「あのナチスドイツでも『○○』を食べたと言う記録が無い。自虐的亡国論であって貰いたい。」ゆきゆきて、神軍 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
あのナチスドイツでも『○○』を食べたと言う記録が無い。自虐的亡国論であって貰いたい。
一見サスペンス調に話を演出しているがそれがうざすぎる。
要は『食べたか食べていないか?』だけなので、演出いかんによっては10分で終了する映画。
こんな『フーテ○の寅』見たいな主人公がいて、そいつに同調圧力をかけられ、無理矢理自白を求められても、この方法では答える気にならない。だから、途中で、フィルムを止めて、冷静に話し合って、演出をし直しているのは明白だ。
つまり、事の真相が明らかになったようで、事実は明らかになっていない。
結局、無理矢理、自白させたのだから、素晴らしくエキセントリックな映画だと評価するだろうが、自白の手法も含めて、ただのホラー映画の様になってしまっている。つまり、必ず言われる事『戦争だから仕方ないのか?』
寧ろ、アナーキスト全部がこの主人公の様だと誤解されたり、左翼(含む全共闘世代)に対する偏見を産む事になる。この演出家の手法なのだと思うが、それを商業主義に乗せる事じたい不愉快になる。
初見は実は2年くらい前で、僕が若い頃は結構騒がれて、その内容は知っていた。だから、初見は『こんな話だったんだ』とそれなりの衝撃を持った事は否めない。今回は二度目の鑑賞となるが、事実関係がはっきり理解できただけで、得るものはなにも無い。だから、もう二度と見ない。
つまり、この主人公の理論では、戦争責任を追求する本当の相手を探し出す事が困難になり、再び戦争を起こしてしまう可能性があると思われる。何故なら、未だに、戦争は無くなっていない。
『誰が悪い』を追求する事ではない。争いを止める事が急務なのである。その観点でこの主人公を見れば、争いを止めるのに役立つ人格には見えない。
僕はこの映画は作られた喜劇だと思う。『こんな奴いたら大変だ。いなくて、若しくはいなくなって良かった。』と思う。そう、あの『男はつ○いよ』と同じ理論では作られた映画なのだ。
この主人公が良い人?悪い人?は全く関係ない。やっている事が笑えるだけ。で、こんな奴いたら大変だよ。
さて、事の真相だが、それは実はどうでも良く、要は『食べている』事を誰もが認めている事だ。これ以上語ると、AIにはじかれるので書かないが、全員が否定していない。何人かは罪の意識もなく、肯定している。つまり『食べた』と言う事。この映画はホラー映画だ。
『子宮に沈める』で、死にゆく幼子に真の人間の姿を見た。