ゆきゆきて、神軍のレビュー・感想・評価
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振りかざす正義と執着。
⚪︎作品全体
奥崎が所有する自動車整備会社のシャッターを開けるところから始まる本作。朝の陽ざしと穏やかな街の中で異彩を放つ手書き看板が、まず強烈だった。平和の時間が積み重なっていく日本において、ここだけは乱れた感情の渦があるような、そんな印象を受けるファーストカット。戦地で地獄を見た兵隊たちがそれぞれの道を歩み始めている中で、奥崎だけが「あのときの地獄」に固執しているという、この作品の根底が巧く表現されていた。
奥崎は戦地で行われた私刑や罪を許しておらず、当時の上官たちから真実を聞き出し、謝罪させようとする。その手段は暴力であり、一方的な主義主張を押し付けているようにしか見えない。しかも上官と言えど望んで下した命令でないかもしれないし、当時を思い出すことで再び心を傷つけることになるかもしれない。
しかし、奥崎にはそういった「加害者の言い分」には耳を傾けず、自分の考える正しさのもと、正義と執着を振りかざす。人肉を食べたことや敵前逃亡で味方に銃を向けなければならなかったことは「仕方のなかったこと」として踏み込めない戦時中のタブーだが、そのタブーを言葉にさせて自己批判へ追いやっていく。そのためには被害者親族のなりすましも厭わず、暴力をふるうをことも厭わない。奥崎自身にある正義と執着が刃のように研ぎ澄まされていて、画面にくぎ付けになった。
やっていることはただそれだけなのだが、単純だからこそ、尖った感情の純度が高く感じる。周りを振り回すことや傷つけることなどお構いなしの正義と執着の姿が、とにかく刺激的だった。
〇カメラワークとか
・構成が面白い。序盤は皇居前で拡声器を使い、戦死した兵士の母と涙し、結婚式で自己主張…という、多彩でキャッチ―な暴れっぷりをしているけれど、後半は戦時中の私刑についてフォーカスを当て、次々と上官たちを相手にしていく。演出も序盤は結構盛り込んでいて、文字演出にSEが入っていてド派手だし、奥崎カーが街を走るエスタブリッシュメントカットも大量に挟む。一番笑ったのは海沿いを走る奥崎カーを映すカット。港町を遠景で捉え、ズームインしていくと奥崎カーが走ってる。すごく穏やかで景色の良い港町に走る奥崎カーの異様さがすごい面白かった。
・序盤と終盤で画面のテンションが違うのは原監督と奥崎が次第に険悪になっていったからっていうのもありそう。
〇その他
・権力に歯向かう奥崎の姿だけ見ると、「主義主張の強いやつによくある光景」って捉えちゃうけど、時代によっては過ちとされる「命令」に無条件で従っているやつらが嫌いなんだとわかると、少し奥崎を支持したくなってしまう。奥崎もまた理不尽な命令を受けて地獄へ行かされ、正しさがあやふやな命令の中で生きなければならなかったんだろうから。
・奥崎と対峙する上官たちもキャラが立ってて面白かった。最初はみんなまともに取り合わないけど、奥崎のヤバさを知ったのか、遺族がいるからか、当時を語り始めたあとは多種多様。ぶっきらぼうに話す人もいれば、すごく丁寧に状況を話す人もいたり。ラストに登場する深谷の山田さんはラスボスさながら、なかなか口を割らない曲者感と地獄を知っている肝の座った感じが良かった。
・遺族のスピリチュアルおばさんが助演女優賞。上官たちを追いつめられそうなところで「兄が言ってるんです!」ってスピリチュアルかまして場をかき乱すスタイルが面白かった。衛生兵の浜口さんと話しているときに「兄は人の肉を食べてはいないと言っています」って言って、浜口さんが「誰が言ってるんですか?」って素朴に聞いたら「兄がです。兄の霊が言ってるんです」っていうレスポンスを直球で繰り出すところが印象的。
浜口さんも浜口さんで、害がないように見えて衝撃的なことをツラツラと話しているのが凄い。
・当時の深谷駅があまりにもショボすぎて笑ってしまった。今の深谷駅がやたらとゴージャスな分、尚更面白い。40年以上経つけど、深谷日赤の周りの道路とか建物はあんまりかわってないんだなあ。
・奥崎の怒りの沸点がイマイチな場面もあったりして、自身の演出に失敗してる場面もままある。言葉に詰まるとすぐ「ビラ撒き事件」と「パチンコ事件」の自慢が始まるし。
でも、アポなしのくせに菓子折りはちゃんと持ってたり、殴ったあとちゃんと謝るところはスーツ姿とマッチしてて面白かった。
