ジョゼと虎と魚たち(2003)のレビュー・感想・評価
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アニメ版と全然違った内容だけど良い作品でした。
アニメ版を観てなかなか良かったので実写の本作を観賞。
ストーリーも雰囲気もキャラクターも全然違っていて同じタイトルの別作品だった感じ。
池脇千鶴さんがとても美しい。
上野樹里さんも雰囲気が違ってて良い。
妻夫木聡さんは今とあまり変わってない(笑)
江口のりこさんはお似合いのキャラ。
凄い役者さんが予想外に多く出演してて贅沢な作品。
実写だけにリアルな場面が多いい中、ジョゼが乗る乳母車が印象的。
乗ってる時の彼女がなかなか可愛い(笑)
恒夫がジョゼをおんぶするシーンが多め。妻夫木聡さんの体力凄いな(笑)
アニメ版の様な消化不良の終わり方ではなく本作は納得出来る最後だった感じ。
池脇千鶴さんってこんなに綺麗な女優さんだったっけ。
演技もセリフも良かったです( ´∀`)
【「死んだようなもん」と、まぜこぜの感情と】
田辺聖子原作の文庫本で30ページにも満たない短編「ジョゼと虎と魚たち」を読んだのは、ずいぶん昔に、この映画を観た後だった。
檻の中の虎はジョゼだと思った。
自由に外に出ることは出来ない。
好奇の目で見られるばかりだが、外の世界に向かって、何か怒りともつかない力強いエネルギーを蓄えている。
ジョゼは、作品中で、障碍者というより、ひとりの豊かな個性として描かれていて、そして、どこか逞しい。
恒夫によって、少しずつ外の世界に誘(いざな)われるジョゼ。
セックスも旅も。
映画には小説にはない登場人物も多い。
今改めて観ると、カナエ(上野樹里)だとか、息子(新井浩文)だとか出てて少し驚く。
そして、ストーリーは肉付けされていて、エンディングも異なる。
原作では、ジョゼが、他に誰もいない海底水族館の二人を、海底に取り残された「死んだようなもん」だと言う。
原作のジョゼの言葉は、独特で想像力に富み、とても暖かい。
「死んだようなもん」とは、二人きりで取り残されて、煩わしさなどなく、幸せという意味で言っているのだ。
足の不自由なジョゼは、幸福を天にも登るようなものではなく、海の底にいるようなものに喩えていたのだ。
原作で魚たちは、ジョゼと恒夫のことだと思った。
原作でジョゼは、いつか別れがあるかもというようなことを思い浮かべるが、そのまま、そう、「死んだようなもん」のままだった。
映画は、異なるエンディングだ。
映画は、現実も見つめるような物語だ。
どこか教科書的に社会福祉に意義を見出そうとするカナエと、流れの中でジョゼと生活を共にする恒夫の対比は、どこか僕達の生きる世界を冷静に見てるようでもある。
意義だけ突出してしまって、本当に望んでいるのか。
恒夫は、逃げたと言う。
恒夫は、確かにカナエのところに逃げた。
でも、ジョゼのことが本当に好きだったのだ。
実は、今でも好きなのだ。
まぜこぜの恒夫の感情は、恋愛について、どこに価値を見出すのか、分からなくなっしまったことがある僕自身に重なるところがある。
好きよりも安易な道をつい選んでしまう自分自身にも重なる。
台所の台から、勢いよく、ドンとお尻から降りるジョゼ。
下にドンと…。
一見、変わらぬジョゼ。
だが、ジョゼは、後ろ向きではない。
恒夫のSM趣味もユーモアに変えていた。
恒夫との別れを、前向きなエネルギーに変えようとしているかのようだ。
しかし、それも、なんか少し切なくもある。
映画には、別れのストーリーを加え、青春のほろ苦さや、甘酸っぱさも感じられる。
だが、原作も含めて根底に流れているのは、どちらかというと、偏見を受け流す若者たちの柔軟さや、強さや、優しさだ。
映画は、物語に別れを織り込むことによって、ジョゼを更にひとりの個性として見つめようとしていたのかもしれない。
原作も映画も、僕にとっては愛おしい作品だ。
アニメはどうなるのか、恐る恐るだが楽しみにしておきたい。
海底で転がる貝は何を思う?
