ゆきゆきて、神軍のレビュー・感想・評価
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今年の、敗戦記念日の前日に劇場公開された。
初公開が1987年8月1日。33年の歳月が経った。さらに言えば、奥崎謙三が生まれて100年だという。そもそも題材になっているのが75年前に終わった太平洋戦争で起きた戦争犯罪(決してそれだけはないが)であり、なんなら歴史の彼方に感じる世代もいるだろう。
これを書いている自分も、映画が公開された時はまだ15歳で、正直、存在にすら気づいていなかった。成人してから後追いで観て、例にもれず衝撃を受け、その後、機会があれば観直している。実際、何度も劇場公開されているし、数年に一度は話題にものぼる。ドキュメンタリー映画としは屈指の人気作と言っていい。
そして、今観てもやはり強烈であり、色褪せていないのは、未だにこの映画(と奥崎謙三という人物)が理解を受け付けないようなカオスの塊だからではないか。醜い戦争の実態や、許されざる戦争犯罪を暴いてはいるが、正義や正しさのものさしでは決して計れない。そして奥崎が突きつける日本の矛盾は、今もわれわれに取り憑いたままなのだと思う。
神軍と皇軍
かつての上官宅にアポも取らずにカメラマンを従えて強引に押しかけ話を聞こうとするその姿にマイケル・ムーアも影響を受けたとか受けないとか。
トヨタマークⅡの屋根にその車体と同じ大きさの看板を掲げ、その看板や車体には物騒な文言がびっしりと並ぶ。見るからに物々しい雰囲気を醸し出す男、奥崎謙三。
これは彼が神軍平等兵として闘う活動の日々を追ったドキュメンタリー。その経歴はすさまじく、また一見その強面から近寄りがたい。しかし話してみると意外にも礼儀正しい、かと思えば突然激高して暴力をふるう。いったい何なんだこの男は、アナーキストとはいえ自分の感情をコントロールできないのか。いったい彼の行動原理はなんなのだろうか。作品を見るうちにそれが紐解かれていく。
飢餓地獄といわれたパプアニューギニア戦線から生き残り、戦後を生きてきた奥崎。彼もほかの帰還兵同様平和な日本で残りの人生を送るはずだった。しかし彼が三十代のころ賃貸人とのトラブルで相手を死なせてしまう。
十年以上の刑務所暮らしで彼は自分の身の上について考えた。なぜ自分はこのようになってしまったのか。大抵の人間なら自分の激高しやすい性格、暴力を反省して生まれ変わろうとするだろう。しかし彼は違った。これは天罰なのだと、先の戦争で偽りの神である天皇に仕え愚かな戦争に加担してしまった自分に天罰が下ったのだと彼は考えた。
そして自分に戦争をさせた天皇を憎み、彼は天皇に対抗する神を作り出す。どの宗教にも属さない自分だけの神を。その神に仕える神軍平等兵として彼が生まれ変わる瞬間だった。
天皇が支配する国家やその国家が作った法律には縛られない、神の法にだけ従う。国家や家制度を破壊するのが彼の使命となった。そこから彼のアナーキストとしての活動が始まる。天皇にパチンコ玉を打ち込み、ビルの屋上から天皇ポルノビラを撒く。そして今の彼の目下の活動は終戦直後に行われた戦争犯罪を暴くことだった。
終戦が知らされたにもかかわらず敵前逃亡という名目で兵士二名が処刑された。その事の真相を明らかにするために彼はカメラマンを従えてかかわった人間たちの家に事前にアポも取らずに押しかける。
突然来られた人間にしてみれば迷惑な話であり、戸惑うのは当然。しかし奥崎はそんな相手に対して態度が悪いとつかみかかる。
自分の行いは神の法による行い、人間が決めた法には縛られない。正しいことを実現するための暴力は正当化されるというのが彼の理屈だ。
かつて天皇の名のもとに暴力を強いられた奥崎、今は自分が信じる神の名の下に暴力をふるい続ける。
