「長谷川和彦脚本作。米国ニューシネマ風には好感を持ったのだが、観念的すぎるせいかよく分からなかった」宵待草 Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
長谷川和彦脚本作。米国ニューシネマ風には好感を持ったのだが、観念的すぎるせいかよく分からなかった
神代辰巳監督、長谷川和彦脚本による 1974年製作(96分)の日本映画、配給:日活。
米国ニューシネマ「明日に向かって撃て」(1970日本公開)を強く意識した長谷川・神代版青春映画!?
少し前に作られた名作(と自分は思う)「青春の蹉跌」と同一コンビ(長谷川・神代に撮影が姫田真佐久)で作られただけにかなり期待したのだが、ストーリーや主題は正直良く分からなかった(尚、音楽は少しユニークな感じであったが、手掛けたのは細野晴臣だとか)。
主人公谷川国彦(高岡健二)を玉突きに誘い、一緒に芸者遊びに興じた荻島真一演じる北天才は、何故突然に首を吊って自殺したのか?何故、彼の死体を横にして高岡健二と北条寺しの(高橋洋子)は食事をし、高岡は死体と添い寝をするのか?彼は安保闘争等で亡くなった人達の象徴なのか?それとも、長谷川和彦を映画の世界に導いた先輩(当時映画を作れなくなっていた浦山桐郎監督が思い浮かぶが)?
平田玄二(夏八木勲)の父殿山泰司の死は、自首を勧め拒否された場合は息子を毒で殺そうとしていたがそれができず、自分で毒を食らった?それとも、自首を拒否され村社会における責任感(重圧)からの自殺なのか?(長谷川監督による「青春の殺人者」のテーマから考えると、前の方か)。
最後、高橋洋子が戻ってはこない高岡健二を待って、でんぐり返りしている姿で映画は終わる(脚本にはなく、神代監督による演出らしい)が、それはいったい何を象徴しているのか(世の中は簡単に変えられないし変わらないが、自分の見方や自分の世界は変えらる?)、意図が良くは分からなかった。
男2人と女1人の明るく開放的だが破滅的でもある同行物語は、自分的には悪く無いとは思った。ただ少々観念的すぎるか。そして高岡健二と高橋洋子ではなく、「青春の蹉跌」コンビ萩原健一と桃井かおりだったら、もしかしてかなり面白かったかなとは、妄想してしまった。
監督神代辰巳、脚本長谷川和彦、企画奥村幸士、製作岡田裕、撮影姫田真佐久、美術横尾嘉良、音楽細野晴臣、録音古山恒夫、照明直井勝正、編集鈴木晄、助監督鴨田好史、スチール
目黒祐司。
出演
高橋洋子北条寺しの、高岡健二谷川国彦、夏八木勲平田玄二、青木義朗黒木大次郎、吉田次昭山口、芹明香お新、仲谷昇谷川武彦、司美智子谷川美代子、浜村純北条寺、粟津號太吉、
丘奈保美サヨ、荻島真一北天才、原田千枝子北天才の妻、長弘船長、江角英明映画監督、
殿山泰司玄二の父。