山の音

劇場公開日:

解説

川端康成の原作を、「にごりえ」の水木洋子が脚色、「あにいもうと(1953)」の成瀬巳喜男が監督した。「愛人」の玉井正夫の撮影、「恋文(1953)」の斎藤一郎の音楽である。主な主演者は、「にごりえ」の山村聡、丹阿弥谷津子、長岡輝子、「東京物語」の原節子、「にっぽん製」の上原謙、「家族あわせ」の角梨枝子、「純情社員」の杉葉子、「恋文(1953)(1953)」の中北千枝子など。

1954年製作/94分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1954年1月15日

あらすじ

六十二という齢のせいか、尾形信吾は夜半、よく目がさめる。鎌倉の谷の奥--満月のしずかな夜など、海の音にも似た深い山の音を聴いて、彼はじぶんの死期を告げられたような寂しさをかんじた。信吾は少年のころ、妻保子のわかく死んだ姉にあこがれて、成らなかった。息子修一にむかえた嫁菊子に、かつての人の面影を見いだした彼が、やさしい舅だったのは当然である。修一は信吾が専務をつとめる会社の社員、結婚生活わずか数年というのに、もう他に女をつくり、家をたびたび開けた。社の女事務員谷崎からそれと聴いて、信吾はいっそう菊子への不憫さを加える。ある日、修一の妹房子が夫といさかって二人の子供ともども家出してきた。信吾はむかし修一を可愛がるように房子を可愛がらなかった。それが今、菊子へのなにくれとない心遣いを見て、房子はいよいよひがむ。子供たちまで暗くいじけていた。ひがみが増して房子は、またとびだし、信州の実家に帰ってしまった。修一をその迎えにやった留守に、信吾は谷崎に案内させ、修一の女絹子の家を訪ねる。谷崎の口から絹子が戦争未亡人で、同じ境遇の池田という三十女と一緒に自活していること、修一は酔うと「おれの女房は子供だ、だから親爺の気に入ってるんだ」などと放言し、女たちに狼籍をはたらくこと、などをきき、激しい憤りをおぼえるが、それもやがて寂しさみたいなものに変っていった。女の家は見ただけで素通りした。帰ってきた房子の愚痴、修一の焦燥、家事に追われながらも夫の行跡をうすうすは感づいているらしい菊子の苦しみ--尾形家には鬱陶しい、気まずい空気が充ちる。菊子は修一の子を身ごもったが、夫に女のあるかぎり生みたくない気持のままに、ひそかに医師を訪ねて流産した。大人しい彼女の必死の抗議なのである。と知った信吾は、今は思いきって絹子の家をたずねるが、絹子はすでに修一と訣れたあとだった。しかも彼女は修一の子を宿していた。めずらしく相当に酔って帰った信吾は、菊子が実家にかえったことをきく。菊子のいない尾形家は、信吾には廃虚のように感じられた。二、三日あと、会社への電話で新宿御苑に呼びだされた信吾は、修一と別れるという彼女の決心をきいた。菊子はむろんのこと信吾も涙をかんじた。房子は婚家にもどるらしい。信吾も老妻とともに信州に帰る決心をした。

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映画レビュー

3.0菊子(原節子)のお父さま(山村聡)

2025年4月11日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

 成瀬巳喜男映画『めし』に夫婦役で出演した 上原謙さんと原節子さんが 再び夫婦として出演していますが、今回は 別の二世帯家族の話で、舅である信吾(山村聡)が菊子(原節子)を大事にしているところが やや萌えポイントでした。もっとエッチな展開になるのかと 半ば期待も込めて ハラハラしながら観ました。
 俳優の魅力は引き出されていたと思います。
 もの悲しい映画に仕上がっていました。

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どん・Giovanni

2.0一番邪悪なのは信吾

2025年4月7日
PCから投稿

本作の原作は終戦から4年後の昭和24年に50歳の川端康成が発表を開始した小説ですが、未読です。昭和29年に映画は公開されています。

4人暮らしの尾形家が本作の舞台です。

・尾形信吾62(山村聡44)。鎌倉に立派な家を構える会社重役の男性。昭和24年に62歳の設定ですので、逆算すると明治20年生れということになります。53歳で開戦を迎えたので兵役未体験のはずです。
・信吾の妻、保子63(長岡輝子)
・長男、修一30代?(上原謙45)。父と同じ会社に勤める。本作中では言及されませんが、原作では復員兵の設定です。
・長男の妻、菊子20代?(原節子34)。

