日本鬼子(リーベン・クイズ) 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白のレビュー・感想・評価
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チャン○○だから、命令だから、度胸がないと思われたくないから
2001年という少し前の作品であり、既にDVDも出ているようだ。
単に、日本軍の残虐行為を暴くだけの映画だろうと思って、観に行く気にはなれなかったのだが、意を決して行ってみると、今まで分からなかったことがいろいろと見えてきた。証言の質が、ひと味違うのだ。
証言者の多くが、現在は亡くなっているかもしれないことを考えれば、ギリギリ間に合ったタイミングで作られた作品だ。
本作は、2時間40分ものあいだ、証言映像をひたすら並べて作っているドキュメンタリーである。証言は、伝聞ではなく、証言者自身が行い、経験したことだけに限定しているという。
14人の中には、憲兵と軍医と731部隊の少年隊員が1名ずつで、正確には分からないが、支那派遣軍が多く、関東軍も数名いる感じだ。
なお、証言の合間には、満州事変あたりから、日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく時局の推移の解説がたびたび挿入されて、歴史の勉強になるが、証言の中身とは無関係だ。
証言の内容は、通常の戦闘行為と見なすことはできない状況下での、無抵抗な人々に対する非道な行為に関するものがほとんどだ。あたかもデパートの“陳列”のように、あらゆるケースが一つ残らず暴露されているように思える。
銃剣で刺し殺す新兵の訓練「肝だめし」は、何度も言及される。そして、「放火」。現地調達のための「略奪」。「レイプ」やレイプ殺人。奴隷狩りを思わせる「強制徴用」。731部隊の生物兵器開発や、軍医の手術トレーニングのための「生体実験」。そして、飢えによる「人肉食」。
その他、日本の製薬会社やM財閥の関与も明かされる。
最初は目が回りそうなったが、しばらく観ていると、個々のケースの背後に、3点ほどの共通した特徴があることに気が付いた。
(1)チャンコロ(中国人に対する蔑称)だから
神国日本の人民とは異なる劣った人種として、人間扱いされていない。最初は国境を越える“人道主義”的思想を持っていた兵士でも、軍隊という組織の中で、速やかに人間性が失われ、残虐行為をしてもイヤな気分がする程度になってしまう。
例えば、ある兵士は女性を殺した後、「女子供には手を出すな」という母親の言葉を思い出して困惑する。中国人女性は“チャンコロ”にすぎないが、日本の母親の言葉には、“人間”としての重みがあるのである。
(2)命令だから
命令は、兵士にとって、剣にも盾にもなる。「何も、ここまでやらなくてもいいのに・・・」という証言が多く出てくるが、やるせないこともあっただろう。しかし一方で、命令なのだから、自分の良心は痛まない。「やれ」と言われたのでやった、必要だからやったというエクスキューズができるのである。
そのため、軍にとって役立つことなら、何も考えずに実行できる残虐な機械と化してしまう。例えば「女は殺せ、子供を産むから。老人は殺せ、どうせすぐ死ぬから」という指令さえ出ていたようだ。
(3)度胸がないと思われたくないから
ニュアンスはいろいろ異なるが、この種の証言は多く出てくる。仲間外れにされるから、積極性を見せないと“出世”できないからといった、“競争意識”が働いていたという衝撃的な内容だ。
本作品の特徴を挙げるとすれば、この点を生の証言映像によって、しつこく暴いたことではないだろうか?
兵士は、上記(2)のような受動的態度ではなく、自らの存在意義を示そうと、通常の戦闘行為の領域を超えて、積極的に非道な行為に加担する。兵士全員が、そういう競争に置かれれば、連鎖反応によって非道な行為が拡大生産されるのだ。
これはおそらく、暴力支配に伴って普遍的に生じる“隠された”狂気で、中東でもアフリカでも、世界中の紛争地域において、現在進行形で起きていると思われる。
日本的な文脈で想像すれば、「どうだお前、ちょっとやってみんかい」、そんな声が聞こえてくる気がする。あるいは、戦場の“モーレツ社員”がいたかもしれない。
上記(1)~(3)に関して、印象的な証言が各々1つずつあった。
(1)母子を殺す兵士
子だくさんの母親が命乞いをしたが、兵士は「チャンコロのくせに、良い思いして子供作った」と、皆殺しにしたという。
階級の低い末端の兵士でさえ、権力を持ったとたん、かくも残虐になる。
(2)レイプする兵士
非戦闘員に対するレイプは、表向きには軍法会議の対象であったらしい。だから、部下が中国人女性をレイプしても、小隊長は自分の監督責任になるので黙認するしかない。その結果、部下はやりたい放題になる。
とはいえ、レイプした兵士も、誰にも言えない。命令ではないのだから、“自分の責任”になって、エクスキューズができないのである。この証言者は、帰国後、本作のインタビューの前には誰にも言ったことがなかったという。
(3)実戦経験のない小隊長
新しく赴任した若い小隊長は、百戦錬磨の部下たちの異常な目を見て、自分は彼らを指揮できるのかと恐れをなした。
しかし、“訓練”として中国人の首をスパっと切った時に、「下っ腹にズシッと自信が芽生えた」という。それ以来、もはや部下に臆することなく、小隊を指揮することできたと語る。
日本の降伏後、証言者を含む中国拘留者は、撫順や太原の戦犯管理所に収容された。
そこでは、温情ある人道的扱いを受けたという。戦犯裁判では、1000余人中、起訴されたのは50人程度で、起訴されても最大で20年の禁固刑で釈放され、日本に帰国することができた。
しかし、日本帰国後は、公安に監視され、就職も満足にできなかった人が多かったという。
さて、結局のところ、この映画の意図は何だろうか?
通常、兵士は自分の経験を語りたがらないという。しかし、本作の証言者は、いずれも語り馴れているかのように饒舌である。ある証言者は泣き出し、ある証言者は複雑な薄ら笑いを浮かべながら語る。
生きて日本に帰してくれた、中国に対する恩義や感謝があるのだろうか? Wikipedia知識にすぎないが、実際、戦犯管理所では思想の「改造」が行われたという。
ソ連や中国で抑留されていた彼らの証言は、「共産主義に“洗脳”された人間の話」として、真面目に受け取らない人も多いようだ。
なお、映画タイトルにある「実に憎むべき、わたくしであります」というのは、本作での証言ではなく、中国の戦犯法廷での日本軍の中将の発言であり、ややミスリードだ。
ただ、自分としては、嘘だと思える証言は無かった。戦犯管理所で思想「改造」が行われたとはいえ、証言は釈放後、少なくとも数十年以上経った時点で行われているのだ。
史実ならば、無かったことにはできず、謙虚に向かい合わなければならない。
また、残虐行為が生まれる“メカニズム”を、雄弁に教えてくれる映画でもあった。
責任逃れをするわけではないが、やはり戦争における行為というのは、“個人”の問題に帰することはできないと痛感した。証言者は、内地では決して暴力組織の成員だったわけではない。
本作における問題の根本は、国家主義であり、全体主義にあったと思う。国家の意思が最優先され、自他を問わず人命を軽んずる中では、兵士が最低限の人間性さえ担保するすべがない。
自国内でしか通用しない手前勝手な論理ではなく、個人の尊厳や自由・平等・博愛という、「国家を超える価値観」を、国家自身が表明し運営していくことが不可欠だ。
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