喜びも悲しみも幾歳月のレビュー・感想・評価
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美しい映画
何が「美しい」のか、今の自分には上手く説明できないように思った。中盤あたりから惚けてしまっていた。しばらくそっと大事にしまっておきたい、久々にそんな風に思える作品でした。
蛇足で印象に残ったことをいくつか。木下作品を見ていると、構図の中に妙に存在感を放つモノが配置されていて、絶妙なトーンを与えている画(分かりやすい例を挙げると「永遠の人」のラストの土間に置かれた冷蔵庫とか)が印象的だけど、本作は風景にしても屋内にしてもそうした画面が多くあったように思えた。
また、東京のレストランに招待されたシーンで娘が料理を取り分ける時の目線で男女関係を匂わせるショットは木下作品ではあんまりない演出に思えて印象的だった。セリフにしても本作は割りと前のシーンや後の展開の含みをもたせたものが多く、観客に対して丁寧につくられた印象だった。
おいら岬の灯台守は
戦争を挟む激動の時期を共に過ごす夫婦と周囲の人々の姿を照らす。戦争は57年の作品であれば映り込むことも必然の社会背景でしかなく、人のふれあいやぶつかりを淡々と描いていく。普通の夫婦喧嘩だったり近所づきあいだったり、しかしそこに生きる人の思いが混じり合い、しみじみと人生を考えさせてくれる。上映当時はさらに同時代の感慨をもって見たものと思う。
自らの境遇を呪い病む隣人、近くで起こる不幸、意外な形で降りかかる災い。ただただ受け入れるしかない境遇も、涙を枯らして次の日を迎えていくしかない。
昭和7年
日本最初の洋式灯台である観音崎灯台。「死ぬまで一緒にいよう」と誓った新婚夫婦。ある日、藤井という女学校時代の同級生が訪ねてくるが、簡単に「狂ってる」という言葉を諌めるところ。辛い灯台守の夫婦の愛を教えてくれる。
北海道石狩に移った夫婦は長男・長女をもうける。最初の長女は産婆が間に合わず有沢がとりあげた。ここでは同僚鈴木の妻が病死するシーンが広大な北海道の自然に囲まれ、悲しさと幻想的な雰囲気が同居する。
昭和12年、日本の端っこ長崎の離れ小島の女島。初めての夫婦ゲンカ。戦争が始まろうとしているが、人とのふれあいがないところでは苦労も絶えない。
昭和16年、佐渡。真珠湾攻撃により第二次大戦に参戦した日本。兵役逃れで灯台守になったとバカにされた青年。兄さんが戦死して悲しみに打ちひしがれる。
昭和20年、御前崎。空襲に怯える家族。長崎で一緒だった野津が転勤で来るが、振られたとばかり思っていた正子と結婚したのだ。そして、米軍に狙われる灯台。日本中で何人もの灯台守が殉職する。このシーンが一番印象に残る。
昭和25年、志摩半島。11月1日が灯台記念日になった。光太郎も雪之も高校生。両親へのプレゼントがほのぼの。子供たちを大学へやる決心をする。
昭和29年、四国の男木島。光太郎が大怪我をして入院という連絡が入る。大学入試に失敗し、ヤケになって不良たちと付き合ってたため刺されたらしい。翌日、死亡。真面目一筋で船の安全を守ってきたのに、社会の病巣が家族を襲ったヒトコマ。
昭和30年、娘雪之に縁談が・・・
昭和32年、娘結婚。夫の海外勤務のためエジプトカイロ。警笛で見送る夫婦・・・人生、山あり谷あり、たった1回の見合いで生涯の伴侶を決めた高峰秀子演ずる有沢の妻が回顧するところがなんともいえない。
日本と日本人の生きる力を美しく描いた木下監督の本領
木下惠介監督の佐田啓二と高峰秀子の両名優を使っての理想の夫婦像。全編日本の自然の美しさと日本人の汚れなさを描いて、木下監督の本領が文句なく表現されている。
人間の人生の縮図がここにあります
号泣しました
灯台守の世界は特殊な職業かも知れません
しかし、終盤に主人公夫婦が語るように、現代では普通の勤め人であっても今や海外へ赴任していくこともある世の中です
海外でなくとも、主人公夫婦のように全国を転勤して引っ越し続きなことは当たり前
子どもの就学の為に単身赴任する事も普通のことです
劇中では別居と呼んでいます
単身赴任という言葉がまだ無かったのだと思います
それだけ夫婦や家族が別れて暮らすことは異常な事だという意識があったということです
逆に言えばその異常な事が普通の事になっている現代が異常と言うことなのだと思います
灯台守家族の異常な生活の半生記
それは特殊なようで実は普遍性のある半生記でもあります
極端で過酷すぎるだけなのです
ずっとずっとマイルドですが、日本の端から端に辞令ひとつで転勤していくサラリーマンの世界と変わりはありません
妻や子ども達にどれだけの負担を掛けてきたのか、今更ながらに胸が痛みました
大都会から大都会の転勤なんて、確かに灯台のに比べれば安楽過ぎて大したことではありません
しかし知らない土地、耳慣れなない方言、友人も、知り合いも、親戚も誰もいない土地
自分は仕事に出れば転勤先でも同じ会社でしょうが、家で待つ家族はどうでしょうか?