暗く何もない世界ではなくて、
(世界のすべてではないが)いろいろなものを目にして、聞いて、喜怒哀楽、寂しさも含めて、さまざまな経験を心にとどめて生きていく。
それはつらいことに取りつかれて苦しさに覆われてしまうかもしれない。悲しみにおぼれるかもしれない。
何もなければ、何も経験しなければ、何にも傷つかない。けれど、光も、楽しみも、喜びもない世界。
どちらが、幸せなのだろう。
おばあさんは、傷つかせない方を選んだ。
ジョゼは、世界を知って、経験する方を選んだ。
若い男女の三角関係、恋物語。
それだけでも、主演二人の演技がピュアで繊細で、観る価値がある。
恋の始まり、相手へのうざったさ、別れの予感まで含めて、本当に息をのむ。
そして、そこにバシバシ挟まれる”障碍者”観。
昭和時代のような障碍者観(原作は1984年発表、おばあさん役の新屋さんと原作者は同い年)。
否、今だって表立ってはいないが、変わっていない面も多かろう。
「壊れもの」「世間の人に申し訳ない」と、祖母は、ジョゼは存在しないことにして、世間から隠す(来客があれば、押入れの小部屋に隠していたのだろう)。「壊れもの」=故障品という意味だろうが、途中から「心が傷つきやすい、壊れやすいもの」という意味も含んでいるように見えてきて、泣けてきた。
おばあさんなりに、ジョゼを愛していたのだろう。年取った体で、成人女性を、今の軽量タイプではない造りのしっかりした乳母車にのせて散歩する。DVDのコメンタリーで妻夫木氏が「重い」と言っていた。それをジョゼの頼みだからと、文句を言いながら、毎日散歩する。あの坂の多い場所を。
そして、数々の、ゴミ捨て場からの略奪品。服や大量の本、だけでなく、ジョゼが好みそうな調度類。どれだけの広範囲を物色しているのやら。
そして、福祉関係者の言動。誰もが、ジョゼを援助対象者としてしか見ない。けっして、恒夫の彼女とは思わない。
福祉の勉強をしているという香苗は、敵情視察に来つつも、あくまでジョゼを”援助対象者”として遇することによって、先制攻撃を仕掛ける。そして、プライドを傷つけられたのも、よりによって”援助対象者”として下に観ていた者に負けたから。
けっして、同等の者とは見ない。
そんな彼らに比べて、たんに胃袋をつかまれて、今まで周りにいなかったタイプの女の子に興味を持って、ジョゼに惹かれていく恒夫。
よくある恋の始まり。
だが、二人の生きてきた、生きている世界の違いが溝を広げていく。
ジョゼは、いつから学校に通っていないのだろう?祖母が拾ってきた、教科書を含む本で知識を蓄えてきた。でも、実物は見たことがない。
これが一生に一回の遠出、次はないかもと思うジョゼ。そういう思いならば、ジョゼの怒りも理解できる。映画公開時、今のように全部ググってリサーチできるわけじゃなかった。でも、いつでもその気になれば来られる恒夫にとっては、たんなるわがまま。「また、来ればいいだろ」の一言があれば解決なのに、その言葉すらでない。次があるのは恒夫にとって当然のことだから。
自家用車の助手席になんて乗ったことがないジョゼ。自分が発見した素晴らしいものを共有したいだけなのに。それをわがままに思ってしまう恒夫。助手席に同乗している人なら「こうあるべき」と比べてしまう…。
常に、一瞬一瞬の経験を逃すまいと真剣に生きているジョゼ。初めての体験だらけのジョゼ。だから、日常でないことには貪欲でわがままが出てしまう。保育園児と同じ。そして、いつ命が終わるかわからないという経験もしている。
ジョゼを喜ばせたい気持ちはあるが、すべてが日常の延長上にある恒夫には、ジョゼの「今しかない」が理解できない。命は永遠に続くもの。ジョゼは自分と同年齢の女性で子どもではない。
命令口調も、小学校高学年以降、友達付き合い等なく、祖母との二人っきりの生活なら致し方ない。
その差をどう埋めていいのかわからない二人。
そして…。
恋の三角関係を描きながら、障碍を抱えてどう生きるか、障碍を抱える人とどう生きているかとか、”生き方”についても、じわっと感じさせられた。