彼は言う。かつての許されない戦争にかかわった自分たちには天罰が下った。だから我々はあの戦争について口をつぐんではいけないのだと。多くの人間があの悲惨な戦争を忘れようとつとめてきた。そんな気持ちなどお構いなしに奥崎は人々の心の傷のかさぶたを無理やり引っぺがそうとする。
そんな中で明らかになる衝撃的事実、旧日本軍による人肉食の事実が。補給路を断たれて飢餓状態にまで陥った日本軍が現地の原住民や捕虜を食料として食べていた。ここから本作のもう一つのテーマが描かれる。旧日本軍の罪が。
父島事件をはじめとする旧日本軍の当時の蛮行はよく知られているところではあるが、当事者の口から直接聞くと実に生々しい。
当時パプアニューギニアではソンミ村虐殺に匹敵するティンブンケ事件があったのは有名だが、その周辺の村でも同様のまさに地獄絵図といえるような蛮行が繰り返されてきた。
本作で語られる当事者の言葉がその事実をまさに裏付けている。くろんぼう(原住民)の肉は食べてもいい、しろんぼう(オーストラリア人捕虜)の肉は食べるなと言われたという当事者の証言は戦時中の事実をつまびらかにした資料としても非常に価値がある。
奥崎健三というアナーキストを追うドキュメントが結果的にもう一つの歴史的事実をあらわにした。
そして本作は衝撃的な結末を映し出す。もう十年独房生活を覚悟しているという奥崎の言葉通り、処刑を首謀したかつての上官宅で発砲事件を起こすのだ。
彼のエキセントリックな行動はいったいなんだったのだろうか。権威に抗い、天皇や国家を憎む気持ちはわかる。過激な行動で注目され、先生と持ち上げられて調子に乗っていたところもあったのかもしれない。しかし彼の根底にあったのはやはりあの悲惨な戦争体験だったのだろう。
彼は彼なりにあの戦争に対して落とし前をつけようとしていたのではないだろうか。多くの人間があの戦争はなんだったのか納得できてないはず。しかし張本人の国は先の戦争の総括はせず、何も教えてはくれない。戦争体験者たちは自分たちで自分たちなりにあの戦争に対して落とし前をつけなければならなかった。
あるものは無理矢理つらい記憶を忘れ去ろうとして、あるものは趣味や好きなことに没頭して、どうにか自分の中で落としどころを見つけようとしていた。しかし、奥崎は違った。もしかすると彼の中ではまだあの戦争は終わってないのかもしれない、あるいは皇軍として無理矢理戦わさせられた過去を否定し神軍として生まれ変わり新たな戦争をたった一人で続けていたのかもしれない。
破天荒な行動や映画出演などでしばらくは話題になった彼もやがては人々から忘れ去られてゆく。しかしそんなことは彼にはどうでもいいことなのかもしれない。彼なりにあの戦争に対する落とし前がつけられれば。
本作は一見すると奥崎謙三というエキセントリックなキャラクターに目を奪われるが、その実、先の戦争の呪縛に苦しめられる戦争体験者たちの悲痛な思いがつづられた良質なドキュメンタリーだった。
何があったのか。
ニューギニア戦線の生き残りにして前科三犯の元日本陸軍軍人、奥崎謙三氏が生きて帰った元日本兵達を訪ねて戦地で行われたとされる戦争犯罪について真相を明らかにしようと奔走する。
白豚黒豚の意味が語られたときあまりのことに感想すら持てなかった。
これを観なければ知らなかっただろうけど観なければいけなかったんだろうと思いました。
これまで一切テレビやネットでも取り上げられた記憶はないけど無理に決まっています。
参考映像などはなく関係者の口から語られること全てが強烈です。
取扱い要注意オヤジ、狂気の暴走
戦争の狂気を映し出しているドキュメンタリー映画だが、 最近もう一度観て、「戦争の」の部分は「人間の」に変えた方が適当ではないかと思った。
奥崎謙三氏の一連の行動の動機となったのは、かつて所属した連隊の上官が、終戦後にも関わらず、敵前逃亡の罪で兵隊二人を処刑した事実を知ったことだった。 同氏は、遺族と共に、その事件の関係者の元へ赴いて徹底的に責任を追及するのだが、 最後はピストルを使った殺人未遂まで引き起こしてしまう
