阿弥陀堂だよりのレビュー・感想・評価
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映像美とリアルな人間関係の描き方が秀逸
長野の村を舞台にしたストーリーで起伏に乏しいが、それでも引き込まれる。それは、都会の喧騒を離れた村でのゆったりとした時間の流れや、温かい人間関係がリアルに描かれていて、心に染みるからだ。
また、全編を通じて映像美が素晴らしい。長野の山林や渓流といった豊かな自然を、四季に分けて映し出す。そういった映像がストーリーと合わさって、静謐な時間が流れる良作。
懐かしい風景に巡り会うことができた
23年11月下旬、BS260で視聴。封切時に、劇場で見たはずだが。
原作者は、医師と作家の二足のわらじを履くが、医師として肺がん患者の末期を看取る日々に耐えられず、パニック障害を発症する。それが、作家としての著作に反映する。この映画では、原作者はパニック障害を発症した医師である妻と、それを見守る作家の夫に分離され、それぞれを映画界を代表する俳優たち、寺尾聰と樋口可南子が演ずる。スタッフは、基本的に黒澤組、強調すべきは、衣装協力として名を連ねる黒澤和子さんか。音楽は、加古隆。
ただし、映画としては、良いところを詰め込みすぎた感があり、部分的には、黒澤の晩年作の続編を思わせた。
ところが映画が終わる前から、私は不思議な感じに包まれた。私の二人の子供が生まれた頃のことを想い出したのだ。出産のために帰省した家内の実家を、私は何度か訪問した。その頃の私は、どのように生きたらよいか見出す前で、苦しみも多かった。しかし、今は成長している二人の子供の出産前後に、家内、生まれてきた赤ん坊、下の子の出産の時に付いてきた上の子に会えたことは、この上ない喜びだった。随分、元気が出て、日常に戻ることができたように思う。しかも、それが再出発するための勇気を与えてくれた。
ではどうして、この映画を観て、そんな昔のことを想い出したのだろう。
二つ、考えられる。
一つは、何と言っても、夫の恩師の妻役で、あの「東京物語」の香川京子が出ていたこと、長身で立ち居振る舞いが美しかった。
もう一つは、長期ロケを行った奥信濃の飯山の情景。信濃では、昔からある程度、年を取ったら、山に帰る風習があった。撮影のため、彼の地に建てられた「阿弥陀堂」の場所は、「山」と「里」の境界(あわい)に当たるように思われた。雪が「山」から「里」に降りてきたときの情景が美しかった。雪を背景として、映画の役柄の上だけでなく、自身の生涯をかけて老婆を演じた北林谷栄の存在感と演技が光った。
私たちが、もう失ってしまった、自然の中で人々が静かに生きて行くことの意味が、年齢を経て、再びこの映画を見る機会があった私に、伝わってきたのだろう。
私にとっては、大変、貴重な時間になった。
疲れたと感じたら
じんわりと心にしみてくる
優しい映画です。
日々忙殺されて
人間らしい生活というものを
忘れている
都会の人たちには
すばらしい楽園のようにも
感じられることでしょう。
お年寄り何人かに話を聞いて回る
そのシーンで登場されてたのは
ロケ地に住んでらっしゃる
まったくの素人さんだろか?
