「暴力と聖なるもの」ゆきゆきて、神軍 Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)
暴力と聖なるもの
どこまでも行けるところまで行って、たとえ途中で力尽きて行き倒れても、そこが、神の花の美しく咲く野辺であるなら本望だ…と題名は語る。
本物のテロリストがいったいどんな思考をしているのかと、私は最近、そればかりが気になっていた。
奥崎謙三は、私のそんなあまい「興味」を一蹴した。
革命と死と愛と神を、同時に見せつける。
共同体の維持のために暴力は発生し、なんらかのかたちで殺害が正当化される。
犯罪行為を隠蔽するのに、とりわけ最大の禁忌にまつわる殺害を隠蔽するのに、上官たちは「良心」を傘に何も語らない。
このとき、さてどうなるか、だ。
奥崎謙三は、神の供犠のルールにもとづいた復讐や制裁をおもいつき、当然に暴力を伴うことになる。「知らぬ存ぜぬは許されない!」とキレる。
目的と過程によっては、神は暴力を肯定するのか。人類にとって途方もない難題を残したまま、奥崎謙三は死んだ。
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