その理由を少しでも斟酌すれば、義憤に駆られた仲間思いの男が起こした衝動的な行動という見方になる。 戦争が生み出した悲しい事件という捉え方もできる。 が、どちらもちょっとどうかと思い直した。 同氏の一連の行動は、この作品を通して見る限り、一人の男が恥ずかしげもなく露出した、「無分別な狂気」にしか見えないのだ。
人間の生命力が狂気的なエネルギーと化し、大義を掲げ、倫理を突き破って戦争を引き起こす。 その戦争がさらに人間の狂気を煽り、焚きつける。 そして奥崎氏は、人間の起こした狂気を罰するという大義を盾にして、自分の狂気を開放した。
狂気の正体は、生命エネルギーの無分別な放出だと思う。 エネルギーの放出が下手クソな人は、 偏屈、へそ曲がり、変わり者と呼ばれ、どこにでも身近にいる。 自分だって多少はそうかもしれない。 それが害のない芸術表現なら問題ないが、暴力で放出というのは質が悪い。
注意しなければならないのは、そういう人がエネルギーを放出するために、正義という大義を手に入れた時だ。 その瞬間、その人はエネルギーを留めるストッパーを躊躇なく外してしまい、一気に暴力衝動をも開放してしまう。 自分が正義だと信じて疑わずに爆走を始めた人間は、もはや誰も手が付けられない。
正義という大義は、薬物の甘い誘惑のようなものだ。 うっかり手を出すと、分別のある人間でも、抑え込んでいたはずのエネルギーを開放し、止めどもなく垂れ流し続けることになりかねない。
悪を成敗するため、誰かを助けるため、自分の身を守るため…。
誰かの妙に積極的な行動に尤もらしい大義が掲げられていたら、眉唾で見るべきだ。
特に慎重に監視すべきなのは、それが為政者の場合だろう。 戦争を始めようとする為政者は、狡猾だ。 彼らが、どんな大義を掲げて民衆を煽ろうとしても、安易にその誘惑に乗ってはならない。
自分の中のエネルギーは、自分で意識して抑え、自分で考え、自分で整え、社会に寄与する形で、必要な分だけその都度、恥じらいながら放出すべし。
ちょっと教条臭い感想文になってしまったが、この作品を観て、そういう事も考えた。
人間が内に秘める生命エネルギーは、奥崎氏を見てわかるように、ガソリンと同じだ。 くれぐれも、取り扱い要注意なのである。
映画に意識のある人は絶対見るべき
最初は奥崎の狂った正義感による愚行に、街で頭の狂った人を見る時のような悪い笑いを感じて観ているが、途中からその行為が戦争の真相を暴き出し、背筋も凍るような真実を知ることになる。岡崎にアポ無しで尋問される元兵士たちも、ニューギニアの地獄の中で自分たちのした行為の総括ができていなく引け目を感じているから、いまさら奥崎に尋問されて答える必要もないのに、追い詰められたような顔をして「しょうがなかったんだ」とボソボソと語り出すあたりが映画のクライマックス。マイケルムーアが最高傑作と言ったのもうなずける。天皇を1番の戦犯だと言い切る奥崎を国民は批判する資格があるのか。観たら何ヶ月か夢に出てくるほど心を捉える映画。永久保存版、ドキュメンタリー映画の大傑作。
彼を産み出した「戦争」への落とし前
その昔、映画監督をしていた友人から「好きな作品だと思う」と薦められたのが本作だった。なるほど、“まだ解決はしていない”と向ける責任の矛先に共感したことを思い出す。戦中から戦後にかけた、教科書にも載せられない真実への糾弾。その“暴力の肯定”から過激化する恐れ知らずな言動は、偽らざる庶民の抱えた腹の内そのもの。それを割腹し、外へ記録として見せる事で、鑑賞者は恐れ、時に変質者として眺めるのかもしれない。しかし、彼の半生をこの様に変質させた原因、それは紛れもなく国家の行いによるものだ。彼には償いの意識があった。筋を通す様が幾つも映し出されていた。本当の悪人とは、正義の名の下、悪行を肯定しひた隠す、公の権力者達であろう。彼が示した行動、その記録が今も語りかけている、全てが解決したのか?と。