自分の祖父母の世代は
それこそ大変な思いを乗り越えてきているわけだが
あまり言わない。
それはこの映画の中のセリフにある
思いからなのかもしれない。
でくのボウと言われるそんな人間になりたい
同じ様な年齢の子供が12人以上いる。二人兄弟一組だとしても、この子供達の親は六組、つまり、12人の親がいる。だから、少なくとも、24人以上の若者がいると言うことだ。ただの高齢村とは言えない。また、老人は96歳が最高齢だとしたら、沢山の老人がご存命なはずで、この村の総人口は少なくとも120人以上になる。
だから、
この村が無医村な訳がない。しかし、果たして、 20年前の話だから、今はどうなっているのだろう。
この当時の老人は全て亡くなり、子供達の親たちが、僕と同世代として、残っているだけだ。つまり、最低、6組12人の老人がいるだけ。この主人公夫婦は団塊の世代で、この村の頂点なはずだ。つまり、今の日本と人口形態が同じで、総人口は精々20人だと思う。
さて、PLAN75がよく似合う村なのだが、もし、PLAN75実行すると、この村の人口は一体何人になるのか?最低、12人から0人になる。100人以上いた人が、20年もすると、12人になる。さて、PLAN75にサインすべきなのだろうか?そして、賢明な鑑賞者は理解出来ると思うが、高齢者社会だけが問題なのでは無く、子供が少ない事が問題なのである。12人以上いた子供が全て都市に流失している。実態を無責任に予想しているが、当たらずとも遠からずなはずだ。
田舎が、自然豊かな良い所である事は理解出来るが、それは金があるから成り立つ生活。
だから、この映画は東京の矛盾を言っているに過ぎない。何で『お神楽』なのか?若者がこの『お神楽』の良さが理解出来る訳がない。経済が若者を引き付けていないのだ。この地では生活が困窮する経済なのである。
『でくの坊と言われるそんな人間になりたい』
と言っているわけだから、言っている本人は自分が『でくの坊』と自覚している。それが宮沢賢治の凄い所だ。逆にこの映画はそれを分かっていない。
『田舎に引っ越す医者は落ちこぼれ』ってハッキリ言っている。昔から存在するインテリなリベラリストの考え方だと感じる。
『気』を語る。『気』など無い。それは科学が証明している。そして、それを東洋医学の真髄としているが、それが東洋医学がオカルト医学から脱せない証拠。
つまり、『幽霊がいる』『宇宙人がやって来る』『奇跡が起こる』『気功』『占い』などなど、それらが現在社会の断片を象徴している。現代社会を堅固な物にしているとは思えない。逆に、脆弱な行き当たりばったりな社会にしてしまっている。
やっぱり、原作者は医者か!医者は死を沢山経験しているだろうが、死んだ事が無い。だから、死を経験した人数で掛け算する価値観は大変に閉口する。ご自分の病気の経験を前面に出せば、良い作品は書けると思う。但し、売れるか売れないかは分からない。
小学校唱歌のような映画
主人公二人が小学生の子供たちを鬼ごっごや縄跳びをして遊ぶシーン、微笑ましいととるか?私はこんなのありえねーと思ってしまう。しかも子供たちが「夕焼け小焼け」の歌を歌いながら帰っていくなんて、映画の中でしかありえない。大人が思い描く子供たちの姿だろうけど、いつの時代のはなしなのか。
また、声の出ない少女が肺炎になり、その治療を行うことになったとき、素手で呼吸のバッグをバグバグさせていたけど、素人ながら手袋しないの??って思ってしまった。
それに診療所の先生がほかの病院でメインでいろいろと指示したり、本当にそんなことあるかな、じゃあ、この人がいなければその若い先生だけで対応していたのかとか。
もちろん、彼女が本来は有能でそういうことができる人で、自信を取り戻していく、という描写かもしれないけど、それなら診療所での診察でいろいろな患者さんとの間で自信を取り戻していく、という過程にしたほうがよほど自然な感じがする。
伝統の邦画スタイル
人生や心情を丁寧に表現しようとし、山里の四季の美しさを絡める。淡々と静かになるべく自然に演出する。良いも悪いも日本映画の特徴。そして何かほっこりする、そんな映画。
余韻は、むしろ松竹・小津のスタイルに近いかなあ?