妻や子供達の孤独さ、心細さ
新婚で赤ちゃんを抱えて知らない都市に転勤した時の事を思い出しました
ある日早く帰った夜、一緒に夕飯を食べて二言三言言葉を交わした時、妻は今日初めて言葉を交わしたと言いました
知らない土地で赤ちゃんと二人だけで、スーパーに買い物に行っても無言なのです
絶海の孤島に建つ灯台守の妻と何の変わりがあるでしょうか
そして長い単身赴任
いかに大都会であっても、遊びに行くところも、気晴らしにいくところが幾らでもあっても
家族がいない独りきりの部屋に帰って来たときの孤独さは消えはしません
職責を果たす為に家族を犠牲にして働く
立派で尊いことかも知れません
灯台の職責と比べれば、サラリーマンの職責なんてどれほどのものか
人命がかかった仕事とは比較もできません
それでも、灯台守と同じように家族と自分を犠牲にしてみんな暮らしているのです
現代では結婚もしない若い人が多くいます
彼ら彼女らも当然全国どこへでも独りきりで転勤していきます
大都会かもしれません、聞いたことも無い田舎町かも知れません
そこにいきなり赴任して独りきりで暮らす
その孤独さは灯台守にも匹敵するかも知れません
妻がいるからこそ、家族かいるからこそ、灯台守は職責を果たせるのです
サラリーマンだっておなじです
妻と子供達に掛けてきた苦労と孤独に今更ながら、頭が下がり感謝するしかありません
ラストシーンは灯台と国際航路の客船との霧笛の呼応でエンドマークが出て終わるのかと思っていると、更に続きます
本当のラストシーンは海霧が立ち込めている海岸段丘の上の灯台に向かう荷物を両手に持った年配となった主人公夫婦の遠景で終わるのです
それは冒頭の新婚で赴任して来たシーンとつながるのです
子供達を育てあげ、死んでしまった子、立派に育って幸せになった子
今また夫婦だけの二人に戻り、最初の時のように働いて暮らして行くのです
人間の人生の縮図がここにあります
灯台の位置を示す日本地図とはその意図を持った演出だったのです
高峰秀子の妻役は見事の一言しかありません
日本映画屈指の傑作だと思います
・灯台守が転勤族であることを初めて知る ・結婚したての初々しさもい...
