父と暮せばのレビュー・感想・評価
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2004年の作品。宮沢りえは30歳を超えているはずだが、23歳の娘...
2004年の作品。宮沢りえは30歳を超えているはずだが、23歳の娘を演じても違和感がない。瑞々しい。
原田芳雄の演技は自然体に見えるが、台詞回しや身体の動きに、計算しつくされた凄みが感じられる。
丁々発止の二人に、「木下さん」浅野忠信がユルい感じで沿っている。家の場面に彼が出てこないのも、よい。
井上ひさしの原作は舞台劇である。家のセットや演出にその要素を残してあり、会話が中心のドラマを上手に支えていると思う。
映画.comの評価は3.7。4.0は超えていると思ったけれど、意外に低い。しかし、国際的に核廃絶への取組が注目を浴びている今、この作品は再評価されてよい、否、されるべきであろうと思う。
ある程度の事前学習は必要だと思うが、高校生以上ならこの内容「幾万もの別離」をきちんと理解できると思う。継承の役割を担わせてよい映画だと思う。
映画やドラマで広島弁が出てくると、いつも気になってしまうのが「関西寄りのイントネーション」である。この作品でも何カ所か違和感を感じたところがあったけれども、全体としてはネイティブに近い表現だった。関係者のご努力には敬服するものである。
ただ、この次広島を舞台にした映画を撮るときは、ぜひとも「おしゃべり唐揚げあげ太くん」を方言指導に加えてほしい。
生き残った疾しさから人を好いてはいかん
1948年夏、宮沢りえ扮する23歳の福吉美津江は雷の中、慌てて家に逃げ込んだ。家には原田芳雄扮する父竹造がいたのだが、原爆以来雷が恐くなったのだった。
がっぷり四つの原田芳雄と宮沢りえの親娘やり取りがいいね。原爆話の中に溶けたガラス瓶など原爆資料を織り込んで話すのはアイデアだな。でも原爆病の恐怖は大変だっただろうね。ピカの後で生き残った疾しさから人を好いてはいかんと思わせる世間の厳しさもきついね。
ピカの被害者の苦悩と奇跡
広島県が好きだし、宮沢りえさんが出演する映画が観たい。娘視点の父との話でもあり、結婚前の青春物語もある。
戦争映画という側面もあり、本編98分という短さの割に楽しませてもらえて満足しました。
『火垂るの墓』(ジブリのアニメ版)のように、死者が幽霊になって現れたり、戦争の怖さを感じる夏の定番エンターテイメント作品でした。
空でピカっと光る原子爆弾投下シーン、あの近距離では飛行中のB29は無事ではありませんね。投下は嘘(坂本九が言うには投下ではなかった)と氣付くように、遠回しに伝えようとしているのかもしれません。美津江(宮沢りえ)は昔話研究会のメンバーとして、先人から聞いた通りに語り継いでいかなければならないと言及していました。今作もそのようにしたのだと思います。
美津江は、亡き父と会話をしながら頭の中を整理していきます。幻想なのか、夢の中の話なのか、第三者からはどのように見えるのか、本当は寝たきりなのか、その描写が無いため想像するしかありません。
最終的に木下(浅野忠信)と結婚することを決意したように終わっています。
不思議な力が働いて父が現れたのは、美津江に奇跡が訪れたのだと解釈します。
ラスト、広島ドームに咲いた小さな花は、明るい未来を示唆しているように感じました。二つの花なので、もしかしたら双子が産まれるのかもしれません。
オトッタン、おっとったん…と言う広島弁の宮沢りえさんが観れただけでも、ありがとありました。
【娘を想う父の気持ち、父や友に対する申し訳なさ故に”幸せになってはいけない”と思う娘の気持ちを名優二人が台詞と演技で観る側に訴える。強烈な反原爆映画である。】