【”強烈な必要悪””第二次世界大戦終戦直後のニューギニアの日本軍で起きた事件の真実を執拗に解き明かそうとする、故奥崎謙三氏が遺したモノ”】
ー 冒頭、奥崎氏が営む中古車修理店のシャッターが開かれるが、そこに書かれた言葉の過激さが尋常ではない・・。ー
◆感想
・奥崎氏が、終戦後のニューギニアで起きた日本兵に起きた事件を、執拗なまでに当時の元上官たちを訪ね、問いただす姿。
最初は、丁寧に話しているが、急に激高し、相手に馬乗りになって暴力を振るう事も・・。
彼の、狂的にも見えるパワーの源泉は何処にあるかは、容易に想像がつく。
・昭和天皇を呼び捨てにし、当時の上官に対しても、徹底的に真実を求めて食らいつく姿。
・この映画が初演された当時、(バブル時代)一部の観客は、奥崎氏の姿を見て笑ったという・・。
そして、この映画は”珍しい生き物””絶滅危惧種”を観ようする観客、真摯に戦争がもたらしてしまった事を考える観客達の心を捉え、ミニシアターの作品としては、異例のヒットを記録したそうである。
<今作で、映し出される、故奥崎謙三氏の行為を擁護する積りはない。
だが、彼がノンアポで、元上官達の家を訪ね、真実を引き出そうとする姿。
犠牲になった兵士の年老いた母親に対する真摯な態度。
相当に複雑な方ではあるが、私はこの方は、世に戦争の悲惨さを忘れさせないための”必要悪”ではないか、と思ったのである。
<2019年8月 京都シネマにて”2019夏の神軍祭り”の名目でデジタルリマスター上映を鑑賞>
<2021年8月12日 別媒体にて再鑑賞>
狂気
奥崎には、自らを演出する癖があったのではないか。
彼は一見、狂ったように見えるけれども、本当は狂ってなどいないのではないか。
彼はあくまで正気で、正気のまま多くの狂行に及んだのではないか。
狂っているのは、我々の方ではないか。
ゆきゆきて
海外においては帰還兵の話は多いが、日本においては語られることは少ない。戦争については美化するものも多いが、そうではなくその実態を届けようとした映像作品も多い。しかし、このドキュメンタリーが伝えるのは、そういった過酷な実情だけではなく、自分たちのしたことをどうとらえたら良いか総括できない、することもなかった背負いし者たちの救われない姿であり、この国においては稀有な作品だと思う。
証言を大きく変えた背景は分からぬが、人が変わったような対応にこちらが当惑させられる。元上官がカメラ側にいる奥さんをたしなめるところがなんとも痛々しい。ニューギニアで何があったのか…見えぬところも多い。
奥崎謙三の信念
第二次世界大戦の帰還兵、奥崎謙三さんが戦時中(正確には8月15日以降だから戦後だろうけど)に起きた兵士射殺事件について、当時の帰還兵を訪ねて真相を究明しようとする話。
人肉を食べてた事実を老人から聞き出す、その際暴力も使う。
最後に射殺を指示した元上官を殺しに行って何も関係ない息子を撃つ。
当時のことを後世に伝える必要については否定しないが、やり方や関係ない人まで暴力で傷つける、また暴力は必要な時には使うと自ら公言してるなど、気狂いとしか思えない。
彼の信念らしいが、全く共感できない。
ただし、戦場での事実を後世に伝えると言う目的はある程度達成出来たのだと思う。
夫婦揃って
一言で言えば奥崎謙三は狂っている
迷惑そのもの
絶対に関わりたくはない
一方で興味を引いたのは奥さん
夫婦揃ってだ
しかし、本人のなかでは絶対正義のもとで真面目に行動しているので観ていて時折めちゃくちゃ笑う
これも反戦映画
集団的不条理に言論と暴力であらがう男
終戦直後の戦場で行われた処刑事件の真相を徹底的に究明するための孤軍奮闘する奥崎謙三氏の姿を描いたドキュメンタリー。