なんて書くと、まじめで固い映画を想像するけれど、そんなことはない。
公開時、池脇さんや江口さんの濡れ場が話題になったそうだが、
それ以外にも、これって必要?と言いたくなるようなエロネタが挟まれる。
他にも、荒川氏や板尾氏が独特の世界観を醸し出し、(笑)を誘う。
特にギャグの場面はないのだが、全体的に不思議な間があり、独特の世界観に引き込まれる。
そんな演出、役者もいいが、音楽もいい。
不器用な二人を包むような。
くるりはロックバンドと紹介されているが、ロックにありがちのシャウトとか、騒がしい音楽はない(私の偏見?)。後年、岸田氏が交響曲等のクラッシックを作曲されるが、それを彷彿とさせる。
原作未読。DVDのコメンタリーで、監督が「原作と同じセリフは一か所だけ」とおっしゃっていた。設定をつくっての、アドリブ演技が多かったようだ。
サガンも未読。読んでいたら、もっと理解できたのかな?
『ジョゼと虎と魚たち』
奇妙な題名。
この世で一番怖いもの=虎。他にも候補はありそうだが、ライオンは群れで暮らすが、虎は単体で生息するという。
魚。群れで暮らす種、寄生・共生する種もいれば、単体で暮らす種もいる。
鑑賞後に思いを巡らすと、この題名に余韻が重なる。
おっぱい
ジョゼは魚達と深海へ転がる映画。
男性的主観が強いと思います。
女性からしたら本気で惚れた女の子を捨てて元彼女を選ぶんかい!って思うと思います。
主人公の葛藤 最後の涙 そしてくるりハイウェイ。
10代で見たら10年後見てください。歳とったら短調でつまんない映画、けど思い出す映画は記憶に残るかも、その時の情景も、しらんけど。
ぜひ冒頭のシーンを見返して下さい
本作は障害者問題とか、福祉がどうだとか
それは本当のテーマではないと感じました
本作のテーマはあくまで恒夫とジョゼの恋愛物語だったと思います
冒頭の旅行写真を見返すシーンがとても気になります
恒夫が誰に説明しているのでしょうか?
香苗?まさかのノリコ?男友達?
とにかく彼にとりもう済んだ話になっています
傷ではない、単にちょと昔こんなことがあったと懐かしく思い出せること
だからジョゼの障害が負担で捨てたとかそんな話では彼の中ではなってはいないのです
男と女が別れる
男が女を捨てる、その逆もあります
愛がなくなったから別れる
愛しているから別れる
他に好きな人ができたから別れる
様々です
このように思い出になる良い別れ方は、そう無いと思います
別れた傷が、双方に、あるいはどちらかに残るものです
自分が傷つかなくても、相手が傷ついている場合が殆どです
冒頭のシーンは恒夫は傷ついていません
ラストシーンはジョゼが逞しく生きていることはわかりますが、心に傷が残ったのかまではわかりません
でも、本編を観てきた観客は知っています
ジョゼが傷ついているのなら、恒夫がこんな風に思い出を語れない人間であることを私達は知っているのです
対等に別れたから、恒夫はこんな風に自然に思い出を振り返ることができるのだと思います
あの旅行はそもそも恒夫の実家の法事にジョゼを連れて行って、両親や親戚に紹介する事が目的だった筈です
ジョゼは当然それを知っています
浮き立って一週間前から持ち物リストを点検していたくらいです
もちろん、旅になぞ子供のときから一度も出たことが無い彼女ですから、旅自体が興奮することなのは間違いないことです
でも、あくまで恒夫の家族に紹介されにいくのだと言うことは頭の先頭にあるのです
なのに、彼女は寄り道をさせるのです
法事に間に合うとか間に合わないとか、全く考えずに水族館に行きます
さらに海に寄れと時間を潰させて、日が暮れたらせっかくだから温泉付きの旅館に泊まって行こうということになってしまってます
結局海底をモチーフにしたラブホテルに泊まります
後から思えば、ジョゼのそこでの言動は明らかに別れの言葉でした
何故にジョゼは車椅子を拒否していたのでしょう?