ー 2015年に、山田洋次監督の「母と暮らせば」を鑑賞した際以降に、気になっていた映画である。-
◆感想
・ほぼ、宮沢りえさんと、故、原田芳雄さんが演じる親子の二人芝居である。
・舞台は、1948年の広島の夏。
・美津江(宮沢理恵)と、父(原田芳雄)が、雷を怖がるシーンから物語は始まる。
ー 二人が、稲光を恐れる訳。ー
・”儂がお前の所に現れるようになったのは・・”と口にする父。
ー 舞台を観ていないものにとっては、この時点で、父の娘に対する想いと、父の真の姿が分かる。ー
・美津江が心惹かれる青年、木下(浅野忠信)への想いを父は知っており、少し茶化しながらも、娘に青年との交流を進める父の姿。
・劇中、語られる”原爆瓦”。あの日、広島の上空で二つの1200度の太陽が現れた事実。
・美津江の”自分は、幸せになってはいけない”と言う想いと、お地蔵様の半分焼けただれた顔。
<美津江が、戦中から子供たちに行っていた”昔ばなし研究会”の活動。
そして、あの日以降も、図書館員としてその行為を続ける美津江。
その姿を温かい目で見守りながら、”独り残された”娘の幸せを願う父の姿。
無垢な人々を襲った”二つの太陽”
が、それでも父は、娘に”孫の顔が見たい”と願うのである。
宮沢りえさんと、故、原田芳雄さんのユーモアを伴った演技が、彼の悲惨極まりない”人間が人間に行った許されざる行為”を強烈に糾弾した反戦映画である。>
残された人の想い、先に逝かざるを得なかった人の想い。
後世に、世界に語り継ぐべき作品。
反戦・反原爆映画の代表作の一つ。
命を、生活を奪うだけでなく、長年にわたっていかに心を傷つけるかが描かれている。
PTSD。その一側面が丁寧に描かれている。
父の苦しみ。娘の苦しみ。その先に、希望はあるのか…。
だが、反戦・反原爆としてだけでなく、
「生き残ってしまった」とか、「私のせいで…」「もっとこうすれば…」などと自分を責めている・心を閉ざして生きている、残された方に捧げたい作品。
どんな人にも共通する、子から孫へ、次世代への想いに溢れたの親世代からの、否、例え亡くなったのが年下で、生き残ったのが年上であっても、大切な人へ向けたメッセージ(「生きてちょんだいよー」)。
しかも、父の願いは、ただ息をしているという状態ではなく、しあわせを求めて「生きてちょんだいよー」だ。
原爆やその後の原爆症、GHQについても、簡単にまとめてあるから、原爆資料の一つ(被災後に人々がどんな想いを持っていたかという意味も含む)としても大切な作品。
でも、直接的表現はないけれど、遺物等で見せつけられる等原爆の視覚的記述がかなりキツイので、そういう意味では観る人を選ぶ映画。
映画でも娘が言っていたし、父が仕草で無意識に反応(雷=空がピカすることへの恐怖とか)していた。
「思い出すのがつらい」と。
舞台の映画化。だからちょっと説明調の台詞から入る冒頭等、理屈っぽい感じがするけど、見応えの有る作品に仕上がっている。
台詞の量がむちゃくちゃ多くて、セリフ回しが理屈っぽく感じる脚本だけど、宮沢さんの妖精のような柔らかさ、原田さんの包容力、浅野さんの朴訥さで、良い雰囲気に仕上がっている。
なにより、井上さんのユーモアのセンスに原田さんがいかにもこんな親父いる!というふうに息を吹き込み、それをやんわりと宮沢さんがうける。宮沢さんも天然?系のボケを嫌みなく演じる。そこに朴訥な浅野さんと美しい緑の風景、ドキッとするような遺物・絵画等が挟まれることで、リズムができて、飽きさせない。
原田さんの歩くだけで笑いをさそうけれど、どことなく物悲しい父、
