「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」映画ドラえもん のび太と鉄人兵団 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ
ドラえもん映画をひたすらマラソンし続けているが、本作以上のものが出てくる気がしない。名作と呼ぶに相応しい一作だ。
「逆世界入りこみオイル」と「おざしきつりぼり」の合わせ技によって開陳される鏡面世界の不気味さといい、ロボットがパーツ単位で野比家に転送されてくるという物語の盛り上げ方といい、リルルとしずかを軸としたヒューマニズムといいどこを取っても白眉の出来だ。
スネ夫の従兄弟が作ったロボットの玩具を羨ましがったのび太は南極に落ちていたロボットの脚部のようなものをドラえもんからの贈り物と思い喜ぶが、ドラえもんは「知らない」と首を傾げる。
それはそうと次々に転送されてくるロボットのパーツを部屋に置いておくわけにもいかず、ドラえもんは「おざしきつりぼり」に「逆世界入りこみオイル」を垂らすことで無人の鏡面世界を作り出し、そこでロボットを組み立てる。
欠損していた頭脳パーツを未来デパートで購入したもので補填するや否や、のび太の司令通りに動き出す巨大ロボット、名付けてザンダクロス。のび太はザンダクロスの勇姿を見せつけるべくしずかにもザンダクロスを操縦させるが、謎のボタンを押したところミサイルが発射され、ビルが粉々に砕け散る。3人はザンダクロスが玩具ではなくれっきとした破壊兵器であることを思い知らされ、ザンダクロスの存在を口外せぬよう決意する。
しかし数日後、のび太のもとにリルルと名乗る謎の少女が現れる。ザンダクロスが自分の持ち主だという彼女にのび太はおざしきつりぼりを貸し出すのだが、それによって事態は急変する。
その後、のび太とドラえもんは再び鏡面世界に入るのだが、そこには大量のロボット兵とその基地が造設されていた。リルルは地球人捕獲作戦を遂行すべくロボットの惑星から送り込まれた指揮官だったのだ。リルルは鏡面世界にやってきたのび太とドラえもんを発見するなりザンダクロスで彼らを追うが、その際無理やりおざしきつりぼりから出ようとしたせいで次元震による大爆発が起きる。
なんであれロボットたちを鏡面世界に閉じ込めることができこれにて一件落着…と思いきやそうはいかない。欠損していたはずのロボットの頭脳パーツはまだ現実世界にあった。南極で脚部パーツを拾った際についてきた鉄球のようなものが実は頭脳パーツだったのだ。
頭脳パーツ曰く、既にロボット惑星・メカトピアから地球に向けて大量の鉄人兵団が地球に向けて発進したという。ドラえもんたちは図らずも地球防衛の重大任務を果たすこととなってしまった。
他方しずかは次元震によって気絶したリルルを偶然発見し、自宅で匿う。彼女の傷口から覗く精密機器を見てしずかはリルルがロボットであることを知る。目覚めたリルルは「なぜ敵である自分を助けるのか」と憤慨するが、しずかは微笑みながら答える。「ときどき理屈に合わないことをするのが人間なのよ」。
しずかの優しさに触れたものの、任務遂行のためしずか宅から逃げ出すリルル。すると今度は銃を持ったのび太に出会う。そこでリルルは笑顔を浮かべる。まるで自分自身を罰してくれる誰かの存在を待っていたかのように。しかしのび太は撃てない。リルルは表情を曇らせその場を去る。この一連のシークエンスの緊張感は本作の中でもきわめて印象的だ。リルルの揺れる心を表情の機微によって巧みに表現している。
鏡面世界の基地に着いたリルルは本国の司令部に地球人捕獲作戦の中止を要請するが聞き入れられず、逆に基地内に幽閉されてしまう。ほどなくドラえもんたちに救出された彼女は「私を閉じ込めて」と懇願し、しずか宅に待機することとなる。
いよいよ地球に迫る鉄人兵団。彼らの攻撃が現実世界に及ばぬよう、ドラえもんたちは山の中の湖面に逆世界入りこみオイルを垂らし、そこへ鉄人兵団を誘導する。全てを鏡面世界の中だけで完結させようという背水の陣だ。
鏡面世界の中で決死の奮闘を続けるドラえもん、のび太、スネ夫、ジャイアン。しかし多勢に無勢。ドラえもんたちは窮地に陥る。
一方でしずかとリルルはとある作戦を思いつく。それはタイムマシンで過去に遡り、メカトピア最初のロボット・アムとイムを作り出した博士に善の心をプログラムするよう懇願することだった。
博士は未来の惨状を聞き入れるや否や、アムとイムに善の心をプログラムする。しかしそれによって歴史改変が起こり、ドラえもんたちを追い詰めていた鉄人兵団は霧のように消える。しかし同時にリルルの存在もまた抹消されてしまうのだった。
戦争が終結し、歓喜するドラえもんたち。そこへしずかが合流する。4人の笑顔とは対照的に、しずかだけが寂しげな表情を浮かべ遠くを見つめていた。
あらすじだけでもこれだけ長くなるような込み入った脚本にもかかわらず、何が起きているのかは誰でも容易に理解できる作りになっているあたり芝山努の力量が窺い知れる。
ドラえもん映画の弱点といえばフリの巧さに対するオチの弱さだが、本作は抜け目がなかった。ラストシーンのしずかの表情が本作の勧善懲悪に留まらない射程の広さを雄弁に物語っているだろう。それにしてもしずかは前作『宇宙小戦争』と本作で株を上げまくったのではないかと思う。
勧善懲悪からの脱却という点に関しては本作以降も秀逸な作品が多い(『雲の王国』『創世日記』など)が、その先鞭をつけたのは明らかに本作であることに疑いの余地はない。しかもそれをあくまで「小児映画」「教育映画」のフォーマットで実現してしまうのだからすごい。
心のないロボットたちとの対比としてドラえもん陣営につくロボット玩具・ミクロスの存在も大きい。『海底鬼岩城』のバギーを彷彿とさせるほどの人間臭さ、コメディリリーフぶりが暗澹とした物語世界にいい塩梅で光をもたらしていた。