暴力でことを解決しようとする彼の行動は決して許されるものではない。
しかし、平時の法が及ばない閉ざされた場所(戦場)でなにがおこなわれたか。
当事者たちしかわからない事実は解明可能か。
誰が真実を言って、誰が嘘を言っているのか。
「みんながやってきたこと」、「上官に言われたからやむを得なかった」、「(自分たちも苦しんできたのだから、)もう放っておいてくれ」、彼らは口々に言う。
やはり、やり過ぎた行為である。が、奥崎氏の執拗な追及がなければ、誰も口を割らずに闇に葬られていたことであろう。たまたま奥崎氏が関わった部隊の事案だっただけで、多くの戦場でどれだけ同じような悲劇が繰り返されてきたのだろうか。
80年代前半で撮影されたもので映像は古く、NHKでまとめられるドキュメンタリーとは全く異質。今だったら放送コードに引っかかりそうな酷い話がたくさん出てくる。
奥崎氏はヒーローではない。
正義の実行者でもない。
しかし、戦争の醜さ、残酷さ、集団的不条理を知るための貴重な映像資料である。
もしかすると
終戦後、復員された人が正気を保てず大勢覚醒中毒者になってたと、親から聞いたことがある。
職業軍人の方はともかく、徴兵された人はみな、奥崎さんのような思いがあったのではないか?
結局誰も責任を取らない!
命令されたから…とかの言い訳しか言わない。
本当のことさえ言わない…
指揮系統トップの天皇から、誰も…
もし、自分が徴兵されて、生きて帰ったら…
奥崎さんのようになったかもしれない。
ならずとも、心では思い続けたかもしれない。
もう、周りには従軍された人がいないので、聞くことはできないが…
戦後75年、相変わらず、聞くことは責任逃れ、嘘。
威勢のいい話…
威勢のいい連中は責任取りませんよ、この前がそうだった様に。
タイトルなし
戦争についてあまりにも遠くにいる自分にとっては、追求という縦軸の過程で、戦争経験者がしゃべる情報のすべてが、生々しく、驚きとなって伝わってくる。
人を殺した人はこのように喋るのか、と思うから、動いているだけで、新鮮だ。
2人の射殺現場について、ミカンを人に見立てて位置関係を確認する。
自分の妻と知り合いを、殺された兵士の親族と偽り、加害者に謝らせる。
声を出して笑わずにはいられない。
喜劇だ。整理がつかない。
面白かった。
こんなものは反戦でも平和思想でもなんでもない
正にキチガイ
こんなものは反戦でも平和思想でもなんでもない
恫喝、なりすまし、カメラをもって突然乗り込んでくる
思い込みによる尋問
こんな何をするかわからない奴に尋問される側の腫れ物に触るような言動、態度が本当に気の毒でならない
こいつは処刑された遺族をも食い物にしているのだ
遺族の為ではない
ただ単に戦争中の私怨を晴らす為に利用しているだけだ
そもそもこいつに断罪する資格なぞなにもないのだ
思い上がりも甚だしい
胸糞が悪いとはこのことだ
自らの思い込みの正義の為に暴力を肯定し、最終的には殺人を企てる奴だ
こんな映画を賞賛するなんてどうかしている
その狂気をそのまま写し取ったフィルムに残された狂気のエネルギーだけは星半個だけ評価する
これは放送はできないw
天皇をパチンコで撃った男、奥崎の一代記。なんともカルトな展開が観客を飽きさせない。信じられないようなシーン、破天荒な神軍上等兵の進撃。誰にも止められない。証言を引き出すためには殴る蹴るは当たり前。
最後のオチ(襲撃すべき上官の息子を撃った、誰でも良かった)はほんとに酷いw
人生変えられます。
三十年前に見ましたが未だに人生の最高傑作です。
この映画の前ではどんな映画も吹き飛んでしまいます。手塚治虫やマイケルムーアのフェイバリットでもあるそうです。
万が一見ていないならお見逃しの無いように。
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