恒夫におんぶさせて、如何に自分が彼の人生に負担になるのかを実感させる為だったと気がつきました
水族館には本当にジョゼは行きたかったのだと思います
ところが偶々休館日でした
彼女は激しく憤ります
何でわざわざ遠いところからきてやったのに!と
その時ジョゼは、結婚を諦めたのだと気がつきました
「息子」に結婚やろ!と言われた時に、「アホか、そんなことあるわけないやろ」と応えた彼女でしたが、この時が本当に彼女が結婚を諦めた瞬間だったのです
恒夫に結婚はお互いに無理なことをわからせたかったのですが、できずに、今日のこの日を迎え、ここまできてしまったのです
恒夫が自分を愛して障害を乗り越えて、本気で結婚しようとしていることを確かめただけで、彼女はそれで十分満足だったのです
水族館で時間を潰させて法事に間に合わないようにしたかったのです
恒夫は一緒に実家に行こうとジョゼに言ったとき、口に出してプロポーズしたわけではないようです
なし崩し的に結婚に向かっていくようなことで考えていたようです
そんな結婚はどこにだってあることです
ズルいとかそうでないとかということはありません
だからジョゼは実家に行けばそうなることをわかっています
でも彼女は最初から結婚を諦めていたのです
恒夫に調子を合わせておいて、本当は旅行に行きたかっただけです
少しだけ本気かどうか確かめたかったのかも知れません
最初からジョゼは恒夫との最後の思い出づくりの旅行のつもりだったのです
恒夫も目的地が近づくにつれどんどん気が重くなります
同時に、ジョゼの気持ちも察したようです
水族館の休館日を見て時間を潰せなくなり、とうとう二人は結婚を諦ると決断したのだと思います
それがあのトイレのシーンなのだと思います
虎
それはジョゼの空想する異性
自分を支配する強い男
だからいつか好きな男と虎を見たかったのです
魚たち
ジョゼは海底の深い暗い底に暮らしていました
そこには魚たちも貝もあって、本当は賑やかなのです
何度も読み返す古本、散歩で見る花や猫
ずっと彼女はそうして生きてきたのです
ラブホテルの枕元のスイッチを入れたらミラーボールのように魚たちや貝が部屋中に泳ぎだしました
そのように、恒夫との思い出はジョゼの真っ暗な海底を、キラキラと光が煌めく魚たちが泳ぎ回る楽しい光景にしてくれるはずなのです
結婚しないと決めた男女なら、そのうち別れることになるのは当たり前です
別れた男が、昔の女と寄りを戻すことも普通です
別れる理由は確かにジョゼの障害の重さです
ジョゼは車椅子を使わせずその負担の重さをおんぶさせて恒夫に分からせました
恒夫は一生その負担を背負える覚悟までなかった事を知りました
また、それを乗り越えていくだけの激しい燃え盛る恋愛ではないことは二人ともわかっているのです
それを彼は逃げたと表現したのです
だから恒夫は泣いたのです
好きなことは変わらない
でもそこまで愛してはいない
彼の誠実さが伝わり心を打ちました
これこそが本作のテーマなのだと思いました
ジョゼは終盤で電動車椅子で買い物帰りのようです
あの乳母車みたいな猛スピードです
ラストシーンは恒夫の荷物がなくなったジョゼの家です
でもあの布団はそのままです
彼女は逞しい女性です
真暗い深い深い海底で暮らしている自覚はありますが、虎と魚たちを恒夫は見せてくれました
その思い出をあの拾った古本のように何度も何度も何度も思い返しているのだと思います
恒夫との思い出は良い思い出なのです
「それもまたよしや」
「我々はまたもや孤独になる
それでも同じことなのだ
そこにまた流れ去った1年の月日があるだけなのだ
ええ、わかっているわとジョゼが言った」
ジョゼには、両足をポプラの木の幹に立てかけることは出来ません
でも本の世界ではできるのです
魚の焼き加減をじっと見定めるジョゼ
時間はなんぼでもある
そして恒夫もまた冒頭のシーンのように良い思い出となったのです
だから対等の男女の別れだったのです
素晴らしい男女の出会いと、そして別れの物語だと思います
ぜひ冒頭のシーンを見返して下さい
素晴らしい希有な傑作に出会えた幸せを感じました
ちょっと凄くない?妻夫木聡の涙
妻夫木聡の失恋後の泣くシーン、あれは名場面でした。たまりませんでした。
妻夫木の俳優としての実力を知った映画でした。
おばあちゃん役の新屋英子は一人芝居(身世打鈴・しんせたりょん)を見たことがあります、社会の底辺の苦労人の役をやらせたらピカ一。
池脇千鶴は、ハマりました。
「ここのみにて光り輝く」でも唯一無二の演技を見せてくれて以降僕は大ファンになりましたね。
アニメ版「ジョゼ」は?