浅野さんのほとんど語らず出番も動きも少ないのに、父と娘が語る人物像を体現したインテリゲンチャ。この娘が意図せず恋に落ちてしまうのもさもありなんと思わせ、この娘が彼と結ばれて穏やかな愛を育み幸せになっていく姿が浮かぶ…、
と、お二人がすばらしいのはいつものことだが、
それにもまして宮沢さんが素晴らしい。消え入るような風情で見せてくれる。あらすじは知っていたけど、実は娘も幽霊でしたというオチかと思ってしまうほどのはかなさ。自分の生を否定しているんだから、生活感はあっても、生きるエネルギーが感じられない、そんな風情が良く出ている。それでいて、以前はお転婆だったというエピソードもさもありなんという笑顔、あくたれ。思い詰めた目の動き・表情…。そして、ラストの、それまでとは違う輝きをまとったあの笑顔。すごいなあ。
胸を締め付けられる残されたものの想い。
なんであれ、幸せを願う親心。
この映画は原爆をテーマにしている。
その後(それ以前からだが)、地震・台風等の豪雨・その他の天災・テロ・人災・事件等でたくさんの思いもよらぬ死を経験してきた私たち。
それだけではなく、病死・事故死・自死等で死と向き合わなければならない経験をしている私たち。
生きるってことは、いろいろなことを背負っていかなければならないけど、それでも幸せになってほしい。幸せになることを許せない自分であってほしくない。
そんなこと無責任に言われたってって、当事者の方から叱られそうだけど、それでも心からそう思う。
☆ ☆ ☆
《蛇足》 ちょっとだけ、以下ネタバレです。
☆ ☆ ☆
☆ ☆
父と娘について、いろんな人がいろんなことを言っている。
幽霊を信じられない人々は、娘の心の葛藤が、”父”として現れたのだと言う。幸せになりたい心、でもそんな資格はないと自分を抑え込む心。傷つきと再生。それを表現したものだという。一理あると思う。
でも、ここのレビューでどちらも幽霊という珍説を知った。確かに、上に記したように、宮沢さんが演じる娘には生気がなく一瞬疑ったけれど…。でも、それじゃあ、この映画は何を表現したかったの?ラストの映像がそういう珍説を生み出しているらしいが…。
父は「娘(生き残った人)の応援団」だと映画の中で言っている。壮絶な経験をして傷ついている人々が、それでも幸せを求めて生きていくことを応援する「応援団」。だから、娘は生きていないと話が変だ。父が幽霊なのか、天使なのかはともかく、そんな「応援団」がいてくれたらいいなと思う。
ラストの映像。映画の舞台・1948年と、映画が製作・公開された2004年をつないだものだと思う。絵空事の悲劇ではなく、実際にあったことと、実際の被災した建物を映した後、「100年は草木も生えない」と言われた地に花が咲き、2004年の街並みを映す。苦しみを抱えながらも、復興し、再生するのだとの力強いメッセージと受け取った。花は父と娘かもしれないし、娘と彼かもしれない。
だからこそ、この街で暮らしているかもしれない娘夫婦のその後を想い、そこにいない父を想い、涙がとどめもなくあふれてくる…。
穏やかな生活の破壊。それが戦争なのだと。それを奪ったのがピカなのだと。
☆ ☆ ☆
『母と暮らせば』を観てから、こちらを見た方が多いようですが、こちらが先です。
井上氏ご自身で、この戯曲の対になる、長崎を舞台に原爆物を書きたいという構想がありながら、実現する前にお亡くなりになり、ご遺族が山田監督に脚本執筆・映画化を頼んだと、『母と暮らせば』のフライヤーで読みました。人選間違えたと思います。井上氏の長崎物の脚本が見てみたかったです。合掌。
(勿論、浅野氏の出演・役は、この映画へのオマージュです)
娘は描かれた時点では亡くなっていないのでは?