・ノンフィクション作品なんだけど奥崎の自己演出が強すぎて、ちょっと「ノンフィクション」って言いづらい作品だ。撮り方含めてちょっとワイドショーっぽい過剰演出感がある。そこが本作の魅力であることは間違いない。
あのナチスドイツでも『○○』を食べたと言う記録が無い。自虐的亡国論であって貰いたい。
一見サスペンス調に話を演出しているがそれがうざすぎる。
要は『食べたか食べていないか?』だけなので、演出いかんによっては10分で終了する映画。
こんな『フーテ○の寅』見たいな主人公がいて、そいつに同調圧力をかけられ、無理矢理自白を求められても、この方法では答える気にならない。だから、途中で、フィルムを止めて、冷静に話し合って、演出をし直しているのは明白だ。
つまり、事の真相が明らかになったようで、事実は明らかになっていない。
結局、無理矢理、自白させたのだから、素晴らしくエキセントリックな映画だと評価するだろうが、自白の手法も含めて、ただのホラー映画の様になってしまっている。つまり、必ず言われる事『戦争だから仕方ないのか?』
寧ろ、アナーキスト全部がこの主人公の様だと誤解されたり、左翼(含む全共闘世代)に対する偏見を産む事になる。この演出家の手法なのだと思うが、それを商業主義に乗せる事じたい不愉快になる。
初見は実は2年くらい前で、僕が若い頃は結構騒がれて、その内容は知っていた。だから、初見は『こんな話だったんだ』とそれなりの衝撃を持った事は否めない。今回は二度目の鑑賞となるが、事実関係がはっきり理解できただけで、得るものはなにも無い。だから、もう二度と見ない。
つまり、この主人公の理論では、戦争責任を追求する本当の相手を探し出す事が困難になり、再び戦争を起こしてしまう可能性があると思われる。何故なら、未だに、戦争は無くなっていない。
『誰が悪い』を追求する事ではない。争いを止める事が急務なのである。その観点でこの主人公を見れば、争いを止めるのに役立つ人格には見えない。
僕はこの映画は作られた喜劇だと思う。『こんな奴いたら大変だ。いなくて、若しくはいなくなって良かった。』と思う。そう、あの『男はつ○いよ』と同じ理論では作られた映画なのだ。
この主人公が良い人?悪い人?は全く関係ない。やっている事が笑えるだけ。で、こんな奴いたら大変だよ。
さて、事の真相だが、それは実はどうでも良く、要は『食べている』事を誰もが認めている事だ。これ以上語ると、AIにはじかれるので書かないが、全員が否定していない。何人かは罪の意識もなく、肯定している。つまり『食べた』と言う事。この映画はホラー映画だ。
『子宮に沈める』で、死にゆく幼子に真の人間の姿を見た。
狂者が狂者たる理由みたいなもの
処刑した者とその真相を追求する者、どちらのほうが狂っているか、という問いだけでなく、そもそもなぜそこまで奥崎さんは過去を問いただそうとするのか、何がそうさせるのかという疑問にとらわれたまま見終わり、その余韻が日を跨いでいる。
また上映されてるんですね!
「靖国」という言葉を聞いただけで相手に飛びかかる男、奥崎謙三。本人の思想や性格には賛同することはできないが、戦争の閉ざされた真実・戦争の狂気と残虐性を暴いていった手腕に拍手を送りたい。
頑なに口を閉ざした元上官。敵前逃亡の罪で銃殺した事実を、奥崎の脅しともとれる迫力に負けて重い口を開いていく。「人肉を・・・」という台詞がポンポンでてくる様子。普通の戦争映画全てが生ぬるく思えてしまうほど説得力がある内容だった(『生きてこそ』よりもすごいかも)。ボカシも修正もなく顔を出す復員兵たちの「生きるために仕方がなかった」と何度も語る凄惨な現場が、映像も伴わないというのにリアルに訴えてくる。これはまさしく非人間的な戦争の醜さを表現した反戦ドキュメンタリーだと思う。
正直に自分の罪を認めて贖罪すれば、彼は納得する。「悪いのはヒロヒトだ!」と彼は叫ぶ。ニューギニア戦で生き残った数少ない彼は、「天皇にパチンコ玉を撃った」「人を殺してしまった」「上官を殴った回数は日本一」と豪語し、「いい暴力なら許される」と自説を曲げない。人間としても思想的にも好きにはなれないが、我々に「筋を通すこと」や「真実を知ること」の大切さを教えてくれた。
普通の戦争体験談は戦争を知る上でもちろん有意義なことなのですが、その常識の裏にある人間の悪を暴き出したかのような事実も知らなければならない。戦争体験者が少なくなっていく現在の日本において、今後、どうすれば戦争の悲惨さを訴えることができるのかなぁ。