見たくないなぁ。
生きてるだけで愛 のあとに見たジョゼ
生きてるだけで愛は突かれたくない辺りを掻き回す感じでジョゼは見切りを知りつつ光る愛を大事になでなでしてる感じだった。
終わりが見える。けど愛してる ものと
愛してる。けど終わりを選ぶ。 もの。
2つの作品を見たあとだと、離れることの意味も、2人でいることの意味も
同じ強い愛なのに、帯びるものが全く違ってみえた。
愛のかたちとして、ジョゼの方が見ていたい感じがした。
けど、私は多分未熟なこともあって、
突かれたくないところを突いてくれた感じが、ありがとうというか。価値観にパンチが入った感じがしたので、
生きてるだけで愛の方が記憶に深い作品になったかなー、自己投影したときにたくさん飲み込めた感じ。
ただずっと先色んな経験してもう一回見てみたいと思うのはジョゼかもしれない
男目線
女性身障者との交際
思考回路、行動、話のなりゆき…かなり男性的に感じた。
フィルムカメラで撮影した写真をパノラマに重ねて時間の経過を表す特徴的な方法が懐かしさを感じさせた。
最後はあっさりと見せかけて少し切ない
現実的な終わり方で、いち女性の意見からしては少し物足りないなと感じた。
こわれものにインパクトあり
祖母に『こわれもの』と呼ばれ、外との接触を最小限に留める池脇千鶴演じるジョゼと、妻夫木聡演じるちょっとチャラチャラした主人公の大学生。この二人がひょんなことから付き合い、同棲し始める訳だが、最後の最後、踏み切れずに(親に紹介できずに)逃げてしまう主人公の葛藤。う〜ん、これは何とも言い難い。気持ちは分かるような気もするが。
それにしても、上野樹里は、随分大胆なベッドシーンを披露したな。ちょっと驚き。
きれいな映像だ
妻夫木聡の輪郭がぼやっとしてる感じがいい。
池脇千鶴のむすっとしてるけど笑ってる表情がいい。
脇キャラのわざとらしいけど馴染んでる感じがいい。
魚の館、、、行ってみたい。笑 貝殻のベッド.......
これがかの有名な…
なんだか重いんですよ
さらりとしてるのに重い
全く湿っぽくないんです
でもどこかにひっかかる
両者の気持ちが痛いほどわかるんですよ
たぶん分かりきってはいないのだろうけど
二人とも素直に言葉に出さないのに
それでも伝わってくるんです
上手いんですよ
表情だったり言葉の速度だったり
池脇千鶴がもう可愛くて仕方ない
喋り方から気取らなさからツンデレ具合まで
好きな人は好きだよね
この映画の障害の扱い方も嫌らしくなくて、そのまんまだからリアリティがあって、かといって悲観的でもないという
こんな言葉で並べ立てるのももったいないくらいの映画でした
全54件中、21~40件目を表示