この胸いっぱいの愛をのレビュー・感想・評価
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なんだかなあ。
カズミの手術後、ヒロは東京へ越して音信は途絶えるらしい。とすると、カズミの生死はヒロのその後の人生にさほど変化を与えなかっただろう。この世から消え去った鈴谷の人生においては言わずもがな。
カズミの立場でいえば、説得されて手術を受けたものの、鈴谷はいなくなり、ヒロもいなくなり、バイオリンも(以前の様には)弾けなくなり、「何なの?」って感じなんじゃないかな。
「カズミに手術を受けさせただけで、製作者や登場人物たちは満足しちゃった」みたいな。「鈴谷の自己満足の為だけにカズミは生かされちゃった」みたいな。そんな印象があふれる結末。一応、カズミの「前を向いて生きてます」的なモノローグは入るけど。あまり釈然としない。
この映画はタイムスリップの話だが、終盤に感動場面あり
1=途中までは「退屈な映画だな」、と思っていたが
110~115分だけは、感動した
2=でも、そこだけ見てもダメ
せめて、50分頃から観ないと、感動しないだろうな
3=例えて言えば、忠臣蔵の討ち入りだけ観ても、感動は薄い
それまでの我慢・忍従・嘗胆があるから、討ち入りに感動する
4=この映画も、半分以上は観ないと感動しないだろうな
4人のタイムトリップ
前年の『世界の中心で、愛をさけぶ』も1986年の日本を描いていたけど、この映画では4人もの人間がタイムスリップする。もしかするとタイムパラドクス上で重要な意味のある年だったのではないだろうか。
日本では昭和61年、丙寅。前年には阪神タイガースが日本一になった。奇しくも20年後の2005年にセ・リーグ優勝(現時点)を決めているので、この20年という期間には特別な意味があるのかもしれない。ちなみに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も1985年。この年の付近に時空の歪みなどがあって、邦画におけるタイムスリップものはここに集中するのかもしれない・・・と、小林明子の「恋におちて」を聴きながら妄想しています。
『亡国のイージス』で熱演した勝地涼が出演しているのですけど、彼が水平線に浮かぶ船を指差すシーンでは、あの映画で描ききれなかった重要なシーンを想像してしまいました。また、彼は食事のシーンが似合ってます。彼がラーメンをすする姿を見ると、自然にお腹の虫が鳴き出すほどでした。そして、ヴァイオリンの腕前はともかく、ヒロイン和美姉さんのミムラの演技も良かったです。難病を患っているだけあって、感情の起伏が激しいのですが、静と動の両面を上手く演じていました(欲を言えば、パジャマ姿を見たかった)。クドカンも子役の男の子も良かったですし、なんといっても、エンドクレジットを見るまで気づかなかった倍賞千恵子!わからなかった・・・(汗)
SFファンであるならば、強引な展開や、幼い頃の自分と遭遇するという設定だけで文句がツッコミが満載になる展開なのですが、TBS、塩田監督、『黄泉がえり』ということを考えれば、ある程度想像できるストーリーなので、こんなツッコミは軽く流しましょう。いわゆるファンタジー映画と言えばいいのでしょうけど、素直に感動する一方で、生きることの大切さ、自己犠牲の愛、やり直しのきかない人生などといった、自分の生き方を見つめ直すきっかけも与えてくれる映画のように思います。
クライマックスにコンサートをもってくる映画は、なぜだかいつもやられてしまう・・・
〈2005年10月映画館にて〉
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