「松林宗惠戦争作品の集大成」連合艦隊 五社協定さんの映画レビュー(感想・評価)
松林宗惠戦争作品の集大成
学生時代から8/15が近付くと戦争映画をみることを毎年の常にしているが、数多くの作品の中で、この作品ほど
“先の戦争の全てを俯瞰的に、しかも市井の市民の戦争”を綺麗に綿密に描ききった作品はないだろう。
好戦派や非戦・反戦派、いずれが見ても心に残る言わば『中戦』と言うべき作品なのは松林宗惠監督と脚本の須崎勝彌さんと言う本当に戦場に赴いた人が描いた戦争映画だからと言えよう。
台詞に数多く印象的な言葉が散りばめられ、主要出演者各々の見せ場が悲劇的で物悲しく、戦争の無常を切々と訴える。
主人公は山本五十六役の小林桂樹であるものの、前半で戦死し、中盤はレイテ沖海戦で囮を引き受けた小沢治三郎役の丹波哲郎が芯ある司令として、後半の大和出撃は伊藤聖一役の鶴田浩二が優しく物語を引っ張るが、何より、下士官上がりの海軍軍人の一家である小田切家と、内心は戦争に複雑な思いを抱えながら二人の息子を戦死で失う本郷家の視点で物語全体が進行していき、それは戦争を生きた全ての家庭に何かしらの想いを込めた作風とも言える。
小田切家の父親(財津一郎)が息子(中井貴一)の海軍兵学校入学と優等卒業を喜ぶ反面、特攻隊志願を反対するのは“軍人にも良心がある”と言う今の作品では絶対に描けないシーンでもあろう。
本郷家の二人の戦死と二人に愛された婚約者(古手川祐子)が翻弄される姿は戦争中によくあった光景とも言える。
戦局いよいよ逼迫の度を増す中で連合艦隊旗艦『大和』を指して、
「大和に生き恥をかかせないで下さい」と沖縄への出陣を主張する連合艦隊神参謀に、小沢治三郎の放った「そんな浪花節は聞きたくない」は、あの戦争の中で“浪花節”の如き闘いがあったことの裏返しかもしれない。
それに小田切家の父親が命を賭けて沈み行く大和の高熱の注水弁を回して壮絶に死に絶えた後、息子が空から、「お父さん、ほんの少しだけ長生きするのがせめてもの親孝行です」と心の中で呟き、沖縄に特攻するラスト、本当に説明・注釈一切不要の見事さである。
途中、狂言回しの如く幾度か作戦の言い合いをする草鹿龍之介(三橋達也)と宇垣纏(高橋幸治)の台詞が戦争の全般的な流れを説明してくれているし、改めてわざわざ終戦の事細かな事を描く必要も無い、作品を創る側も見る側も全てを承知出来ていた、そんな時代の作品だろう。
出演者の多くが出征経験があり、三橋達也に至ってはシベリア抑留まで経験している、創り手が戦争の経験があるのとないので、作品の重みがだいぶ変わってくる。
戦後50年を期に創られた作品には稀薄になってしまい、21世紀の戦争作品では
『俺は君のためにこそ死にに行く』のような英雄譚のみで描いた作品や、戦争をいちいち細々説明しなければ話の進まない『永遠の0』、そして“軍人は全て悪”と断じ斬った民放の戦争ドラマ、見ていて合点の往く作品が減ってしまったのは、戦争の時代を生きた人が減ってしまったことが原因だろうが、時間の流れとは言え、誠に悲しい。
松林宗惠監督、須崎勝彌脚本の戦争映画は本当に外れがなく、どの見地・どの思想の人でも見られると思うし、
今、戦争から70年以上が経ち、我々世代が老人を含む大人から聞いた戦争の話を今の子供は聞く機会がない、その事実も悲しいことではあるが、是非、若い世代に、CGに比べた特撮云々ではなく、ストーリーそのものを見て貰いたい作品であると思う。