【2005年3月映画館にて】
当時はまだ『軍旗はためく下に』や『野火』を見ていなかった・・・
すごかった
公開時に映画館で見て以来2回目。際もの的に見て楽しんでいたのだが、次第に恐るべき真実が明らかになっていく過程がミステリーの構成でとても面白い。
奥崎健三は字がとてもきれいで育ちの良さを伺わせる。人柄はまじめで誠実で、暖かい面もあるのだが、真に修羅場をくぐっており腹の据わり方が尋常じゃなく、あんな押し付けがましい人物とは絶対に関わりたくない。
人は都合の悪い過去を色々な口実で封印する
2015/08/31、DVDで鑑賞。
初めは頭のおかしい狂信的な偏執狂かとの印象を受けるが、終戦後、隊長命令によって2名の兵士(吉澤徹之助、野村甚平)が銃殺刑にされた真相を当時の上官を訪ねて問答を重ねるやりとりを見ていくうちにこの人のほうが筋が通ってるじゃないかと見方が変わってくる。
奥崎氏の声が早口で聞き取りにくいので字幕が欲しかったw
結論としてその2名の兵士が死ぬ前に現地人の村へ行って芋を死ぬほど食ってこようと軍隊を抜けだしたことで、もう終戦後だったにも関わらず逃亡犯とみなされて処刑されたということらしい。
妹尾実、妹尾幸男、浜口政一、原利男、会川利一の5人で処刑し、小清水隊長と丸山軍医が立ち会っていた。
各証言の関連性、関係性が見ているうちに混乱したので2回めはまとめながら観た。それを書いてみる。自分や仲間のの保身のためにどんな言い訳でどんな嘘をついているか興味深い。
元軍曹、山田吉太郎
入院中。吉澤徹之助、野村甚平、2名の殺害には関わっていないが、36連隊・本体であった「くじ引き謀殺事件」の証言者。
奥崎から病気を天罰だと拘置所から手紙を送られる。
この場面では何も証言しない。
妹尾実(高見)(分隊長、元軍曹)
引き金は引いたが照準は外した。
そのあと小清水がとどめを刺した。
妹尾幸男 (元軍曹)
現場にいなかったので知らない。
奥崎の追求におざなりに立ち去ろうとして、奥崎に掴みかかられ、馬乗りで殴られる。110番。
会川利一(元伍長)
6人の下士官 原利夫、妹尾幸男、稲葉 小島 妹尾実がいた。
逃亡罪をでっち上げられたということはない。
軍医が言うには野村甚平さんはあある部落へ言って仮死状態になったので置いてきた。
原利夫(元曹長)
自分が銃殺に立ち会った6人の一人かわからないととぼける。
二人は最も大切にした兵隊だったと言う。
本人と遺族の名誉のために言えないという。
本人たちは不名誉なことはしていないと証言。
遺族二人と握手して涙ぐむ。
遺族二人の前なら話すと言い出す。
敵前逃亡の罪を被せられたと漏らす。
自分の銃は不発弾だったと発言。
浜口政一(元衛生兵)
うなぎや、商売の邪魔だと家族からけんもほろろ。
引き金引いてない。
野村は栄養失調とマラリアでほとんど意識がなかった。
二人が土人の家にでも行って芋でも食って腹一杯になって死のうと言っていたと証言。それで脱走扱いになった。
銃殺の命令は小清水ではなく、軍から出た。
野村の弟に人間の肉を食ったという不都合な真実の口封じに殺されたのではないかと迫られるが、それはないと言う。
吉澤の妹に立場の弱い兵士から食料にするために殺されていったのではないかと詰め寄られるがそれはないと言う。クロンボ(現地人の肉)かシロンボ(白人の肉)なら食べたという。
丸山太郎(元軍医)
丸山診療所
小清水が小泉大佐の命令で仕方がないと言っていたような気がする。
小清水が命令した。小清水が悪い。
小島七郎(元軍曹)
電話で会話。
小清水は当然、恨まれて殺されていると思っていた。
小清水が軍の命令だと言って殺した。
小清水政男(村本) 元ウェワク残留隊隊長
原住民の肉を二人が食べたから処罰したと。
軍命令で白豚(白人の肉)はダメ、黒豚(現地人の肉)は食べてよしとお達しがあった。
処刑には立ち会っていない、とどめも指していない。
死体も確認していない。
妹尾幸男(2回目)
隊長が銃を五丁持って、来いと命令した。
二人は逃亡犯だと言われた。
一丁だけ空砲だった。
現場で小清水が撃てと命令した。
妹尾実、妹尾幸男、浜口政一、原利男、会川利一の5人で処刑し、小清水隊長と丸山軍医が立ち会っていた。
妹尾実(2回目)
小清水が直接撃てと現場で命令。
山田吉太郎(2回目)
橋本儀一殺害の真相を語ることを頑なに拒む。
