのはなぜでしょう
美奈子を天涯孤独にしたのは自分の父なのです
彼は、その重大性を怒っていたのです
溺れる子供をみつけ、我を忘れて川に飛び込んで子供をなんとか助けられた時、薄れゆく意識の中で彼は美奈子との子供を助けたかのような満足感に包まれたのでしょう
だから笑顔で死んでいったのだと思うのです
騒ぎに胸騒ぎを感じて美奈子は川に走ります
水死体が槐多であったことを知った時の美奈子のアップは成瀬巳喜男監督の1964年の名作「乱れる」のオマージュでした
あまりことに衝撃をうける田中裕子の超アップの表情は、その作品での高峰秀子の一世一代の名演技に負けないものでした
救助される子供の姿で事情は察しています
なのに理解できない衝撃なのです
ついに結ばれたのに!
二人の未来がついに訪れた朝なのに!
こんな考えすら後から来るのでしょう
それほどの衝撃
しかし全てが終わってしまったことだけが理解できた衝撃の表情です
ラストシーン
いつも通り彼女は牛乳配達をしています
車が入らない細い階段のある急坂を気合いを入れて登っていくのです
しかし坂の上の方にあった槐多の家にはもう誰も住むものは無くもちろん牛乳の配達はないのです
そうすると軽快だった足腰がもう歳なのだと抗議をあげています
息が上がりとても苦しそうです
彼の家に毎朝夜明け前に行く
自分の手で牛乳という命の源を届ける
それは彼女にとりきっとエロチックなことで生きていく力の源であったのです
彼女が牛乳配達をしていると知って、彼が牛乳を好きでも無いのに取り始めた意味を彼女にはわかっているのです
容子が死んでからは一口飲んで捨てる偽装もしなくなります
彼女が毎朝来てくれるだけでよいのです
だからもう歳なのだから飲みなさいと叱ったのです
その彼はもういません
そう思うともう力が湧いて来ないのです
モチベーションが失われたら牛乳配達は辛くなってしまいました
槐多は今度こそ彼女の手のとどかない所に行ってしまいました
彼女はこの町を離れないと15歳の自分が未来の大人の自分に宣言していました
だから彼を追いかけることも出来ません
高台まで上がって朝陽を体一杯に浴びたとき
彼女は知ったのです
長い恋は終わった
長い青春も終わった
叔母さんに聴かれて適当に答えたように、老後の楽しみの為に溜め込んだ本を読む日がとうとう来たのだと彼女は悟ったのです
時間は沢山ある
50歳から叔母さん、叔父さんのような歳まではとてもとても長そうです
でも読みたい本はそれこそ本屋の様に売るほどあるのです
名作中の名作だと思います
超のつく高齢化社会に日本は突入しました
その老人達はもう昔の老人ではないのです
あなたのおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの心の中にはこんな青春が今も生き残っているのかも知れないのです
21世紀の日本映画が撮らければならないテーマなのです
美奈子の本棚は自分の部屋に似ていました
高い一面を埋める本棚を眺めて幸せな気分になるのも同じです
新聞の興味のある本の広告を切り抜いて、いつか読もうと取っておくことまで似ていました
今はまだ読めなくて本が溜まっていく一方なのも同じです
いつか読書する日がくるために備えているのです
美奈子や槐多は自分の中にもいるようです
高坂圭さま
過分なお褒めありがとうございます
映画の作り手側の方とのこと
私たち観客の側こそ、このように素晴らしい作品を届けて下さったことを感謝するばかりです
これからも心に残る良い作品を楽しみにしております
僕は映画を作ってる側のひとりですが、
これだけ作品をわかってもらえると
スタッフは相当に嬉しいと思います。
観客も作り手のひとりと思って、これまで
ものを創ってきましたが、ほんとうにとても
素敵なレビューだと思います。