山田洋次監督の「母と暮せば」があまりにも
期待外れだったので、こちらを再鑑賞。
やはりこの「父と暮せば」の方が
格段に優れていると思った。
黒木和雄監督は言葉の力を信じて、
あるいは井上ひさしを信じて、
舞台の二人芝居モードを徹底して
踏襲した結果、成功しているように思えた。
また舞台ではセリフの中でしか登場
しないという木下について、
図書館他での娘との語らいと
トラックで娘宅に向かうシーンだけで、
時間を割くことなく印象的に登場させ、
主役の二人芝居の主体は壊さない、
映画としての味付けに優れた演出力を
見せてくれていると思う。
一方「母と暮せば」の方は亡霊役が
登場するにも関わらず、
中途半端に映画としてのリアリティ感を
出そうとして失敗していると思う。
また登場人物が多すぎて
主役二人の会話に重みも無い。
もっとも、生者と死者、親と子、男と女、
の全てのひっくり返しに無理栗感があった
のが基本的な原因だとは思うが。
ところで、この作品へのレビューで
何人かの方が、
ラストシーンが原爆ドームの中での演技に
見えたり、
二輪の花が映し出されたしたことから、
娘も死んでいる前提だとしたら、
親子の会話との矛盾があるのではとか、
テーマにそぐわない等の
御意見が多くあります。しかし、
私はこの時点では
娘は亡くなっていないと思います。
この映画が完成したのは戦後59年ですから
終戦時に二十歳だった娘が既に自然死
している想定も可能だから、
2004年時点では父と一緒に二輪の花として
描かれても不自然ではないし、
更に言えば、
その後、彼女が原爆症で亡くなって
しまったと想像すると、
この花は、
娘が心配していた後遺症の怖さの
メッセージとも想像されるからです。
また原爆ドームの描写は、
そもそもがこの作品のテーマが
反戦・反核兵器なのだから、
原爆被害の記憶装置である原爆ドームを
全ての被害者を包み込むテーマの象徴
として使ったのであって、
死者同士の親子の物語だったのでは、
と捉えるのは読み過ぎではないかと
私は思いますが、如何でしょうか。
今日は75年目の原爆記念日
元は舞台劇なので父と娘の会話中心。しかし、悲惨な映像を映し出さないのに原爆の傷跡を胸が絞め付けられるほど痛感させられた。生き残ってしまったたために申し訳ないと幸せを捨て去ろうとする美津江に、応援団長と名乗り、希望を与えてくれる父。生き残ってる者をも不幸にしてしまう戦争の醜さをひしひしと訴えてくる。
木下がくれたお饅頭について真剣に論議する父娘。なんとか二人を結び付けたい一心で、幽霊となってきた。原爆瓦や体内から出てきたガラスの破片。こうした小物だけでも痛さが伝わってくる。美津江が物語を語り継ぐ会に所属していたこともあって、真実をねじまげないで後世に伝えるという信念が戦争体験を語り継ぐことの伏線にもなっている。
被爆者であることを隠し通そうとする人たちがどれだけ多かったことだろう。本来ならば、もっともっと被爆体験記が世に出ていいはずなのに、この主人公と同じように生きることの希望を失った人が多いことは容易に想像できる。亡くなった犠牲者の分まで真摯に生きて、戦争の悲惨さを語り継ぐ。戦争を体験していない者ももっと頑張らねばと考えさせられた。
種明かしがされた後のエンドロールの最中に訪れる圧倒的な悲しみの大きさが、傑作の証拠だと思います
二人芝居を映画化したもの
確かに舞台劇ぽさはあるものの、映画としての特徴を活かした演出がとくにラストシーンでの種明かしで効果的に発揮されています
また宮崎りえの、過度に痩せた容姿が説得力を持っています
種明かしがされた後のエンドロールの最中に訪れる圧倒的な悲しみの大きさが、傑作の証拠だと思います
木下さんも実は死んでいたのではないのでしょうか
観るというよりひたすら耳を傾けていた。言葉のひとつひとつが重く心に...
観るというよりひたすら耳を傾けていた。言葉のひとつひとつが重く心にのしかかってきて苦しくなる。記憶が薄れていく原爆、戦争の恐ろしさを語り継いでいく大切を強く実感した作品だった。
来る
戦後を描いた映画の中で一番残酷でリアルかもしれない。遺品と主人公の記憶が相まって、原爆がどれだけ凄惨で愚かなことかが伝わる。ときめきと、ため息と、願いから生まれたという由縁が良い。宮沢りえの、決してうまくはないがピュアな演技が良い。とったんの広島の一寸法師は一番の名シーン。
あの葛藤は誰が思い誰に向けていたの?