・灯台守が転勤族であることを初めて知る
・結婚したての初々しさもいいし、年月が経ってケンカするトゲトゲしさもいい
・子どもたちが成長していく姿を見るたびに感動
・よかった…
普通に暮らすことは大事かな
戦後暫くして封切りされた映画。私の子供の頃この映画がヒットし誰もが歌っていたような記憶がある。夫婦の普通さがとても良いし、よく描けている。転勤また転勤の灯台暮らし。また人生の喜怒哀楽もある。さらに戦争が影を落とすが灯台守の暮らしは一定である。主役の二人が分かり易くとても感情移入できる。清々しい映画に仕上がっている。
灯台守の仕事の話が少ない
総合60点 ( ストーリー:60点|キャスト:60点|演出:55点|ビジュアル:65点|音楽:70点 )
科白をかぶらないように交互に言い合う演技は古い演出で自然さがなくて好きになれない。いかにも覚えた科白を間を取りながら喋っていますという印象。物語も家族の内輪話が中心になっていて、せっかくの特殊な職業の設定が生かされていない。灯台守の隔絶された生活の不便さに対する直接的な描写は少ないし、独自の仕事のことも描かれていないしで面白みに欠ける。小さな話を繋ぎ合わせただけの淡々とした描写の連続に盛り上がりが少ない。長年の苦労を乗り越えてきた晩年の夫婦二人は味があるものの、全体としては中途半端。
特撮の部分は駄目だが、邦画にもかかわらずこの時代に天然色で撮影したのはたいしたもので、当時の技術としてはかなりいい色が出ていると思う。
恋愛結婚へのアンチテーゼ
主人公の灯台守(佐多啓二)とその妻(高峰秀子)は見合い結婚。しかも見合いのその場で結婚を決めて、郷里から遠く離れた文字通りの地の果てへ赴く。
初めての二人の夜を前に、お互いに慎み深く挨拶を述べ合う二人。どのような辛いことがあったとしても最後まで一緒だと誓い合う姿は、神や人々への誓いよりもずっと固く結ばれていく二人を描いている。
そしてある日、二人の暮らす灯台に一人の女が妻を訪ねてくる。この女が恋い焦がれる相手の男が、昔、高峰に熱を上げていた男で、その男がいまだに高峰への思いを断ち切れずにいる。だからその男と、彼を慕う女の二人が不幸なのは全部高峰のせいだという恨み言を聞かせるために、その女はここに来たというのだ。
ここには、恋愛感情による男女の不安定な関係と、お互いへの責任を約束しあった男女の堅牢な関係の対比が提示されている。
感情というものは移ろいやすく不安定で、映画の前半ではそれに基づく結婚を批判的に描いている。これとは対照的に、主人公ら夫婦をはじめとする灯台守たちの結婚生活は理性で固く結ばれている。
理性で結ばれているといっても、理知的なばかりで感情が通い合っていないということではない。お互いへの思いやりが極めて理性的に交わされるということだ。
感情は理性によってこそ保護される。だからこそ僻地での苦難の連続を乗り越えていく力強さがあるのだ。
後半に入り、若い頃の田村高廣演じる、佐多の後輩灯台守の恋愛にこの夫婦は知らず知らず巻き込まれていく。この恋愛も最初は周囲に取り合ってもらえず、田村は恋の相手との結婚を断念するのだが、何年かの後にきっかけをつかんで結婚を成就させる。
そして、佐多・高峰の娘も下宿先の息子と恋愛結婚をする。
しかしこの二組のなんと頼りなげなことか。若い二人だから頼りないのではない。この二組の夫婦それぞれの結びつきが弱弱しく見えてしまうのは、その幼さゆえではなく、夫婦の将来像やモデルが自分たちの中にないからである。
では、彼らを結び付けているものはどこにあるのか。
それが佐多と高峰の夫婦の理想化に他ならない。この二人を理想としていることは、一見主人公の人生賛歌として素晴らしいことのように見えるが、当人たちの中に約束すべきものが希薄であることを示している。
このようにこの作品を通して、恋愛結婚への懐疑的な視線と、時代の流れの中で恋愛感情による結びつきが増えてくることへのあきらめが見えてくる。
家族の居る所がHOME
戦前から戦後復興期の昭和を、燈台職員として日本の端から端まで転勤しながら生きた家族のお話。1957年木下惠介監督作品です。
実直に生きる夫婦の人生の、喜びと悲しみと。気が抜けちゃうような日常のエピソードが温かくて愛おしくて、ホロホロ涙が出てしまいました。
小学生の頃以来、実に40年ぶりに鑑賞。人生で何度も出会いたい作品です。
燈台守り夫婦を演じた佐田啓二と高峰秀子が、とても自然に年齢を重ねて見えるのが素晴らしい。有名なテーマ曲とともに、当時の日本の風景に見入ってしまいます。
転勤の度にこれで良かったのかと迷う、それは今も同じです。家族の居る所がHOME、そう思ってはいても。
最初の鑑賞で特に覚えているのは、大きな日本地図とラストシーンと、高峰秀子が柳行李に荷物をしまっているシーン。ずっと引越し準備の場面と思ってたけど夫婦喧嘩の後でした。
小学生としては一番ドキドキしたんでしょうね、その後がまた、すごくいいです。
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