靖国神社に参ることで供養していると発言して奥崎に切れられ、乱闘に。
話すことでいろんな人に迷惑がかかるという理由で発言を拒む。しかし、粘る強く説得され徐々に口を開く。
原住民が食わなかった。兵士の中でも自己中心的なものから選ばれて殺され、食料にされた。
自分はジャングルで生き抜く知恵があったから、殺されなかった。
最初の方に祈祷師のような格好で出てくる、銃殺された兵の一人、吉澤徹之助の妹、崎本倫子が、妄想のように濡れ衣で処刑されて食料にされたと言っていたが、まんざら妄想ではなかったのが恐ろしい。吉澤徹之助、野村甚平の2名は食料にするために殺されたわけではなかったが、本隊の方ではそういうことがまかり通っていたのだから。
各証言者が初めは嘘をつくわけだけど、遺族や本人の名誉のためだとか、醜い現実を陽のもとにさらしても誰も報われないとか言っていたが、詭弁にしか聞こえない。やはりおざなりな罪滅ぼしで済ませて、今の平穏な暮らしを守りたかったのだろう。加害者はやったことを忘れるが、被害者はいつまでも忘れることができない、正にこれですね。
地獄の申し子
否応なく地獄を見ることになる。
多くの犠牲者、戦死者、餓死による日本兵の死者を出したニューギニア戦線から生きて帰った元兵士の奥崎謙三は、自ら神軍平等兵と名乗り、国家を否定し、昭和天皇や田中角栄に攻撃を企てる。この映画では、戦後40年近く経った80年代前半、終戦後にニューギニアの日本軍で兵士が2名処刑された事件について当時の当事者であった上官などを突然訪ね、言葉と暴力によって真相を暴こうとし、ついには拳銃による殺人未遂事件まで起こしてしまう。
奥崎の行動原理は宗教原理主義のテロリストと同じで、自分を神の道具とみなし、神の意志を体現する者だと信じているので、彼にとっては殺人行為でさえあらかじめ免責されている。そんなものは絶対に許容できないが、奥崎が暴き出した戦争の地獄、敵兵を、現地住人を、そして同じ部隊の日本兵をも殺して肉を食べた地獄は、あまりに凄惨で酷く醜悪で、奥崎の悪がかすんでしまうのだ。ここで自分の倫理観が揺さぶられる。
奥崎謙三は戦争の地獄が産んだ怪物だ。問題は、地獄の副産物による犯罪行為を断罪するだけでは、地獄に向き合うには不十分だということだ。
復讐鬼
総合:65点
ストーリー:
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演出:
ビジュアル:
音楽:
戦後数十年たってなお戦争の傷を引きずり続ける元兵士の人生のドキュメント。内容的にはきつい話だし決して楽しいものではない。
あまりに悲惨な経験をしてその中で生き残ったため、怨嗟の塊となって過去を引きずり続ける。天皇を糾弾し元上官を訪ねては非難し時には殴りかかる。延々と彼の負の感情が撮影され続ける。そしてそれを裏付ける彼の極めて生々しい経験がところどころで登場する。特に人狩りの話などはなかなかに衝撃的である。
だがこの人、恨みがあまりに深くて周囲が見えなくなっているとも思う。彼がそのような生き方をし続けるのは理解出来ないでもない。彼もまた悲惨な戦争と、当時の不合理な日本の社会の犠牲者であることに疑いはない。
だが最後に戦争に関係ない上官の息子を攻撃するなど、正直意味がない行動である。またお飾りで当時から殆ど権限のなかった天皇の戦争責任を追及し続けたところで、今更どれだけの人が幸せになれるだろうか。そのようなことをしても新たな恨みを生み負の連鎖を生むだけ。
戦後に軍から開放され自由になった自分の人生をも犠牲にしてまでそうせざるをえなかった、到底抑えることなど出来ない彼の感情。復讐の鬼と変わり日本各地を訪ねては恨みの言葉を叫び続ける男。見ていて痛々しくもあり、理解もある程度出来て同情の気持ちも沸き、最早取り返しのつかないことにこだわり続けて間違っているなと感じる部分もあり、とても複雑な気持ちになる。当事者でないとわからない部分があるのは間違いないのだが、自ら進んで永遠に続ける彼の呪いの人生と不幸を見るのは決して愉快ではない。
だが彼のそのような人生もまた、悲惨な戦争の結果というだけでなく、戦争の陰にある悲惨な戦争犯罪や必要以上の悪の結果である。そのようなことが具体例としてわかるという意味において、またそれから逃れられない男の生き様という意味において価値のある映像である。
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