北林谷栄
2020年1月26日
#阿弥陀堂だより 鑑賞
日本の原風景のような田舎の生活、そこに暮らす人々、とりわけ、老女と病に侵された若い女性の交流、癌に侵されても心は健康な恩師の暮らしなど、ゆったりと時間の流れるステキな映画でした。
#北林谷栄 さんの自然体の演技がよかったですね。
真の主人公は婆さんである。さしずめ阿弥陀ババア(笑)北林谷栄の演技...
真の主人公は婆さんである。さしずめ阿弥陀ババア(笑)北林谷栄の演技力がすごい。
冒頭、協力 浄土宗ってのを見た時に嫌な予感がした。何も起こらぬゆるゆる系、1時間が過ぎやっと来たと思ったら大事件の割にはなんともあっさり。
あまり気張らずに生きていこう、ということか。
樋口可南子が風景と同じくらい美しい。昔◯ー◯写真集持ってたな。物言わぬ小西真奈美もかわいい。でも最後しゃべったよな、どういうこと?
偽の主人公寺尾聡、ありゃもうただのヒモじゃん。普通なら強烈な自虐に苦しむかも。私は喜ぶ(笑)
日本の四季
日本の四季の美しさを堪能できる作品だ!効果音も素晴らしい。春は小鳥のさえずり、夏は蝉の鳴き声(しかも、ミンミンゼミ、蜩、ツクツクホウシを順番に登場させている)等、絵と音で観客を魅了する。長野の自然は美しい。段々畑と遠景の山々。日本の良さを見せつけてくれたのだ。 また、生きること死ぬことの意義を爽やかに教えてくれる。「良い死に方というのは良く生きるということ」なんて人生訓のようだ。
俳優陣の演技も素晴らしかった。特におうめ婆さんの北林谷栄、絶品でした。口がきけない役の小西真奈美もよかった。
気になる点もあった。浄土宗の宗教色が出過ぎていることと、結局は長寿こそが生きる価値であるかのような主張。これはストーリーの中で相反するようであった。
眠くなるか味があるか、と意見が分かれるところ。 自分としてはそこま...
眠くなるか味があるか、と意見が分かれるところ。
自分としてはそこまでの感情動かされるほどではなかった。
ただ、とても丁寧に作られているのがよく分かる。
季節・それぞれの感情・相手を思う生き方、それが画面によくあらわれていた。
地域の人のココロの拠り処とする阿弥陀堂を守りするばーちゃん。
それは昔ながらの近所付き合いが残る地域であるが、そういう光景は今はかなり少なくなったのでは。
信仰は個人の自由であるが、地域で根付いてきたものを風習(祭り)とともに大切にしている光景は忘れてはならない。
いいお湯・・遠くを見ることなんて忘れてた
映画「阿弥陀堂だより」(小泉堯史監督)から。
寺尾聰さん、樋口可南子さんの夫婦役を軸に、
おうめ婆さん役の北林谷栄さんなどが加わり、
なんともいえない、ゆったりとしたリズムが全編を包む。
さらに、喉の病で喋ることの出来ない娘・小百合役を演じた、
初々しい小西真奈美さんが、おうめ婆さんから聞いた話を
「阿弥陀堂だより」として文字にする設定は、まさしく私好み。
タイトルの「阿弥陀堂だより」は、作品の中では「5作」。
どれも素敵な文章で、甲乙つけがたいので、紹介は後日。(汗)
気になる一言は、冒頭、樋口可南子さんが露天風呂で呟くシーン。
本当に気持ちよさそうに、そしてリラックスした感じで
「いいお湯・・遠くを見ることなんて忘れてた」。
お湯に浸かりながら目の前に広がる信州の遠景。
どれほど、彼女を癒しただろうか、と羨ましくなった。
自分を振り返ると、たしかに最近、遠くの景色を見ていない。
遠くを見る、それだけで緊張感がとれることを、
この台詞で思い出された。
木版画家・前田光一さんが作り出す風景とそっくり、
そんな視点で眺めてしまった。
さすが、長野県。派手さはないが、久しぶりの「秀作」だった。
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