表面上は穏やかな家庭生活を送る尾形家ですが、信吾と修一の間にも、修一と菊子の間にも、深い断絶があるようです。一方義父の信吾と新妻菊子の間には、心の交流があるようです。菊子は信吾に対しては夫に見せない素敵な笑顔を向けます。

その原因はなんなのか。キーパーソンは修一です。彼は父信吾と異なり、無表情、無感動、無機質な印象の男です。献身的な妻菊子に対しても常に冷ややかな態度で接します。年下の妻のことを「子どもだ」と見下しており、夫婦の間に心の交流はないようです。さらに絹子という愛人がいることを父にも妻にも悟られていますが全く悪びれる様子もありません。人格破綻者というか、悪魔的人物のようにすら見えます。

どうして修一の心は死んでしまったのか。過酷な戦争体験のせいでしょうか。信吾が甘やかしたからでしょうか。よく分かりません。

修一は父の秘書である若い女性、谷崎を「ホール」に誘います。映画では描かれませんが、そこは金で酒、音楽、女を提供する享楽の場でしょう。さらに修一は谷崎を「愛人の家」にまで連れていきます。その家には二人の若い戦争未亡人、絹子と池田が同居しています。池田、絹子を相手に酒を飲み横暴に振る舞う修一の様子が語られます。

この4人の関係性が極めて異常かつ不自然です。いくらなんでも会社の同僚を自分の愛人の家に連れて行ったりするでしょうか。修一の動機が分かりません。

絹子は洋裁で身を立てている若い戦争未亡人。同居の池田は近所の子どもたちに勉強を教えて糊口をしのぐ若い戦争未亡人。若い二人の女声が身を寄せ合って厳しい戦後を生き抜いているように見えます。では絹子はなぜ修一の愛人になったのか。金にもならないし妻にもなれない。動機が不明です。生きることに必死な時代に修一のような男と不倫しても絹子にはなんのメリットもないはずです。

まるで中高年男性が考える「理想の嫁」像として造形されているような菊子といい絹子といい、女性キャラが不自然すぎるのは本作の欠点です。男性作家の限界でしょうか。その点、林芙美子原作の映画「めし」の女性たちにはリアリティがありました。

修一や絹子の倫理観に欠けたふるまいは日本的価値観で見れば、戦争に負けて日本人の心が荒んでしまったということでしょう。キリスト教的価値観に立てば、悪魔の誘惑に負けてしまったと見ることもできます。「ホール」は悪魔の巣窟であり、絹子と池田も悪魔崇拝者であり、修一はまんまと悪魔の誘いにハマってしまい、さらに修一を使って谷崎をも悪の世界に引きずり込もうとしている、そんなアリ・アスター的解釈も可能ですが、もちろんそんな描写はありません。

では本作の登場人物の中で一番邪悪なのはだれでしょうか。私は意外に父の信吾も候補に上がる気がします。明治生まれにしては物わかりが良すぎるし、嫁にも優しい信吾。山村聰が演じているので一層「いい人」キャラに見えますが、その本質を妻だけは見抜いており、「あなたは残酷よ」と彼に告げます。彼の優しさは自分のためであり、自分のためとは菊子に慕われることであり、そのためには修一と菊子の夫婦仲は悪い方がいい。本当に彼が菊子のことを考えるなら信吾は修一をぶん殴ってでも絹子と別れさせるはずですが、なぜか彼はなかなか動こうとせず、事態を生ぬるく見つめるだけです。あるいは子どもができる前に二人を別れさせるべきでした。なぜそうしないのか。それは菊子がつらいほど、信吾自身にとっては都合がいいからです。最終的に信吾は菊子を自由にしますが、「手紙を書いてくれ」だの「自分は故郷の土になる」だの同情を誘うセリフを口にし、未練タラタラの様子。「若く美しい新妻に慕われたい」という初老の男たち(川端康成、成瀬巳喜男)の妄想というのは、ホントに気色の悪いものです。しかし息子修一を演じた上原謙の方が父信吾を演じた山村聰より年上だとはびっくりでした。

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jin-inu

3.0能面の意味

2025年4月4日
iPhoneアプリから投稿
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りか

2.5川端康成原作なれど結構世間並みの話

2025年3月28日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

原節子扮する尾形菊子は頭をスッキリさせたいと言う病み上がりの義父と話していた。

原節子主演作はたいてい言葉づかいは丁寧で明るい良いお嬢さんといったイメージだね。だから人気を博していたのかな。でもここでは子供が出来ずに夫が浮気者の様だな。両親共に長男の浮気を知ってるのもどうかな。会社も家族経営だし、川端康成原作なれど結構世間並みの話かな。

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重

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