遅まきながら今ごろ見たけど、ラストのオチで、頭の中がQuestionだらけになった。
生き残った地獄。生き残った懺悔。
幸せになってはいけない戒め。
見ていて苦しく辛くなった。
幸せになることが親孝行。死んだ父への追悼。と思っていたのに〜
この娘も亡くなっていたの?
じゃあ、誰が誰に向けて葛藤していたの?
解説が必要になる映画だったよ。
「母と暮せば」の次は「父と暮せば」に決まってるやろ(笑)ところでこ...
「母と暮せば」の次は「父と暮せば」に決まってるやろ(笑)ところでこの「暮らす」をわざわざ「ら」抜きの誤字にしてるのはなんか意味があんの?
おぉ、こちらは父がゴーストなわけね。浅野忠信がどっちにも大して意味のない役で出てるのが笑える。
原田芳雄と宮沢りえがすごい。戦争、原爆の悲惨さが胸に沁みる。
のだが、これって演劇やん、わざわざ映画で見る必要ある?まあ「父」「母」引き分けやな、そう思ったらラストシーンの超衝撃。これは「父」に軍配。ひとえにラストシーンの差によるものです。
以下ネタバレ、未見の方は注意。
宮沢りえが少し前向きになったかなと思った直後のこのラスト。
結局二人ともこの世のものではなかったってことですよね。
えっ!違うの?(笑)
やばいです。見るのが本当に苦しく辛くなりました。 それでも、観ない...
やばいです。見るのが本当に苦しく辛くなりました。
それでも、観ないといけない作品です。
あの日何が起きたのか、残された家族の苦悩、娘を思う父の愛。悲しかったです。
原爆瓦、広島の一寸法師の話は鳥肌がたちました。
母と暮らせば の後に本作を鑑賞しましたが、こちらは原爆の恐ろしさ、苦しみを後世に語り継がないといけないというメッセージ性が強くありました
(母と暮らせば より絶対こっちです)
舞台中継
宮沢りえと原田芳雄の芝居が圧巻。
現代の日本を代表する女優といってもよい宮沢の映画を観るのは、意外なことに初めて。若い頃のイメージで、こちらで勝手に「TVの人」だと決めつけていたことを恥ずかしく思う。自分と同世代の随一の映画女優である。
主演二人の素晴らしい芝居のおかげで、良い舞台を映像で見せてもらえた幸福感を味わえる。
しかしながら、井上ひさしの戯曲を映画にするからには、もっと映像表現で戦争や親子の情愛を語ってもらいたい。無駄にカメラが動くし、やたらと全てを照らそうとする照明も不自然。舞台中継の域を出ていない。
瓦礫に埋もれて動けない父親と、それを見捨てては行けない娘のじゃんけんの場面に、この映画に対する全ての不満を忘れた。
たった二人の会話劇なのに飽きずに一気に最後まで見られた。見応えあっ...
たった二人の会話劇なのに飽きずに一気に最後まで見られた。見応えあった。面白かった。原田芳雄が良かった。(「もっと早いうちからこういう役やってよ!おもろいやん!」と思た。)泣いた。今まで目や耳にした原爆関連の全ての中でこれが一番やと思う。心にズドンときたの。
良さがわからない
地元の劇団で舞台を観て良かったので映画を見たら宮沢りえの表情が乏しくて喜怒哀楽がわかりづらいので幻滅しました、元々嫌いな女優なのでそれがもろに出ていました。もっと他の女優さんにやってほしかったです。
(広島被爆者)父娘のファンタジー
ほぼ二人芝居…
それも舞台ぽい脚本だなぁと見ながら思っていたら
井上ひさしの舞台が原作だった(納得)
「おとったん おったんたん?」って感じで
以外と聞きにくい広島弁で
被曝してこの世を去ったお父さんが
幽霊として娘に寄り添うファンタジー♡
だが、ピカ!その時を回顧する語りは聞くも辛い
一人でも多くの人が見る機会を与えられますように…
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